仏文和訳その2
お待たせしました。前の質問の答えと次の質問です。といっても、答えはありません。宿題みたいだ、という意見がありましたが、別にどの答えが正しいとかいう評価はないんです。頭の体操として楽しんでください。今回の回答は6人でした。匿名でOKなので、気楽にやってください。
まずその中で一番クラシックですっきりしてたKumikoさんの回答を貼り付けて回答がわりにします。
「
Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
誰も、 誰か、 誰でも、 誰一人。
4人のおはなしです。
誰もと、誰かと、誰でもと、誰一人がおりました。
大事な仕事がありました。
誰もが取り掛かるようにと指示を受けました。
誰もが誰かがやるだろうと思っていました。誰でも良いのですから。ところが誰一人しなかったのです。
誰かが、この仕事は誰もに責任があるといって、怒り出しました。
誰もが誰でもできると思っていたのに、誰もがしないだろうとは誰一人考えなかったのです。
誰でもやるべきだったことを誰一人しなかったというので、しまいには、誰もが誰かのせいにするのでした。」
これで4人の名前がぴったりおさまります。パチパチパチ。
「誰も」「誰か」「誰でも」「誰一人」 とミニマムにしたのがよかったみたいです。これに似たのはで、Mさんの「誰もが」「誰かが」「誰でも」「誰も」がありましたが、「誰もが」と「誰も」の違いを出すために「が」という助詞を加えたので、主語じゃないときに修正が必要になりました。
すごくユニークなのはKさんなのでこれも全文ご紹介。
「誰かが答えると、みんなが思っているかもしれませんが、試みに投稿させていただきます。
4つの言葉の訳はケースバイケースになると思います。考えるほどに難しくて、どこかでどれかがぴったり合わなくなります。ケースを決めるのは「大事な仕事」の種類ですね。
私はこんな図式で考えています。
[Chacun⇔Quelqu’un]= Quiconque ⇔ Personne
卑近な例ですが、「道路で狸が車に轢かれて死んでいた」と仮定して、
Chacun =役所
Quelqu’un =住民
Quiconque =心ある人(みんな自分がそうだと思っている)
Personne =傍観者
訳:
責任
4人の人がいました。4人の名前は、役所、住民、心ある人、見ている人、です。
大事な仕事がありました。
はじめに役所に電話がかかってきました。
役所は、そんなことは住民の手でなんとかすべきだと思っていました。心ある人なら誰でもできるはずのことです。でも、みんな見ているだけでした。
住民は怒りました。その仕事は役所の責任だろう、と。
役所は、誰でもできることは自分の責任でないと思っていましたが、役所がその仕事をしないだろうとは、見ている人は気付きませんでした。
とうとう、役所は住民を非難しました。みんな見ているだけじゃないかと、電話をかけた住民が逆に怒られてしまいました。」
サービス精神にあふれてます。考えさせられます。
ただ、この話では大事な仕事を4人に頼んできたのは「4人以外の外側の人間」だと考えられるので、住民と役所のような、すでに責任関係(役所は住民のサービス機関とか)がある間の2者のやり取りは適切じゃないかもしれません。この話の核は、「成員が同等な課題遂行能力を有するグループの中にいる『私と私以外』という意識の問題」だと思うんです。他の誰かができるからといってやらない自分は免責できるのかという話ですね。Blamer を「顔を青くした」と訳された方、このBlamerはブラスフェ-ム(冒涜)の語源の言葉なので、Bleu とは関係ないです。あ、考えるタネの最新記事にフランス語の発音の悩みを書いてます。コメントや、似たような体験があればどうぞ。
では次の質問。また仏文和訳。
解説つきでもどうぞ! 文字化けの問題があるらしいのでアクサンつけません。敷衍してくださっても、前後の文を勝手に足してくださってもOKです。(liberte の最後のEに右上がりアクサンです。)
La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.
L
まずその中で一番クラシックですっきりしてたKumikoさんの回答を貼り付けて回答がわりにします。
「
Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
誰も、 誰か、 誰でも、 誰一人。
4人のおはなしです。
誰もと、誰かと、誰でもと、誰一人がおりました。
大事な仕事がありました。
誰もが取り掛かるようにと指示を受けました。
誰もが誰かがやるだろうと思っていました。誰でも良いのですから。ところが誰一人しなかったのです。
誰かが、この仕事は誰もに責任があるといって、怒り出しました。
誰もが誰でもできると思っていたのに、誰もがしないだろうとは誰一人考えなかったのです。
誰でもやるべきだったことを誰一人しなかったというので、しまいには、誰もが誰かのせいにするのでした。」
これで4人の名前がぴったりおさまります。パチパチパチ。
「誰も」「誰か」「誰でも」「誰一人」 とミニマムにしたのがよかったみたいです。これに似たのはで、Mさんの「誰もが」「誰かが」「誰でも」「誰も」がありましたが、「誰もが」と「誰も」の違いを出すために「が」という助詞を加えたので、主語じゃないときに修正が必要になりました。
すごくユニークなのはKさんなのでこれも全文ご紹介。
「誰かが答えると、みんなが思っているかもしれませんが、試みに投稿させていただきます。
4つの言葉の訳はケースバイケースになると思います。考えるほどに難しくて、どこかでどれかがぴったり合わなくなります。ケースを決めるのは「大事な仕事」の種類ですね。
私はこんな図式で考えています。
[Chacun⇔Quelqu’un]= Quiconque ⇔ Personne
卑近な例ですが、「道路で狸が車に轢かれて死んでいた」と仮定して、
Chacun =役所
Quelqu’un =住民
Quiconque =心ある人(みんな自分がそうだと思っている)
Personne =傍観者
訳:
責任
4人の人がいました。4人の名前は、役所、住民、心ある人、見ている人、です。
大事な仕事がありました。
はじめに役所に電話がかかってきました。
役所は、そんなことは住民の手でなんとかすべきだと思っていました。心ある人なら誰でもできるはずのことです。でも、みんな見ているだけでした。
住民は怒りました。その仕事は役所の責任だろう、と。
役所は、誰でもできることは自分の責任でないと思っていましたが、役所がその仕事をしないだろうとは、見ている人は気付きませんでした。
とうとう、役所は住民を非難しました。みんな見ているだけじゃないかと、電話をかけた住民が逆に怒られてしまいました。」
サービス精神にあふれてます。考えさせられます。
ただ、この話では大事な仕事を4人に頼んできたのは「4人以外の外側の人間」だと考えられるので、住民と役所のような、すでに責任関係(役所は住民のサービス機関とか)がある間の2者のやり取りは適切じゃないかもしれません。この話の核は、「成員が同等な課題遂行能力を有するグループの中にいる『私と私以外』という意識の問題」だと思うんです。他の誰かができるからといってやらない自分は免責できるのかという話ですね。Blamer を「顔を青くした」と訳された方、このBlamerはブラスフェ-ム(冒涜)の語源の言葉なので、Bleu とは関係ないです。あ、考えるタネの最新記事にフランス語の発音の悩みを書いてます。コメントや、似たような体験があればどうぞ。
では次の質問。また仏文和訳。
解説つきでもどうぞ! 文字化けの問題があるらしいのでアクサンつけません。敷衍してくださっても、前後の文を勝手に足してくださってもOKです。(liberte の最後のEに右上がりアクサンです。)
La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.
L