小寄道さま
ピンカーさんのふたつ目の記事ですが、どこに書いたかなあと思って「ピンカー」でブログ内検索をかけてみたらこの二つが出てきたのです。
私も読み返して、二つ目は直接ピンカーと関係がないなあと思ったのですが、その前日の記事でピンカーに鼓舞されたオプティミズムに支えられて、中ほどに
>>>けれども、二千年のスパンで見れば、日本国憲法の前文にまで、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とか「政治道徳の法則は、普遍的なもの」だとかいう言葉が出てくるのだから、「お花畑の力、恐るべし」とも思う。ピンカーさんの言うとおりだ。<<<
とあります。まあ実は一続きの記事なのでリンクさせました。迷わせてすみません。
デッサンをほめてくださってありがとうございます。
おしゃべり掲示板なので書いてしまいますが、私は2,3歳の頃からとにかく紙と鉛筆さえあれば何時間でも絵を描いて手がかからなかったそうです。
貸本屋ですべての月刊少年少女雑誌を読んでいましたから続き物のマンガ制作も7歳くらいではじめて、10歳の頃には出版の話が持ち上がったくらいです。複数のストーリーを並行して書いていて、今でも図柄も思い出します。デッサンも得意で美術の先生から美大に行けばとも言われました。
フランスに来てからも、当時はキャンディキャンディがフランスで人気になったころだったので、少女漫画のキャラをすらすらと描いてあげると喜ばれてパーティでは女の子たちが私の前に列を作りました。今も、ピアノの生徒の似顔絵を描いてあげて人気です。
マンガの制作はずっと続けていたのでフランス人からはどうしてデビューしないんだ、本を書くより売れるのに、とよく言われました。絵でも、日本で日本画教室には通い、作品が残っています。その後、仏画の技法を独学し、筆でリーメンシュナイダーの聖母子像を描くシリーズを続け、これならオリジナルだし、いつかこれで個展を開きたいなどと妄想していました。
これらすべてをあきらめたのは、日本のマンガのマーケットが増えたことでレベルが大幅にアップしたのを目にしたことです。原作者やアシスタントを使わないで個人でやっていくには、4コマとか、猫マンガブログなどならできそうでしたが、そして、器用なので実際できたかもしれませんが、私程度や私よりも面白いものを描くプロがいることが分かったので、描いても「その他大勢」の自己満足だからやめました。
美術の方も、はっきりとあきらめたのは、岡本太郎美術館に行ってからです。岡本太郎は別に好きな画家ではなかったのですが、原画をじっくり見て、「芸術は爆発だ」という言葉の意味が分かりました。私はトランプのコレクションをしているのですが、岡本太郎のトランプ原画を見て、トランプという小さい画面でも「爆発」があることを知ったのです。
そして、私は何を描いても器用で速く巧いのですが、絵を描いていて「爆発」の体験がゼロだということが分かりました。で、私の絵は「芸術」にはならないと覚醒したのです。
小説もいくらでも書けましたが、やはり、面白い小説はいくらでもあるし、それに比べると、今の私の書いているような本は私が書かないと誰も書かないことが分かるので、少しでも、どこかの誰かが本当に求めているものと出会えるようなものを残していくべきだと決めました。
もし今若かったら、猫ブログや猫写真をたくさんSNSで発表したりするだけで自己満足を得ていたかもしれません。若い頃が、そんな手軽な表現が可能でなかった時代でよかったと思います。
今の執筆は、自分の哲学を伝えたい部分はいくらでも「爆発」できるというかインスピレーションにうながされますが、地道な作業もたくさんあるので、時々は何で私はこんなことをしているんだろう、とも思います。
でも、少数でも、心から共鳴してくださってくれる編集者や読者の方々からいただける応援に励まされています。
この掲示板は、2008年に当時あるサイトへの質問に答えてもらった経験への感謝から、純粋にボランティアとして始めたのですが、こうして皆様とつながることができて感謝しています。
ありがとうございます。
2018年がより平和な年になりますように。
私も読み返して、二つ目は直接ピンカーと関係がないなあと思ったのですが、その前日の記事でピンカーに鼓舞されたオプティミズムに支えられて、中ほどに
>>>けれども、二千年のスパンで見れば、日本国憲法の前文にまで、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とか「政治道徳の法則は、普遍的なもの」だとかいう言葉が出てくるのだから、「お花畑の力、恐るべし」とも思う。ピンカーさんの言うとおりだ。<<<
とあります。まあ実は一続きの記事なのでリンクさせました。迷わせてすみません。
デッサンをほめてくださってありがとうございます。
おしゃべり掲示板なので書いてしまいますが、私は2,3歳の頃からとにかく紙と鉛筆さえあれば何時間でも絵を描いて手がかからなかったそうです。
貸本屋ですべての月刊少年少女雑誌を読んでいましたから続き物のマンガ制作も7歳くらいではじめて、10歳の頃には出版の話が持ち上がったくらいです。複数のストーリーを並行して書いていて、今でも図柄も思い出します。デッサンも得意で美術の先生から美大に行けばとも言われました。
フランスに来てからも、当時はキャンディキャンディがフランスで人気になったころだったので、少女漫画のキャラをすらすらと描いてあげると喜ばれてパーティでは女の子たちが私の前に列を作りました。今も、ピアノの生徒の似顔絵を描いてあげて人気です。
マンガの制作はずっと続けていたのでフランス人からはどうしてデビューしないんだ、本を書くより売れるのに、とよく言われました。絵でも、日本で日本画教室には通い、作品が残っています。その後、仏画の技法を独学し、筆でリーメンシュナイダーの聖母子像を描くシリーズを続け、これならオリジナルだし、いつかこれで個展を開きたいなどと妄想していました。
これらすべてをあきらめたのは、日本のマンガのマーケットが増えたことでレベルが大幅にアップしたのを目にしたことです。原作者やアシスタントを使わないで個人でやっていくには、4コマとか、猫マンガブログなどならできそうでしたが、そして、器用なので実際できたかもしれませんが、私程度や私よりも面白いものを描くプロがいることが分かったので、描いても「その他大勢」の自己満足だからやめました。
美術の方も、はっきりとあきらめたのは、岡本太郎美術館に行ってからです。岡本太郎は別に好きな画家ではなかったのですが、原画をじっくり見て、「芸術は爆発だ」という言葉の意味が分かりました。私はトランプのコレクションをしているのですが、岡本太郎のトランプ原画を見て、トランプという小さい画面でも「爆発」があることを知ったのです。
そして、私は何を描いても器用で速く巧いのですが、絵を描いていて「爆発」の体験がゼロだということが分かりました。で、私の絵は「芸術」にはならないと覚醒したのです。
小説もいくらでも書けましたが、やはり、面白い小説はいくらでもあるし、それに比べると、今の私の書いているような本は私が書かないと誰も書かないことが分かるので、少しでも、どこかの誰かが本当に求めているものと出会えるようなものを残していくべきだと決めました。
もし今若かったら、猫ブログや猫写真をたくさんSNSで発表したりするだけで自己満足を得ていたかもしれません。若い頃が、そんな手軽な表現が可能でなかった時代でよかったと思います。
今の執筆は、自分の哲学を伝えたい部分はいくらでも「爆発」できるというかインスピレーションにうながされますが、地道な作業もたくさんあるので、時々は何で私はこんなことをしているんだろう、とも思います。
でも、少数でも、心から共鳴してくださってくれる編集者や読者の方々からいただける応援に励まされています。
この掲示板は、2008年に当時あるサイトへの質問に答えてもらった経験への感謝から、純粋にボランティアとして始めたのですが、こうして皆様とつながることができて感謝しています。
ありがとうございます。
2018年がより平和な年になりますように。