2018年の投稿

Sekkoさま

小寄道 · 2018-10-16 17:10:34 UTC+9 · 投稿 #1088

ネラン神父は、日本の学生たちには生きたフランス語、ネイティブの発音で話しかけることを心がけたそうです。
日本語を使いすぎると、むしろ注意をうけたとのこと。

積んどく本になったかもしれないネラン神父の本、お蔭さまではやく読め、じつは愛着がわいてきたのでした。
遠藤周作の『おバカさん』もブックオフで見つけ100円で買うことになりました。

ということで、いろいろと有難うございました。では。

問題ありません

Sekko · 2018-10-15 22:31:27 UTC+9 · 投稿 #1087

いえ、ブログにも書いていますが、ネランさんとは、確かフランス哲学の枠の授業に出ていただけで、提出したふたつのレポートへの書き込みだけが個人的な接点です。
彼がフランス語しか話さなかったので、フランス語が苦手な私は話そうとも思いませんでした。実は日本語がペラペラでいろいろな学生とも接点があったんだなあというのはそれこそ文庫本やネットで知りました。大体彼が宣教師であったという認識があったかどうかすら覚えていません。普通の背広でしたし。アヌーイ神父はローマンカラーの司祭服でいかにもという感じでしたが、和文仏訳の授業で日本語ペラペラなのが分かっていましたから。

情報量の違いもありますが、若い時の方が警戒心が強かったというか、今思うともったいないことをしたなあ、と思える貴重な先達との出会いを無駄にしたのが悔やまれます。

どちらにしても、ネラン先生に教わった(猫に小判でしたが‥)ことがあるのは事実ですからお気になさらないでください。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-10-15 21:36:04 UTC+9 · 投稿 #1086

ご丁寧な返信と、愚生のミスへの心づかいに頭が下がります。

ネラン神父のことですが、「私は個人的にお話したこともなく」とありますが、 竹下さんのブログ2010-12-26の「2人の神父さんの思い出」によると、
ネラン神父からフランス語をマンツーマンで習ったのではなかったのでしょうか?
拙ブログには、その旨のように書き記しています。

「直接関わったことのあるカトリック関係の人はアヌーイ神父とネラン神父の2人だけ」ということで、こちらが勝手に師弟関係のように思いえがいたのです。
拙ブログの修正は必要ですか?

『おバカさんの自叙伝半分』を半分ほど読みました。
長崎から出てきたネラン神父は、真生会館を拠点にして宣教活動をしていたのですね。
三浦朱門さんの洗礼も、ネラン神父が真生会館でとりおこなったと書かれてありました。

そういった典礼のような儀式もおこなう会館なんですね。
愚生は、信者さんの便宜をはかるとか、宣教PRのための施設なのではと思い込んでいました。

ともかくも、色々とありがとうございました。

小寄道さま

Sekko · 2018-10-15 18:45:17 UTC+9 · 投稿 #1085

まず、ネラン神父のサイン本、どうぞお手元に。私は個人的にお話したこともなく、自筆サインも見たことがありませんが確認してくれる人は多いと思います。日本語の字がかわいいですね。

ネットで信濃町(特に真生会館のある北側)の地図を拡大なさると分かりますよ。中央線の各停でここから乗る人が隣の乗客にパンフレットを配っていたのを見たこともあります。
創始者のいう通り平和のために活動してくれることを期待しています。

真生会館の字の間違い、「私」的には気にならないのでスルーしてください。分かっていても、近頃のキイボードは勝手にどんどん変換していくので私もしょっちゅう、笑える間違いから蒼くなる間違いまであれこれ発信してしまってます。真生会館の人だってよくある間違いだからいちいち気にしてないと思いますよ。
まあ「真生」というのはキリスト教のキイワードのひとつだからもちろんリスペクトです。「真正」の方が「うちが正しい!」っていう感じでキリスト教的謙虚とずれます。
でも外部の人がうっかり書いちゃうのは別に失礼ではないのでは。

どちらにしてもそんな字面の間違いをいいつらうような場所では私はお話しませんから(というより依頼もされないでしょうが)ご安心を。

誤字のお詫び

小寄道 · 2018-10-15 08:11:33 UTC+9 · 投稿 #1084

10月15日の竹下さんのブログを拝見して驚愕しました。
真生会館を「真正」として、小生のブログに記述していました(さっそく拙ブログは訂正しました)。
心よりお詫び申し上げます。関係者の皆さまには多大なるご迷惑をおかけいたしました。
たいへん申しわけありませんでした。
当掲示板でも、前回は正しく表記しているのですが、前々回には「真正」となっています。
生来の粗忽ものとはいえ、間違いは許されない固有名の誤記です。

竹下さんには、いらぬご心配をおかけしたようで、ほんとうにごめんなさい。
来たるべき真生会館の講演にも、小生の顔を出せるのか恥じ入る次第です。
歳のせいとは申せませんが、どこか弛緩していました。深謝いたします。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-10-14 01:17:03 UTC+9 · 投稿 #1083

ネラン神父の自筆の献辞だとして、竹下さんのお墨付きを得たので至極うれしいかぎりです。
もし、神父のサイン本に愛着があるのでしたら、プレゼントさせてください。
喜んで受けとってくださるのでしたら、それこそ神様のおぼし召しではないでしょうか。

信濃町周辺は、もともとS学会の聖地なんですか? なんといっても四谷怪談のお岩さんの神社、お墓?、それに慶応病院、東電病院(今は移転?)、文学座もありました。近くに文化放送もありました。
S学会は後発で、お金とコネの力にまかせて・・。いや止しましょう。

真生会館での講演が楽しみです。
新著は読了し、いま『無神論』を少しずつ読んでいます。


小寄道さま

Sekko · 2018-10-13 23:30:22 UTC+9 · 投稿 #1082

ブログ拝見しました。おお、ネラン神父の自筆の献本ですね。

こういうサインの文字、きっと普通のフランス語の筆跡もこんな感じだったのだと思います。
フランスには学生などがタイプライターを使う文化がなかったので、一昔前は神父さんたちもはじめとしてほとんど凹凸のない筆跡がおおく、手紙を前にしてまず内容を想像してからそれに当てはめてやっと解読なんてこともありました。なつかしいです。

私のブログをまとめて出版してくださるという方は、実は、ネラン塾の塾頭をしていた方で「エポペ」の初代社長をなさっていた方でもあります。
お知り合いになった後でそのことを知り、奇遇だと思いました。
めぐりあわせとは面白いですね。

真生会館は便利なところなどでどうぞ。S学会の「聖地」にカトリックの飛び地があったなんて私もまったく知りませんでした。(普通のところなら特に書きませんが、信濃町ということで、わざわざ「カトリック真生会館」とご報告する時もあります。でもそれは「S学会の会員でない方でもどうぞ」の意味なんですけれど…)

Sekkoさま

小寄道 · 2018-10-13 14:22:16 UTC+9 · 投稿 #1081

ネラン神父のこと、小生のブログにちょっと書きました。ご笑覧ください。
このたびの真正会館での講演会、信者でなくとも参加できるとのことでしたので予約しました。楽しみにしております。

毎日のブログ、拝読していますが、内容が広く濃く深く、コメントを書く余裕がないほど、付いていくのがやっとの状態です。
「ヴェズレー」のあたりから、置いてけぼりをくってしまいました。ヴェンダースやアズナブールのとき、コメントを書けるチャンスはあったのですが・・。
読む方は楽ですが、毎日の執筆ほんとに竹下さんは凄い! とにかく頭がさがります。
どうか、お体を大切になさってください。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-09-18 04:23:46 UTC+9 · 投稿 #1080

「泣く」セラピーが大はやり,なんてわたしも初めてきく話です。
涙を流す精神の浄化作用はたしかに一時、健康を保つために必要なことだと業界メディアでも喧伝されていたかな・・。
今は、感情を抑制することがクールな時代らしいですから。
でも、「泣く」ことのセラピーそのものは、感情のコントロールが得意の、役者や演劇関係のかたが運営したとしたら、けっこうな集客で評判をよぶと思います。

勝手なパリへの思い込みを書きすぎましたね。フランスの「知」に対して貪欲な若い頃の「竹下節子」像を勝手に想像したのです。ごめんなさい。

「若い頃にネットがなくてよかったと思います」との実感は、ほんとにそう思いました。
ピーター・ドラッガーが警告していました。
ネットでの情報の出し入れは「知の蓄積」と「知の整理」を自分でこなしたとカン違いさせる、と。
そんな身も蓋もないことを言っています。でも、確かにとても怖い、取扱い注意なしろもの、それがネットなんでしょうね。

一方で、書くことの習慣や、ある種のコミュニケーション能力の獲得を、客観的に確認でき、追体験もできる。そんなネットの効用も見過ごせない。

両刃の刃的な要素もありますが、とにかくSekko様には末永くブログを続けられるよう、祈るのみであります。

ブログの内容をまとめて出版するなんて、これはもう興味津々です。
どんな編集方針でコンテンツを整理するか、それだけでも編集者なら何時間も話し合えるおいしい話題。
これはファンの端くれとして、ボランティアで編集に携わりたい気持ちが湧いてきました(マジで)。
愉しみがまたひとつ生まれました。

小寄道さま

Sekko · 2018-09-17 06:54:52 UTC+9 · 投稿 #1079

これを読んだ後、夕方の公営放送のニュースで日本のことをやっていて、日本では働いている人のストレスが大きすぎて、「泣く」セラピーが大はやり、というのを紹介していました。子供が死ぬとかの悲しいフィクションの映像を見せてみんなで涙を流してすっきりするという催しです。

私は日本の雑誌をネットで定期的に読んでいますがそんなものを知りませんでした。でも、まるで日本で大はやり、みたいな報道のされ方で、今は日本やフランスの30代くらいのジャーナリストが、ステレオタイプかサブカルみたいなものばかりを拾っているのでしょうか。

コレージュ・ド・フランスは今でも、登録もなしで無料で誰でも行けるのでその文化価値は素晴らしいと思います。昼間はリタイアしたシニアが多いです。
私は学生時代、ソルボンヌの講義もいろいろ聴講しようと登録していましたが、階段教室で教授も点にしか見えなくて、集中できませんでした。ルーブル美術館付属の学校にも聴講生として通っていましたが、これもスライドが多くて暗くなるとよく居眠りしてしまいました。でも聴講生カードを持っているとすべての国公立美術館博物館は無料だったので続けましたが。

日本の大学院ではずっと少人数のクラスばかりだったので数が多いクラスは無理だったのです。一番長続きしたのは高等研究所でした。

思い出はいろいろありますが、この先「パリ語り」というのは多分しないでしょう。
今は多くの方がブログやFacebookで情報を発していらっしゃいますし。

若い頃にネットがなくてよかったと思います。
きっとせっせとブログなどを更新することで満足して片端から忘れていったかもしれません。猫ブログとかイラスト・エッセイのブロガーになっていたかも。

今でも、ここ10年ほどブログを書くことで、覚書のつもりだったのに、何となく記録したことで安心して、何を書いたかどんどん忘れていきます。何か興味があることができて日本語で検索してみたら自分のブログが出てきたりというのもよくあります。

でも、ブログを愛読してくださっている方もいらっしゃるのでがんばって続けます。
(ブログの内容をまとめて出版したいと言ってくださる話もあるので期待しています)

パリを書いてほしい

小寄道 · 2018-09-17 02:03:04 UTC+9 · 投稿 #1078

Sekkoさまがパリで暮らしはじめた頃、コレ―ジュ・ド・フランスでイヴ・ボヌフォワの講義をうけたとのこと。
それもジャコメッティについての作品論とのこと。
決して到達することのない作品は、マチエールがそぎ落とされ、イマージュは確かなフォルムとなった。
その逆のプロセスではフォルムは消失し、屹立したイメージだけを見せる。
そこに宿る「生命」だけを、アルベルトは見つめていたかっただけ・・。

ボンヌフォアではなくボヌフォワなんですね。100人近いひとが彼の講義に耳をかたむけていたんでしょうか。ゆっくり話す人だったんでしょうか? (そう思いたい)
羨ましくてしょうがない。ジャコメッティのアトリエは小空間らしいですが、なんとイマージュの実存たちが濃縮して、しかも節度のある空間というか、身が引き締まります。

須賀敦子さんがミラノを書いたように、竹下節子さんにもそろそろパリを書いてほしいです。
複雑で、強靭で、強面のパリを語ってほしいです。
でも、聴こえてくるのはバロックの瀟洒な響き、ときに猥雑なシャンソンがBGMで流れてくる。そんなパリを書いてほしい。
もちろん、私の勝手の妄想と、ないものねだりなんですが・・。

というのは、こちらでは、印象画と浮世絵・漫画、そして美食と和食・食器などがチョイスされたパリ。そう、美術と食べものばっかり。
昨日、NHKBSはそれで4時間ぐらいの特番をつくる始末でした。(半分も見ませんでしたけど)

5,6年前だったかな、全一冊のボヌフォワ全集(翻訳版宮川淳? 出版社名忘却)がでたのですが買いそびれました。もう、どこを探しても見つかりません。

最後に。コレ―ジュ・ド・フランスについての現況についても、いまどんな人が講義しているのか、それがパリ市民に受け入れれているのか・・。
Sekkoさまが興趣をそそられるものがあれば、ぜひ記事にしてください。
毎度の乱文 失礼いたしました。

ご検討のお願いです

宮地冬子 · 2018-09-13 13:17:24 UTC+9 · 投稿 #1077

竹下節子様
初めまして。私は日本キリスト教団出版局というプロテスタントの出版社で編集を担当している者です。
ご連絡先がわからず、このような場所から失礼します。
私たちはキリスト教信徒のための月刊誌『信徒の友』を発行しているのですが、12月号の企画を行なっています。
今年のクリスマス号で「ヨセフ」を取り上げるのですが、竹下節子先生にご寄稿いただけないかと思い、おたよりする次第です。もしもご検討いただけますなら、大変恐縮ですが、下記にご連絡いただけないでしょうか。あらためてご相談させていただきたいと思います。
ご多忙と存じつつ、大変不躾なお願いで恐縮ですが、ご検討いただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
日本キリスト教団出版局 『信徒の友』編集部 宮地冬子
shintomo@bp.uccj.or.jp

(無題)

レンコンです · 2018-08-24 14:44:48 UTC+9 · 投稿 #1076

公開出来ないように、管理人メールで、タケノコちゃんに送ろうとしたが、送れませんでした。日本に来られる日を教えて欲しいです。
講演などされるなら、そこで、お話が、出来れば良いかなと思っています。
エンチャンに伝えたら、懐かしいなあと言ってました。私は、スマホなので、なかなか伝えるのに、時間がかかります。

サウジアラビア

sekko · 2018-08-22 20:28:50 UTC+9 · 投稿 #1075

あの本を書いた時、義弟から、王家のこと、イスラム教のこと(特に批判)には絶対触れないというのが条件でした。日本語でもサウジアラビアという言葉を検索してチェックがされているということでした。

小寄道様は理解してくれますが、当時、フェミニストの方から、私はサウジの女性を羨んでいるように書いているとネットで言われたことがあって驚きました。

半年後にあらゆる人がサウジやイスラムについて書き始めることになりました。
私も 新潮45などに書きました。

今、ブルゴーニュの修道院跡のレストランのテラスでこれを書いています。

来週はトリオの仲間とも練習を再開するので色々聞いてみますね。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-08-22 15:53:28 UTC+9 · 投稿 #1074

ジョニー・アリディの追悼ミサの記事を読みました。あらためて彼が、フランスの特に白人層に精神的な影響を及ぼしたのかが実感した次第です。
平日ミサは50人だが毎月9日の彼のミサには今や1000人が集まるとのこと。
ギターを抱えたキリストではないですが、奇跡に近いようなことを成し遂げていて、いつかはポップな「聖人」として祭り上げられるような・・? これは冗談です。

「破天荒な生活を続けたロックンローラーの秘める、ある種の無防備な弱さというものに人々は惹きつけられる」とありました。
やはり、ジョニー・アリディの言動やロック歌曲の世界観が、白人フランス人の心性にジャスト・フィットしたんでしょうね。
私はアリディを全く聴いたことがないので、なんとも論評できませんが、竹下さんにしても畑違いのアーティストでしょうから難しいのかな。

たとえばアンサンブルのお仲間たちは、どのようにアリディを評しているのか、フランス人として共感・共振するものは何か、きいていただけないでしょうかね。
気を長くして待っています。

追記:『不思議の国サウジアラビア』2日前ほど読み終えました。あの3.11の6か月前に上梓されていたのですね。驚きでした。

実際に短期間とはいえ、サウジアラビアで生活なさっていたこと。この国の社会の中枢と周辺を把握して、欧米、対イラン・中東全体の地政を概観しながら論じていらっしゃる。
宗教論とジェンダー論、資本主義とイスラム教etc. 論点は多岐にわたり、その分析は納得がいきます。

9.11以降、日本では様々なイスラム専門家が登場しましたが、竹下さんのこの新書は、当時の彼らよりも格段に優れた視座をふまえています。

日本のメディア言論界が、いかに幅広く深く情報を読み込んでいないか、ジェンダーギャップなるものに惑わされているか、このことでよく分かりました。
この本をきちんと読みこんでいた人が如何に少なかった・・情けない、残念です。

今『テロリズムの彼方へ、我らを導きものは何か』の1部を読み終えたところです。
この本もまた、付箋を貼りつける箇所が多く、一神教のイスラムとプロテスタントの相剋もしかり、アメリカとイスラエル、そしてサウジアラビアとイランなどのパワーバランスに考察が繰り広げられます。

もちろん深部には、イスラム教だけでない「ファンダメンタリズム」の狂信性や非人間性についての洞察があります。
このへんのお仕事は、竹下さんならではの視点というか力量が発揮されていると感じました。
読了した後で、ふたたび感想を書くようにします。

この私が論評できるか自信ありませんが、例の3部作をきっちり読み直してトライし、拙ブログにて展開してみたいです。いつになるか・・。

ただ、ノストラダムスって、「終末論」だけの印象ですが、それほどに重要なテーマなんでしょうか。(すみません、まだ読んでいません)

立教大の講演会に行きたかったです。この時代のアーカイブは、ご著書以外にインタビューとか講演記録などネットで読めないでしょうか?
貴ブログには、まとまっていないようですが、差し支えないようでしたら教えてください。

思わず長文になり、申し訳ありません。

(無題)

吉田礼子真田山小学校同期生神月礼子あだ名レンコンお礼と今 · 2018-08-16 21:45:58 UTC+9 · 投稿 #1073

早速の返事ありがとうございます。カンチャンや同窓生に知らせたら、みんなは、喜んでいました。10月の下旬に来られるようですが、近づいたら、詳細を知らせてくださいね。
ぁか

吉田さま

Sekko · 2018-08-16 16:37:11 UTC+9 · 投稿 #1072

個人情報がここに載らないように、掲示板の下にある「管理人」宛メールでお願いします。
いただいたメール・アドレスは正しいものではないようです。戻ってきました。
もう一度お知らせください。

吉田礼子さま

Sekko · 2018-08-14 17:21:45 UTC+9 · 投稿 #1070

怒涛の経歴ですね。でも昔からカリスマ性のある方でしたから納得がいきます。

獣医について私が言ったことは覚えていませんが、私のサイトやブログの猫カテゴリーの記事にもあるように、私は今、猫ファンです。

子供の頃は犬を飼っていたので、自分は犬派で猫は苦手だと思っていました。その理由の一つがあなたです。だって、いつも、手とかに引っかき傷があって、猫に引っかかれたということで、猫ってなんて怖いんだろうと。その後、ご実家のお寺に行った時、猫を見せてくれて、ごろんと転がして手でノミをとるところを見せてくれたんです。虫嫌いの私にはトラウマ。猫=引っ掻く=ノミという先入観ができてしまいました。はじめて猫を飼ったのは30歳の時で、それからずっと猫ラブ人生が続いています。

でも、おもしろいですね。私のことをタケノコちゃんと呼んでいたのはレンコン(レンコンちゃんではなかった)とエンちゃん(エンドウさん)だけという記憶です。彼女はいつも私の手をとって私の手のファンだとなでさすってました。タケノコとかレンコンとか菜食エコロジーだなあ。

10月下旬に日本に行きます。

9月にはキリスト教と共産主義の関係についての単行本が出るのですが、その中で日本共産党についても触れています。

(この掲示板の下にある「管理者にメール」宛にメールしてくだされば管理者からの転送があり次第、お返事します。普段は使っていませんので悪しからず。)

お礼と現在の状況

吉田礼子真田山小学校同期生神月礼子あだ名レンコンお礼と今 · 2018-08-14 15:59:49 UTC+9 · 投稿 #1069

お久しぶりです。覚えていますか?私は、小学校時代は、学校は、1日も休まないで、通ったが勉強はほとんどしなかった。しかし、動物が好きで動物を助けることが出来る医者になりたいとタケノコちゃん(あなたのあだな)に言ったら、「それは、獣医と云うよ。大学に行って、国家試験を受けて、合格しないとなれないよ。」と言ってくれたので、勉強し、なんとか獣医資格を取りました。その間人間の成長に大きく関われる教師の道に惹かれて、遅ればせながら、私立の高校理科の教師になりました。
そこでは、公立を不合格になった生徒が多く、少しでも保護者の負担を減らそうと保護者や子どもたちとともに私学助成署名運動をしました。
そんな中、社会の動きの不条理に怒りを持ちました。そこでより良い社会を目指して頑張る日本共産党の議員をしました。
7期24年2ヶ月で脳梗塞になり、引退しました。
今は、軽度で済んだので命ある限り、現職のとき出来なかった手話の勉強、要約筆記の勉強をしています。
いつか手話通訳者登録試験に合格して通訳をしたいと思って頑張っています。このように、何事にもあきらめない生き方を学べるようになったのも、あなたのアドバイスのおかげです。ありがとうございます。
あなたがフランス在住で、ゆっくり話が出来ず残念です。
あなたの作品(ジャンヌダルク超異端の聖女)(戦士ジャンヌダルク)などを読ませてもらいました。
ますます、お礼も含めて今のお互いの考えなど話をしたいと思いました。とにかく、連絡出来たら嬉しいと思って書きました。

スイス鉄道のように さま

Sekko · 2018-08-10 23:45:52 UTC+9 · 投稿 #1068

前回の答えをもう一度ご覧ください。

>>>生産性、効率、富、出世、名誉...これらのものは、特定の時と場所、場合によっては共有される「価値」でしょうが、これらのものを「普遍的価値」にしてはならない、というのが私の言いたいことです。<<<

もちろん、ある課題の達成を目指すグループやある共同体の目的の遂行などにおける「生産性」や「効率」は、その共同体内部での価値となるでしょうし、またその価値を共有することが共同体の姿でもあると思います。個人の生活の中でも、「生産性」や「効率」を第一に考えねばならない局面や場合も当然あります。

私の言いたいのは、「生産性」や「効率」をそういう限定から取り払って誰にでもどこにでも当てはめるような「普遍」価値に「してはいけない」にということです。

「生産性」や「効率」を追求できない人があり、できる人でも時期や場所によってはできないこともあり、それを「価値が低い」と切って捨てるようなことはしてはいけないと思います。

「貧困の撲滅」は目指さなければならない普遍価値の一つで、その目的にそって効率よく職務を遂行していく人や共同体が存在するのはありがたいことで感謝します。

それでも、その中でも、「アリとキリギリス」のアリ的なアプローチもあれば、アリを癒す音楽を奏でるキリギリスのアプローチだってあるわけで、生産性も効率も、「適材適所」を「適宜」に、という視点で見る必要があると思います。

生産性・効率と貧困...

スイス鉄道のように · 2018-08-10 21:07:16 UTC+9 · 投稿 #1067

ずいぶんあいだが空いてしまいましたが、普遍的な価値について、もう少し掘り下げた質問をさせてください。

先日、生産性や効率は普遍的な価値では無いと竹下様はおっしゃいましたが、職場で、非生産的、非効率的な人を見かけた場合、それを注意することは正義ではないということなのでしょうか?
もし、正義でないとすると、非生産的・非効率的な職務遂行が、結果的に貧困をもたらしてしまうとすれば、そこに矛盾が生じてしまうのではないかと思うのです。
なぜならば、”貧困の撲滅”は、明らかに普遍的な価値のひとつだと思うからです。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-08-08 02:33:26 UTC+9 · 投稿 #1066

ブログ読みました。まずはお礼申し上げます。
アウグスティヌスの善悪論が出てきて、人間というのはほんとに進歩しない、愚かな動物であることを痛感いたしました。
もちろん、オウムの死刑囚たちも教祖の狂気に翻弄されたのですが、世間では優秀と認定された彼らも、善悪が認識ができていなかった。

これは、簡単な二元論では、人は落ち着かないことを示唆します。
とうぜん、親や教師、あるいは司祭、大統領の訓戒どおりに、子どもは生きていかない。

教育論、運命論ではなく、生命科学的におもったりしました。

人間というものは想像力を愛すがゆえに、複雑に多元的に生きていかざるを得ない。そんなふうに直感しました。

いま、想念をとりあえず言語化していまして、乱文失礼いたします。
近々ブログにて、整理いたします。
このレスポンスは、結構ですので、よろしくお願いいたします。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-08-07 01:59:53 UTC+9 · 投稿 #1065

西川史子先生はタレントになられて、いまや視聴率を意識されての発言を心がけているんでしょうね。
世の中に皮膚科と眼科の女医さんがふえても、「開店ガラガラ」状態になります。医者と患者にも、適正な需給バランスはあるわけで・・。
とにかく、医者の思惑で病人がふえたりするわけではない。私にはやはり、この分野における考察は無理です。

そうですね、黒澤映画の「赤ひげ」のような医者が在るべき理想像だ、と考えるアナクロ人間を自認していますから。

実のところ、医者という職業は、生死にかかわること、メンタルなケアが必要なこと(母性愛でもいい)、他者の気持ちに寄りそう能力があること、手先が器用なこと、話をよく聞くこと、存在として優しいこと・・。
まだまだありますが、これらの点から女性こそが医師であることに最も適格だと思っています。

21世紀末にはそんな時代、女医が医療を司るようになってほしい、と願っている男なんです。
またまた、無駄なおしゃべりをしてしまいました。夜半から、雨がしとしと降ってゐまして、寝苦しさから解放されるのではと・・。では

東京医大の事件

Sekko · 2018-08-07 01:03:08 UTC+9 · 投稿 #1064

この問題でさらに女医さんからのこういうコメント
https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180805-OHT1T50175.html
を読んで、驚きました。

女性医師が増えると皮膚科と眼科ばかりになってしまう、というところです。

女性は緊急手術が必要だったり、直接生死にかかわる分野よりも比較的「きれいな」皮膚科と眼科を選ぶということなのでしょうか。

フランスとは全く違います。
フランスは医学社会主義みたいな国で、国立大学医学部一本のピラミッド型ですが、国家試験の成績順に希望の分野での研修を選べて、成績のいい順から皮膚科と眼科が希望されるのです。もちろん親代々の分野を選ぶとか、ある分野に特に使命感のある人はいますが、とにかく皮膚科と眼科は突出して競争率が高く、たとえ後で専門を変更しても、「皮膚科でインターンをしていた」という実績だけで高く評価されます。

要するに、フランス人は、医師になっても、私生活や余暇を充実させたい、だから、すぐに命にかかわらないような皮膚科や眼科に人気が集中する、しかも、眼科は開業する時に機械類の購入が高くつきますが、皮膚科は楽なのでさらに競争率が高いというわけです。
伝統的にユダヤ系の家庭は代々の医師が多いので、それがまた別の系列を作っているところも日本では想像できませんが。

まあ、一般のフランス人はこういう事情を知らないのですけれど。

とにかくフランスの医者修業は大変で、そのためにイギリスなどで医師免許を取ってからフランスで資格を認定してもらうフランス人もいます。

歯科も一年目は医学部と同枠なので、一年目の振り分けテストの順位によって医学部には進めないで歯科に行くケースが普通です。(開業すると装置類の購入に費用がかかるので、親の後を継ぐなどの理由で、成績優秀でも歯科を選択する人ももちろんいますが。)

外科志望に男子学生の率が高いのは確かですね。

「患者」側からみたら、男でも女でも「優秀」で「人間性」豊かな医師に診てもらいたい、のが誰でも思うところでしょうね。
ロボット医療も進む時代、どちらにしても「腕力」はあまり関係なくなるでしょう。

そして「優秀な女医」が次世代の子供のために産休育休をするのを支える体制をつくるのは長い目で見て大切なことだと思えます。

しかし、この騒ぎは、まるで、「対等な条件では女子に劣る男子学生」への「逆差別」みたいに見えて、男子学生にも失礼な気がします。「機会均等」はリスペクトされるべきだとつくづく思います。

Sekkoさま

小寄道 · 2018-08-06 01:37:26 UTC+9 · 投稿 #1063

病院が、企業としての機能を充実させる。それは理解できます。
ただ、それが短期的な経済効率とか、利益率の向上を目的にすると、長期的には医療そのものの低下、ひいてはブランド力は落ちるでしょうね。

産休、子育て期間を保証しなければならないが、飛び切り優秀な女医さんが2,3人いるだけで、患者さんはやってきます。需要も、未来もある。(腕のいい女医の存在、それだけで集客力は高まる)

そんな可能性のある女子学生をはじいて、出来の悪い・向上心のない男子に投資して医者に育てる。医療ミスを犯しやすい、それを隠蔽するような男性医師になる蓋然性だってある。

コスパを考えたら、どちらを選ぶのか歴然だとおもいますが・・。まあ、これは極端な例ですが、日本ではどういう訳か、医者はたいへんに優遇され過ぎている。

歯科医院の場合、私が住む街は(東京のやや中心の場所ですが)、コンビニの数より5倍ぐらいあります。それでも、成立するマーケットなんです。
いや、ある意味、過剰かつ疲弊した「社会保障」が、いまの医療体制を支えています。
逆を言えば、医者の所得を税金が保障している。まさに、悪循環の構造にはまっています。

アメリカはもう半分、崩壊しつつありますが、宗教組織のバックアップなり、その精神をうけつぐ財団があって、それなりに機能している。
日本のそれは、消費税を20%ぐらいに引上げないと制度崩壊するでしょう。
じゃ、上げれば済むかの問題じゃない。

ということで、身も蓋もないおしゃべりになって、すみませんでした。

それにしても、ジダン。キャプテン翼に憧れて、あれだけのスーパースターになった。
美人のフランス人女性を伴侶にしたそうですが、なぜ日本の女性じゃなかったのか・・。

読んだことのないマンガですが、翼にとって心身をささえる、魅力的な彼女(日本人)がいなかったのかもしれませんね。