sekko · 2016-11-21 18:38:45 UTC+9 · 投稿 #808
PVはフランスで視聴できないということでした。
でも検索して少し曲を聴き、歌詞など読みました。
あまりコメントできなくてすみません。
私はこの種の集団アイドルグループのコンセプト自体に賛成でないので。
男女ともそうですが、特に女の子たちのは。
みんな可愛いですし、おっしゃるように
「15歳から21歳までの青春真っ盛りの少女たちが東京の風景を背景にパフォーマンスして」、
「一度しかない青春の輝き、若さ、純真さ、清楚さ」
を見せてくれるのは多くの人にとって恵みですが、そんな素晴らしいことが商品化されていることに賛成できません。
似たような輝き、若さ、純真さ、清楚さを持った少女たちを集めてパーツにすることによって生じるひずみも想像できて。
もし私にこの年代の娘や孫娘がいたら、そしてこういうキャリアに夢を抱いていたら、私は絶対反対すると思うし、なぜ反対するのかを本人にじっくり話すこともできます。
いつかこういうことについて書く機会があるかと思います。
今回はこれで。
スイス鉄道のように · 2016-11-21 09:03:33 UTC+9 · 投稿 #807
こんにちは。
先日、ナチス風の衣装で問題になったアイドルグループの新曲のプロモーションが始まり、
そのプロモーション用ビデオ(PV)が日本時間の17日に公開されました。
15歳から21歳までの青春真っ盛りの少女たちが東京の風景を背景にパフォーマンスしているのですが、
一度しかない青春の輝き、若さ、純真さ、清楚さなどが見ていて感じられます。
とてもステキなPVに仕上がっています...
シーンは小春日和的でもあり、これからの寒い季節にも心が温まるような作品でもあります。
また、アイドルらしからぬ哲学的な歌詞にもなっております。
曲名は、「二人セゾン」...
およろしければ、ぜひ一度ご覧ください。
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=mNpPQXMgtmwスイス鉄道のように · 2016-11-03 23:21:45 UTC+9 · 投稿 #806
ご返信、どうもありがとうございました。
そうですか。
今回のアイドルグループのプロデューサーが東京オリンピック委員会の理事の一人でもあるという事実から、そういう報道になってしまうんですね...
sekko · 2016-11-03 23:02:36 UTC+9 · 投稿 #805
うーん、フランスの新聞にも取り上げられていました。
これは表現の自由の問題というより危機管理の問題のような気がします。
ユダヤ人のロビー活動力というのは半端ではないですから、しかも、20年前と違って今のようにSNSが発達していてyoutubeも流れる時代に、危機管理の意識がなさすぎるのでは、と思いました。
私の見た記事ではみな「オリンピックを控えた日本で」ということが付け足されていました。
しかも、カリカチュアやコミックの中の表現などではなく、広く動画が流れるようなもので、未成年の女の子たちにグループでそういう恰好をさせるリスクをとったというのはやはりプロデューサーの責任だと思います。
私が親ならプロデューサーに抗議していたかもしれません。
イギリスの王子のコスプレのスキャンダルもありましたよね。今回はそれよりもパブリックな形ですし。
クール・ジャパンとかでこの種のカルチャーも積極的に売っているわけですから、やはり識別力が大切かと思います。
スイス鉄道のように · 2016-11-03 17:41:00 UTC+9 · 投稿 #804
先ほどの投稿に追伸でございます。
イスラエル大使館がこの件に気づき、関与してきました。
(在日イスラエル大使館のTwitterにコメントしています)
単なるアイドルグループの問題ではなく、結構、おおごとになって参りました...
https://twitter.com/IsraelinJapan/status/793994601312976896 スイス鉄道のように · 2016-11-03 12:45:31 UTC+9 · 投稿 #803
竹下様、お久しぶりでございます。
お聞き及びかどうかわかりませんが、数日前、日本のアイドルグループがナチス風の衣装をコンサートで使用したとして、
海外のメディアまで報道する騒ぎとなっております。
例えば、以下のニュースなどご参考に。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161101-00000035-mai-int http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20161031-00063914/ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161101-00000001-jij_afp-ent 結局、ひとことの反論も、説明責任も果たさず、
このアイドルグループの日本の責任者は、謝罪とこのコンサートのテレビ番組への放映を取りやめました。
↓↓↓
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6219483 私自身、ナチスを決して肯定するものではありませんが、
しかし、「表現の自由」という問題もございます。
反論も説明もせず、海外の批判に無条件にこうべを垂れるのはいかがなものかとも思います。
竹下様はいかがお思いになられますでしょうか?
およろしければ、ご見解をたまわりますれば幸甚に存じます。
sekko · 2016-08-17 20:32:51 UTC+9 · 投稿 #801
おしらせ
今発売中の『カトリック生活』9月号(ドンボスコ社)の私の記事に日付の点でミスがあったのをここで訂正します。
実は年号についての単純ミスはよくやるので申し訳ありません。
「私の言いたかったこと」が伝わるかどうかに注意を集中しているので、今の時代、誰でも簡単にチェックできるから訂正してもらえるだろうという甘えがありました。
訂正は次の部分です。
これは私がベースにした批判記事自体に単純ミスがあったものです。
マザー・テレサを批判する人たちの書いたものを紹介する部分で、
「ノーベル賞受賞の折には、ボスニアで組織的にレイプされた女性をめぐる質問に答えて、中絶は平和の最大の破壊者で、母による直接の殺人は直接戦争であると唱えた。
一九九六年のアイルランドの国民投票の折には離婚と再婚の禁止を憲法に加えることを提唱した。」
という部分です。
まず、1979年に「中絶は平和の最大の破壊者」とコメントしてすでに中絶合法化の陣営に批判されていました。次に1994年にカイロで行われた人口問題の国際会議の際の記者会見で、ボスニアのことを尋ねられて「母親による直接殺人」という答え方をしたのです。
それを混同していた批判記事の年代の矛盾にすぐ気づきませんでした。
次に、アイルランドの国民投票は1995年11月でした。そのすぐあと、1996年になって、ダイアナ妃の離婚問題についてインタビューを受けて肯定的に語ったので矛盾しているとまたすぐ批判されたのです。
マザー・テレサが時として激しい批判を受けたのは、それだけ彼女の言葉がメディアにそして政治にまで大きな力を持っていたことの裏返しであり、だからこそ、彼女に対する評価の両義性の意味が何であったのかを、列聖を機会にさぐろうとしたのが私の記事の意図でした。
聖人の列に加えられるという時点で、もう「生前の業績」を超えた次元に参入するのであり、その力が今も大きな実りをもたらし続けているというカトリック教会の列聖システムならではの連帯のパワーを書きたかったのです。
日本にはそもそもキリスト教的な縛りがないので中絶や離婚に関するキリスト教の言説の持つ力とそれに対抗する力のせめぎあいがありません。
でもそれはキリスト教文化圏にとって大問題なので、マザー・テレサのそれに関する言説への批判も厳しいのです。
もちろんカトリック教会全体への批判もたくさんあります。
イスラム過激派への批判よりずっと執拗で激烈です。
聖人の条件となる「奇跡」認定に対しても「蒙昧」批判はいくらでもあります。
私はそういうやり取り自体がどういう文脈で起こっているのかを分析するのが好きです。
奇跡も列聖システムも聖人たちも彼らに祈る人たちもみんな好きです。
私がこの記事で「批判」を紹介したことで誤解を受けるのではないかというお知らせをいただいたので、年代に関するミスの訂正だけここでお知らせすることにしました。
他の「批判」などの内容や証言については、いろんな人がいろんな「目撃」談を長い年月にわたって残しているので、どれが唯一の事実であるかというのは少なくとも私にはわかりません。
でも、マザー・テレサが残して継承された「愛の真実」については疑いをもっていません。
それが私の伝えたかったことでした。
ご理解をお願いします。
宮野 · 2016-08-02 17:01:48 UTC+9 · 投稿 #800
三位一体の御交に感謝
竹下先生へ
LGBT+ カトリック・ジャパンのミサ10月日程が変わりました.
晴佐久昌英神父様が司式をして下さいます.
10/23(日)午後2時:集い 午後4時ミサ 司式司祭:晴佐久昌英神父様
場所:都内交通至便地
1/27(日)午後1時30分ミサ その後集い
場所:都内交通至便地
宮野 · 2016-07-28 22:06:16 UTC+9 · 投稿 #799
ご返事に心から感謝します.
サプリ2巻目は,本当に間が悪くて,友人に貸したままになっています.
アマゾンで再注文しました.
多分あのエピソードだと思います!
「スターティング」も待ち遠しいです.
私は最近,Suscipe(霊操234番)を観想する生活が望みになってきています.
生かされて生きているという感じがします.
8月初旬に巡礼風の旅をします.
ローマ:聖イグナチオ・デ・ロヨラへの巡礼
パレ・ル・モニアル:イエスの聖心への巡礼
「観光は?」と言われますが,
「それより,祈れば御国観光ができるし,ガイドは三位一体の御交なんですよ」というと,信徒さんからも呆れられています...
sekko · 2016-07-28 17:47:51 UTC+9 · 投稿 #798
ありがとうございます。
キリスト教の死後の世界の考え方で私が一番ぴったりだなあと思ったのは、「二人の胎児の会話」です。ドン・ボスコ新書の『生き方をインスパイアする25の話』にある「おなかの中の対話」で紹介しました。
これをもっと広めたいなあと思っています。
『カトリック生活』11月号にはスターティングについて書く予定です。
宮野 · 2016-07-28 11:09:08 UTC+9 · 投稿 #797
フラ・アンジェリコ氏の言葉に,感謝.
皆様におすすめして,ほとんどの方から「読んで良かった」と言われる自慢の本があります.
?竹下節子先生著「ヨーロッパ死者の書」ちくま新書 ISBN-13: 978-4480056429
私はカトリック国の人々の死生観には,幾つもの入り口があるという深さを初めて知りました.
「戒名という別の名前になるのを嫌悪していて,どうしたら良いか?」と尋ねられたので,この本を紹介しました.入信に至るのはこれからですが.
私は,興味関心(信仰的・霊的・知的)が揺さぶられて,心が動きます.そして,「死を受容して,人間的になる,大人になる」という感じ方になりました.皆様,是非ご一読を! または,再読を!
以下駄文ですが.
私が霊操でいただいたイメージでは,「神の意思で受精し,霊魂と肉体があらわれ,帰天した霊魂は神を賛美して神のために働き続ける」です.
私の両親は帰天していますが,身近にいるようで,嬉しいです.
親しい宣教師は,「死は劇場の幕が上がり,言いようもない素晴らしいドラマが始まる時」と言いました.
難聴の知人に「死は隣の部屋に行くようなもの.でも,私の場合は違うの.今度は目が見えて,耳が聞こえるの」(ヘレン・ケラー)と話したら,嬉し泣きしていました.
熱心な知人は,「私達は今,復活した体を生きている霊気というイメージ」と言い,驚きました.
まとまりがなく,すみません.
sekko · 2016-07-27 22:55:41 UTC+9 · 投稿 #796
「スイス鉄道のように」様がそのようにお考えになれることが、今回のテロでカトリックの司祭が犠牲になったことの大きな意味の一つだと思います。
フラ・アンジェリコの言葉に
「世界の闇は一つの影に過ぎない。その後ろに、我々の手の届くところに、喜びがある。この闇の中には、我々に見えることが出来さえすれば、素晴らしさ、言い表せない喜びがある。そしてそれが見えるためには、見ようとするだけでいいのだ」
というのがあります。
死からの復活だけではなく、今ここで呑み込まれた闇からの復活でもあります。
「死」を前にしても「光」の方を見る、ということですよね。
普段はそういうことが理屈としては分かっていても、こういう事件がそういうことをリアルな実践として教えてくれるのは「恵み」なのだと思います。
アメル神父が将来復活するかどうかよりも、今、この世での使命をより広げて新たな使命を遂行し続けているんだなあと思います。
罪のない子供や若者たちがテロの犠牲になるのももちろん不当で悲しいことですが、それだけにリアクションが「怒り」や絶望や恐怖や報復に向きがちです。
アメル神父が犠牲になってくれたからこそ見えてくるもの、言葉にされる赦し、意識される友愛の必要性、などを感じて、感謝の念すら覚えているところです。
スイス鉄道のように · 2016-07-27 19:50:32 UTC+9 · 投稿 #795
こんにちは。
L'art de croire、いつも拝読しております。
わたくしの今の考えをまとめてみました。
私たちカトリックには、”死”は終わりではなく始まりです。
理由は2つ。
1.
イエス・キリストの十字架における死がなければ、カトリック教会は発足しなかった。
イエスが官憲に捕まった時、弟子たちや取り巻きは蜘蛛の子を散らすように皆逃げました。
ペテロなんか少し遅れて捕まったわけですが、イエスと面通しをされ、「そんな人知らない」と3度言い張って難を逃れました。
もっとも、あとで涙を流しましたが...
結局、イエスの死と復活によってカトリックは始まったのです。
もしイエスが終身刑にでもなっていたら、カトリック教会は今存在していません。
2.
カトリックではミサで信仰宣言をしますが、
「私たちは聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪の許し、からだの復活、永遠の命を信じます」と唱えます。
つまり、将来のいつか、正しい人は神様によって生き返らせてもらえるのです。
それが教義ですよね。
特に、理不尽な死に方をした人は必ず将来生き返ると考えます。
なので、今回の事件の被害者のジャック・アメル神父は、必ず将来生き返ります(復活します)。
よって、死は悲しむべきものですが(なぜなら死を悲しむのは自然だから。自然=神の創造したもの、だから)、それで終わりではありません。
次へつながるものです。
今回の事件によって、「信仰の炎」が心の中で燃え上がるような想いがしております。
愛と赦しといつくしみによる生き方をせよ、そして広めよ、一刻も早く、おまえの身の回りからすぐにでも始めよ、ぐずぐずするな、ぼうっと見ている場合ではない、傍観者になるな、日々の生活のすべての局面で積極的に行動せよ、福音にのっとった生き方によって、ということかな、と...
宮野 · 2016-07-21 00:08:15 UTC+9 · 投稿 #794
本当にありがとうございます.感謝いたします.
10/9or16のいずれかの予定,11/27は確定です.
午後1時30分からミサ その後分かち合いを5時頃までします.
毎月司祭が代わり,多くの方々と関わりが増えるようにと務めています.
場所は,都内の交通至便地です.
場所と司式司祭は未公表なので,別途ご連絡します.
8月からは東京教区ニュースに毎月ミサ案内が掲載され,LGBT+という文字が初めて出ます.
あの素晴らしいコンサートを今年もなさるのですか?
「ヨーロッパ死者の書」は広汎に広まるのが当然必然の書です!
発刊記念対談をしてくださればと...
養老孟司「身体巡礼」(新潮社)と「ヨーロッパ死者の書」の精神潮流の接点
大津秀一「死ぬときに後悔すること25」と「ヨーロッパ死者の書」の知恵
とか.
sekko · 2016-07-20 22:50:27 UTC+9 · 投稿 #793
17日の最初のミサ、実りがあったようでよかったですね。
私は10月から11月にかけて日本なので、もしそちらのミサの日付けがフリーであればぜひ参加したいです。
新宿にそんな教会があるとは知りませんでした。ホームページも興味深く拝見しました。
「ヨーロッパの死者の書」はデジタル版が筑摩書房からもうすぐ出る予定です。
またお気軽にご連絡ください。
宮野 · 2016-07-20 21:44:41 UTC+9 · 投稿 #792
ご返事くださって,こころから感謝します.
フランスの事情も知らず,伺えただけでもとてもありがたいです.
7/17のミサは,20名ほどで分かち合いました.感謝です.
これから毎月,少しずつ心の扉を開きあっていければと願っています.
これから信友になっていきたいと,互いに握手した方で,例えば,
幼児洗礼で,マスールの厳格教育により自己否定感が強くて,30年ぶりにミサにあずかった方,
LGBT+は病気といわれた友人信徒が自殺したため,正教信徒からカトリックに転会勉強中の方,
LGBT+を理由にカトリックへの転会を拒否され,受けられるはずの聖体拝領も拒否された方,
トランスジェンダーを告白せずに受洗した罪悪感を司祭に解放してもらった方,
男性で受洗して性転換後,戸籍変更もできたので,教会籍を女性に変えたかったが,それはローマの判断が必要で,問合せができないため,断られている事例
誕生時から染色体のせいで両性を生きていて,父なる神という表現に今も身が切られると感じる方,
等,様々あります.これからもっと分かち合われると思います.
本当にイエスは,根源的で全てなんですね.
イエスに会いに皆さん来てくださいました.
それで,新宿界隈のこと:
日本キリスト教団新宿コミュニティー教会中村吉基牧師は,新宿5丁目で教会をなさっています.
http://sccmission.net/index.html 東京レインボーパレード2016で,ブースが隣同士でお話もできました.
新宿界隈は詳しいと思います.今度お会いしますので,禁煙の店等いろいろ伺ってみます.
中村牧師は,元カトリック神学生で上智界隈の修道会系出版社勤務経験もあり,代表の神父様とも旧知の仲のようです.
その神父様とも私達はお会いして,LGBT+ 信徒とのわかち合いのため,今度私達のミサの司式をして下さることになりました.
将来は出版企画を種々考えていきます.ぜひそのときは,ご指導をお願いします.
共同発起人の小笠原は仏語TOBを普段から読んでいる精神分析家なので,理論面からもいろいろ考えています.
ホアン・マシア神父にお会いし,私達と協働して下さるとお約束もいただいて,司教団の皆様への献身もして,協働できるように努めたいと願っています.
sekko · 2016-07-18 18:30:40 UTC+9 · 投稿 #791
ご連絡ありがとうございます。
有意義な活動のイニシアティヴをとられていることもありがとうございます。
パリでは、私が前にBlogでも書いたマレー地区のSaint-Merry教会で月一度、LGBTの他、すべての人にOKのミサがあります。
ダビデとヨナタン
http://www.davidetjonathan.com/ というパリ市公認のアソシエーションが主導で、もとはゲイの人が中心で、キリスト教同性愛者運動の一環としてもう何十年もミサがあります。ミサ、祈り、分かち合いなどがあります。もとはまだ同性愛が刑法上の罪として残っていた1971年に始まり、1981年の社会党政権の誕生と共に1983年に今の形の公認NPOとなりました。旧約に由来する「ダビデとヨナタン」はグループの刊行物のタイトルでした。
私は男女の同性愛者といっしょに25年も演奏活動をしているので、彼らと日本に行くたびに、日本のコミュニティと連絡を取りたかったのですが、敷居が高くてかないませんでした。
フランス人二人を連れて新宿二丁目に行く勇気はないので、三丁目で、ネラン神父の「エポペ」だとか、最近は歌川たいじさんの「タックスノット」などに行きましたが、全員タバコの煙に弱いこともあって長居はできませんでした。カトリック教会で演奏したり愛徳姉妹会に泊めていただいたりしましたが、いつもなんの差別も受けませんでした。
性的傾向はグラデーションであり、ほとんどのケースは生物学的要因(ホルモン)で決まってしまうので本人には選択の余地がなく、それを「賜物」として受容できなければ他の心身の「障碍」も受容できないものとなってしまいます。
いわゆる「マジョリティ」の人たちよりももっと切実に超越的なものを必要としていらっしゃる方々のために何かお役に立てることがあれば声をかけてください。
宮野 · 2016-07-16 19:27:25 UTC+9 · 投稿 #790
ご無沙汰しております.お知らせをしたくて,書かせていただきました.
昨秋から,LGBT+ カトリック・ジャパンという信徒団体を私ともう一人の発起人で始めています.
両名ともLGBT+ではなくて,所謂ALLY (協働者)です.
LGBT+とALLYで7/17から毎月ミサを始めます.
数名の司教様や神学者,司祭にお会いして,少しずつ足固めを始めています.
どうぞ,よろしくお願いします.
フェイスブック:LGBT カトリック・ジャパン
https://www.facebook.com/lgbtcj ブログ:
http://lgbtcj.blogspot.jp/sekko · 2016-05-15 17:32:09 UTC+9 · 投稿 #789
ありがとうございます。
聖霊降臨の意味、「スイス鉄道のように 」さまのご理解でよろしいかと思います。
私が今回ブログに書いたのは、別に解説とか解釈とかではなく、今まで、「聖霊降臨」って不思議だなあ、と思いつつ教科書的にスルーしていたのが、最近フランスのカトリック雑誌で「…ように」の表現に注目しているものを見つけて、なるほど、と感心したことを分かちあうためでした。
標準的な解説や公式見解をさがしていらっしゃる方は、別の形で検索できると思うので、想定していませんでした。だから聖霊降臨と自由という取り合わせに違和感を感じた方があるとしたら申し訳ありません。
それよりも、こんな話題にこんなにまじめなリアクションをする方ってどんな人だろう、と思って「スイス鉄道のように 」さまのブログを拝見して驚きました。
この投稿をくださったこと、また私のブログを読んでくださっている(あるいは偶然に今回だけ?)ことと、プロフィールとのギャップが新鮮でした。
私は何でも好奇心をそそられる性分なので、「スイス鉄道のように 」さまのブログにリンクされていた他の方のブログもあれこれ読んでしまいました。
絶対に自分ではたどりつけなかったようなブログであり分野です。
聖霊降臨祭にぴったりの体験ができて感謝しています。ありがとうございました。
スイス鉄道のように · 2016-05-15 14:09:14 UTC+9 · 投稿 #788
こんにちは。
聖霊降臨の主日、おめでとうございます。
L'art de croireで聖書の聖霊降臨についてお書きになられておられますが、
私の理解(といいますか、今まで読んだ文献,神父様の講義や説教からの理解)では以下の通りです。
まず、基本的に、旧約と新約は「合わせ鏡」...
対(つい)になっています。少なくてもキリスト教では。
よって、新約の聖霊降臨もまた、対になった記述のひとつ。
すなわち、旧約のバベルの塔の物語によって散らされた人々は、
新約の聖霊降臨によって、”集められた”のだと。
その証拠に、教会のことをギリシア語で「エクレシア」と言いますが、意味は「集められたもの」だそうです。
このように考えると、イエスキリストも、この世にやり残したことがあったのだとも言えます。
キリストは、新約では、旧約の完成として語られています。
律法の完成、乙女から生まれる救世主の物語の成就、動物を犠牲にする祭儀の自らの身による置換、などなど。
旧約の信仰の限界や行き詰まりを打開し、瑕疵を癒やし、完治させる者として描かれている...
しかし、ただひとつ、天に昇る前にやり残したことがあった...
それが、傲慢によって全地に散らされた人々に対する『救い』です。
この瑕疵に気づいたパウロら初期教会時代の神学者たちは、この瑕疵を治癒させる記述を盛り込んだ...
それが、新約の聖霊降臨の記載...
こう考えれば、つじつまがあいます。
旧約は父なる神が働く時代、キリスト生誕から昇天までが子なる神が働く時代。
そして、キリスト昇天後から現在までは聖霊が働く時代。(ヨハネ福音書14章)
つまりキリストはすでに昇天してしまって、この世にはいないので、
「聖霊の働き」を聖霊降臨の記載に描かざるを得なかった、ということだと思います。
Sekko · 2016-05-03 20:50:42 UTC+9 · 投稿 #787
そうですね。『キリスト教の謎』でも触れましたが、ローラシア大陸や古代の超大陸のことを考えても、北アフリカから中近東と日本の古代とが関係があるというのは不思議ではないと思っています。
ただ、それらが経由してきたはずの中国では、秦の始皇帝の焚書以来、神話的なものの記録が極端に少ないそうで、各種の技術伝搬はともかく、メンタリティはどこかで断絶してしまった部分があるのかなあと、中国民間信仰の専門家である友人と最近話していて思いました。
ユダヤ教にはメソポタミアよりも古代ペルシャ文化の影響の方が決定的だったかもしれないと思っています。それとエジプトからの移民が合流したかのような部分もあるようですが、いろいろな研究や異説が進行中です。
スイス鉄道のように · 2016-04-30 23:00:41 UTC+9 · 投稿 #786
こんにちは。
いつもL'art de croireの記事を拝見させていただいております。
出雲に行かれておられるんですね...
そこは、縄文文化が色濃く残る地だと言われておりますね。
そして、”縄文”というと、日本人の遺伝子の4割は縄文系だそうです。
最近読んだ本(『DNAでたどる日本人10万年の旅』崎谷満著)で知りました。
科学的な証明の裏付けがある内容でした。
さらに興味深いことには、古代エジプト人やユダヤ人と縄文人は近縁だそう。
すなわち、ハム=セム語族の先祖の一部は、ペルシアから南インドへ行きドラビダ人になり、
さらに一部は、東南アジアから中国を北上し、朝鮮半島経由で日本に来たらしいとのこと。
しかし、分岐は3万年前だそうです。
しかしそう見ると、南インドのドラビダ系の言語と日本語の関係を研究した大野晋氏の『日本語とタミル語』は一定の根拠をもちますし、
ヘブライ語と日本語は同祖というトンデモ本や日ユ同祖論なども意外と空想でもないように思えてきます。
竹下様はカトリックでおられ、古代ユダヤ文化にもある程度通暁しておられるので、
縄文と中近東の比較をし、どう感じられるかご意見を聞いてみたいような気がします...
アップル · 2016-03-07 10:15:36 UTC+9 · 投稿 #785
ブログのリンクありがとうございました。
とても興味深く拝読しました。sekko先生のこうしたテーマへのスタンスが
理解できたことがよかったです。
Le test: Une expérience...のアマゾンの紹介文を読んで、フランスでも
人間はどこでも同じなんだ(死者がどうしているのかを知りたい、死後の生があるのか知りたいという気持ちを持っている)とほっとしました。
死後の生、今日ではそれは理性に基づいた仮説なんだ、という文章は
フランスらしいというか。
またブラジルではどうなのか、ただ遠巻きに眺めているだけでなく私なりに
調べてみたいと思います。ありがとうございました。
sekko · 2016-03-05 18:48:53 UTC+9 · 投稿 #784
その本について、ブログにリンクをはっておきました。
http://spinou.exblog.jp/25374556/ いろいろ考えさせられます。ありがとうございました。
アップル · 2016-03-05 11:19:48 UTC+9 · 投稿 #783
お返事ありがとうございます。
フランスでは、なんというかやっぱり予想通りオカルト扱いなんですね。
節子先生がおっしゃるように、もともとブラジルには文化的に親和性があったということで、
独自に発展していったのでしょうね。
日本在住日系人たちが集まるスピリティスムのグループに属する人から
耳にするのは、輪廻転生についての講義を受けたり、
espirita という指導者が無料で人々の悩みを聞いて
アドバイスしたり、病気の人にはspiritual surgeryを施すというような
ことです。
ブラジルではシコ シャビエルという霊媒(故人)が今でもとても
尊敬を受けています。
日本人の私としてはなんだか胡散臭く感じてしまうのですが
ブラジル人たちは「シコ シャビエルは
お金を取らずに人の役に立った人」と讃えます。
福音派の動きが落ち着いてきたのは、彼らの教会のマーケティング戦略
に嫌気がさした人が増えて離れたからだと思います。
節子先生が読んでおられる本はフランスのジャーナリストが書いた本ですか?
私の勝手なイメージでは霊媒による話などは
フランス人にとっては完全にゲテモノ扱いなんじゃないかと思っていました。
でもそうでもないのでしょうか。感心のある人がいるのはいるのですね。