またホームレスなど

またホームレスなど

Sekko · 2007-02-02 22:20:40 UTC+9 · 投稿 #267

私はカトリック生活という雑誌に『カトリック・サプリ』というエッセイを連載しているんですが、去年の10月号に『もう一つのワールドカップ』というのを書いて、9月の末からケープタウンで行われたホームレスのサッカーワールドカップのことを紹介しました。パリで毎週土曜、ホームレスがコーチ付で練習していて、そのキャプテンはトーゴ人だという話。住居証明がないのだから絶対滞在許可証もないと思うし、ましてやパスポートなんかもないと思われますが、彼らがフランス代表として南アフリカに行きました。主となる資金を出しているのは、フランスのサッカー連盟で、各地のサッカークラブが連盟規約に違反したときの罰金とかをためてるという話でした。規約違反の罰金を使って、フランスの不法移民みたいな人たちを堂々とケープタウンに送り込んでまた帰らせるという法律侵犯をやっちゃうのが痛快です。法律よりも人間が大事という原則が優先なのがはっきりしている。「この地球に外国なんかない」と言って不法移民を守るフランスのカトリック教会の支援も大きいみたいです。サッカー連盟なんかは自由意志で加入するのだから規則厳守というのは分かりますが、貧しい国に生まれて、移民先で住まいを失うというのは自分の力ではどうにもならない部分が多く、それでもスポーツを通して連帯できるというのが彼らの尊厳の一部であり、法律に例外を設けてもそれを支えるキャパシティがこの国には一応あるのでしょう。
それで、最近、読者から、このワールドカップに日本は参加しましたか?という質問がありました。答えはノーです。第4回ホームレスのワールドカップ、48カ国参加で行われ、ロシアが優勝したようです。日本が参加してないのは、ホームレスの尊厳は最低減の福祉でOKと思っている人が多いですから、メディアがつかないと、つまりスポンサーがつかないと、こういう活動が日本では難しいのかもしれませんが、何よりも、ホームレスのチームを外国に遠征させるための特別のパスポートとか、お役所手続きの段階で不可能な気がします。フランスにいるトーゴ人でもOKなら、日本でもブラジル移民で不法滞在になりホームレスになってる人とかいれば結構強いチームができそうだと想像しちゃいますが、あり得ないのかな・・・
ちなみにこのワールドカップのホームページは
http://www.homelessworldcup.org/content/teams
です。
といっても、アベ・ピエールの死のニュース一色だった厳寒の一週間が過ぎて、今週は寒さも急に緩み、もう誰もアベ・ピエールのことを口にしません。われわれの日常の安逸に刺さったトゲを彼と一緒に埋葬してしまったのかもしれません。それでも私は、アベ・ピエールとホームレスのことがずっと頭から離れませんでした。むしろ、彼に死なれて、初めて胸にトゲが刺さったみたいです。そして、偶然、彼の葬儀の後の一週間、引きこもりがちの私には珍しく三回外出したのですが、複雑な気持ちでした。最初は、うちの町のバロック・フェスティヴァルのオープニングコンサート、次はパリのエドゥアール七世劇場でヴァレリーの『固定観念』、昨日はヴィレットの科学産業博物館の技術革新観測所コーナー新設披露のパーティでした。先の二つについてはアート評論やバロック音楽室にコメントを載せます。
昨日は、立派な展示場を見て、ヌーヴェルキュイジーヌ風の美味なビュッフェを味わい、興味深いコーナーもありました。たとえば、遠近両用レンズの技術革新の歴史のコーナーで、鏡を利用して、目の前にある赤い棒と、はるかに高い天井につけられた黄色い四角の板を同時に見えるようにしてあるのです。ボーっと見てたらどちらもみえるのですが、どちらかを凝視したら、片方が視界から消えていくのですね。人間の目は遠近どちらかに焦点を合わすと片方は消失するという仕組みになっていてそれを体験するわけですが、遠くの黄色を見てると見えてたはずの赤がだんだん消え、赤を見てると黄色がふっと消えるのには、怖くなりました。よく近視眼的な見方をするな、とか比喩でいいますけれど、本当に、近くの物を見ると遠くの物が存在しなくなんですね。逆もまたそうです。天下国家を論じてる人が家庭で家人をかえりみなかったり、日常に埋没してると、世界で何が起こってても無関心とか、そういうメカニズムは生存戦略の一つなのかもしれませんが、「当座は見えないからといっても存在していないわけではない」モノやコトがたくさんあるというのは肝に銘じておかねばならないと思いました。
それで、このパーティは招待された人150人くらいいたでしょうか。もちろんプレス関係者のコーナーもありましたが、なんというか、微妙な違和感があり、要するに、いわゆる白人しかいないんですね。黒人はもちろん、アジア人も私を除いて、全然見かけませんでした。中国人のジャーナリストとか、インドの研究者とか、もうちょっと国際的でもいいのに。招待してる側は文化通信大臣がトップで、「フランスの技術革新にもっと力をいれよう」的な演説もあったので、まあ、愛国的プロジェクトだったのかもしれませんが、普段、フランスとはもう白人のフランスじゃなくて、共和国の公民のフランスというイメージがあるので、やや意外でした。そしてそこに来てる人は、この博物館に来たければチケットを買えるだろうし、おいしい食事をしたければレストランに行けそうな人ばかりなのに、みんなタダで入って、繊細な料理を楽しんでいるんです。その空間では凍えるホームレスとか不法移民者や炊き出しとかの世界は、遠景の黄色の板と同じで見えていず、存在しないんですね。
ヴァレリーの対話劇の上演の劇場もそうでした。満席でしたが、私の見る限りでは、ただ一人の黒人も私以外のアジア人もいません。もちろん、ヴァレリーの芝居を観たいという人は、フランス語が分かりある程度の年配で、というのは分かりますが、博物館も劇場も、一歩外に出れば、アラブ人、黒人、ツーリストというパリの風景になじみの人々が歩いてる場所にあるんです。それなのにそこに突然ゲーテッド・コミュニティが出現したような別世界です。
パリ郊外にあるうちの町の劇場もそうです。通りにはここ15年で10倍くらい増えた黒人が普通にたくさん歩いてるのに、いったん劇場に入ると昔ながらのフランスの村のおじさんおばさん、みたいな人たちが和気あいあいとやってるんです。後のカクテルパーティも、シャンペンにプチフール、さすがフランスで、いつもなかなかお味がいいんです。みんなリラックスしてる、そう、リラックスしてるんですね。ホームレスの見えるところ、移民がたむろしてるところでは、「古きよきフランス人」はリラックスできない、この現実。それもショックです。このバロック・フェスティヴァルは、やはり、招待状を持って参加したのですが、なければ金を払ってチケットを買ったと思います。しかし、こういう招待状は、偶然、もともとチケットを買う能力のある人の所に来るんでしょうか。フランスはユニヴァーサリズムの公民主義の国なので、住民のエスニック別の統計が禁じられています。だからアファーマティヴ・アクションのような逆差別はありません。でもまったく機会均等なら、エスニックの現実を反映していてもおかしくないのに、現実は、「格差」が存在し、教養のある美食家がますます教養をつけておいしいものを提供されるんですね。
アベ・ピエールの葬儀の最前列にエマウスの代表者といっしょにずらりと並んでた政治家や著名人たちは、毎日夜になったらディナーやカクテルパ-ティへと出かけていくんでしょう。ソシアルのフランス、そしてブルジョワのフランス、二つが厳然として存在する。当たり前かもしれませんが、うちにいてパソコンの前にいるか楽器の練習してるか、ネコとごろごろしてるという毎日ではつい忘れてしまうのもまた現実です。
ええと、でもフランスのユニヴァーサリズムの名誉のために一言書いておくと、そこに黒人がいたとしても差別されないと思います。「そこに来た」と言うこと自体が人種を超えたラベルになるからです。これがコミュニタリズムの国なら、金持ちの黒人が金持ちの白人の住む地域に引っ越すと有形無形に差別されます。でもパリなら、金持ちの地域にアラブの金持ちや日本の金持ちが来ても「金持ち同士」で受け入れてもらえます。ちょっとエキゾチックならむしろ故なく尊敬されたりさえします。(そういう意味では私はどちらかと言えば得してきたのでフランスは住みやすいと思ってきました。もちろん金持ちのグループじゃない「普通のフランス人」グループでの話ですが・・)
今日はこれから、今週4回目の外出です。ポルト・ド・ヴェルサイユでやってるプレタポルテの見本市です。これはバイヤーだけの閉じられた場所ですが、少なくとも国際的なはずです。音楽とか演劇とか国の威信をかけた技術革新とかじゃなく、商売というのはプラグマティックなグローバル世界だし。日本のブランドももちろん出店してます(末娘がロンドンから来てマヌカンのバイトをやってるのでちょっと見せてもらおうと思って)。
週末はエマウスに娘たちがもう着ない服を持って行かなくては。アベ・ピエールの残した刺の先をなでながら、博物館の天井の黄色い板のことを思い出しています。