信用と危機管理

信用と危機管理

Sekko · 2007-11-17 01:45:34 UTC+9 · 投稿 #427

多分、私たちがある人を「信用してもいいかな」と測るのは、過去のデータの分析とか経験知による、危機管理の問題なんでしょう。世の中には残念ながら悪意も満ちているので、分別や理性的判断を私たちが失わないようにするのは大切なことではないかと思われます。

で、神による赦し、信頼の回復って、危機管理と関係ないんですよ、きっと。

神さまは理性的でないんです。

理性って、人間の智恵ですよ。すごく大事だと思いますけれど。私は智恵の実を食べるのは大好きです。

太陽も危機管理をしません。

すごく悪いやつにでも平等に、惜しみなく 光を注いでくれます。悪いやつを日のあたらない独房に閉じ込めるのは人間なんです。
幼い子供を虐殺した者の一日にも、子を失った母のそれと同じように陽が昇る。

私たちは何かを受け取る時に、あるいは要求する時に、期待するときに、「ふさわしい」かどうかを測ります。

今の世界の成果主義とか、コストパフォーマンスなんかの考え方と似てます。

自分があることに、「ふさわしい」かどうか、人は自問しがちです。
同じ刃を外に向けて、「ふさわしくない」他者を排除しようともします。

それは、生存上の自己防衛のシステムもあるのでしょう。

多分、神はそういうロジックでは動いていません。

神には、命令し、査定し、懲罰を与える神もいるようですが、キリスト教の神は、イエスに罪を購わせてチャラにして、そういう懲りないゲームをやめてしまったみたいです。
そのおかげで、私たちは、「ふさわしいかどうか」を裁かれることから解放されたようです。「ふさわしい」からではなく、「必要としている」から、信用してもらえる、赦してもらえる、与えられるようになったのでしょう。

多分、愛というのも、理性やふさわしさの次元を超えたところにあるんでしょう。理性を働かせる時にも、万人の上に注がれている太陽の暖かさを常に感じていたいなあと思います。

太陽丸さんは、おかあさま思いなんですね。おかあさまによろしく!