聖女に囲まれて

聖女に囲まれて

太陽丸 · 2007-12-25 09:22:19 UTC+9 · 投稿 #436

お返事ありがとうございました。まずは、ディメンジョンという単語をあわてて調べさせて頂きました。そうですか、寸法ですか、否、広がりですよね。
教会では大きく二つに分けるとしたら、ご近所的な「あらまあ、なにさん、おほほほ」派か、ごく自然に人間関係をゆるやかに、しなやかに、広げていく微笑ましい派に整理されると思います。私は、できれば、後者の方でありたいと思っています。趣味の問題だとは思いますが。
スピリチュアルな場所に知人、親しい人と行くと、また、違った感慨がありますよね。そこが、面白いなあと感じます。私の父親は、極めてノーマルな典型的サラリーマンで、宗教的にも標準的というか、無宗教で、ついてきたことに驚きました。やはり、家のあちこちに、キリスト的な読み物やスローガンをはってばらまいていたので、深層意識になにか、刷り込まれた効用があったのかもしれません。
そして、まさに、父はお説教の最中に、すやんすやんと実に気持ちよさそうにお眠りになって、リフレッシュされていました。父は前方に4、5人の聖女達と右にわたくし、後ろは例の音楽教師、最後、左側への逃げ道を防ぐような形で牧師さんがいらしたのですが、その重圧にも負けず、みなさんに温かく見守られるなか、お眠りになりまして、ささやかな汗を感じました。丁度、いい温度だったとのこと。
スピリチュアルな場というのは、私の信じるイエス・キリストの神様だけでなく、きっと、他の神様や武術的な霊場として、複数存在するのかなと思っています。また、それは、地理的なものだけでなく、サイトという電気的な場や交流のなかにも、当然、立ち現れるだろうと考えておりまして、例えば、まさに、ここであったりしますよね。一つの福音に感謝いたします!
そうですよね。たしかに、教会にいける立場のありがたさに鈍感になっておりました。金銭、時間のみならず、ある種の啓示的な恵みも頂いているのですから。これからは、来れない人全てのために、少しでも祈らさせて頂こうと思います。
積極的な思いやりの想像力はイエス・キリスト的ですよね。最近、つくづく、身にしみます。自分の想像力の鈍感さが。