kei さま

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sekko · 2015-11-03 03:28:33 UTC+9 · 投稿 #774

「神のご計画」と人間の自由意志の関係ですが、神学的なことはカトリック系サイトの質問箱でお尋ねになれば答えてくれると思います。

エラスムスはトマス・アキナスを引いて、神の意思と人間の自由意志は別々に存在する、神の意思はあっても固定したものではなく、自由意志による人間の反応に適応するといいました。
その時にルターは、自由意志は神にしかなくて、人間に適用するのはナンセンスであり、人間のすべての行動は神の意思に添っているのだといってユダの例を出し、ユダの行動もすべて神のみ旨だと言いました。

ユダならまあ何とかこじつけられますが、もっと納得のいかない例もこの世にはたくさんありますよね。まあ、それは「この世」のことで「神のみ旨」なんて理解できないのだから不可知論になってしまいそうです。

でも、単純に言えば、神の計画はきっとあって、いろいろ人間に働きかけ続けているのだとは思いますよ。

でもそれに気づくか、アンテナをそちらに向けるか、気づいてもスルーするかなどの自由が人間にあるのでしょう。

でも、スルーされても拒否されても、気づかれなくても、神の方からはいつも情報を発信している(愛し続けている)わけで、いつしか人間の方が、自分の条件が変わった時(病気や老いや孤独その他)などに態度を変えて、今までの生き方を悔いたり、「神の計画」に参入するとか愛に応えるとか新しい関係性に入っていくことがいつまでも可能なのではないかと思います。放蕩息子の帰還みたいに。

「神の意思はあっても固定したものではなく、自由意志による人間の反応に適応する」ということは多分そういうことなのでしょう。

ちょっとハイゼンベルクの不確定原理みたいですが、電子を測定する時はじめて位置だの運動量だのが確定するので、神のみ旨を知りたいとか神のみ胸にゆだねるとか神の計画の役に立ちたいとか誰かが自由意志で決意した時にはじめてそれが見えてくる感じでしょうか。

そういうのを決意なしで自然体でやってしまっている人たちもたくさんいるのでうらやましいですが。

まずは、命を与えられて無事に生きていて信頼できる人がそばにいて、などの幸福に感謝、というところから始めたいです。