えーと

えーと

sekko · 2012-08-22 02:24:44 UTC+9 · 投稿 #722

この頃なんだか大羊さんへの風あたりが強そうな雰囲気ですが、私は基本的にユルい人間で、ここもユルく構えてやっていますので、みなさん、他の人のコメントにあまりセンシブルに反応しないでください。

私がこのコーナーを設けたのは昔、ネットで見ず知らずの専門家に相談したら親切に答えていただいたので何か自分にできることで恩返しをしたいと思ったのと、このサイトを始めた頃、ちょうど、ボランティアでやっていたフランス語講座をやめなくてはいけない事情ができたので、どなたでも引き続き質問できるような場所を作っておきたいと思ったからです。それ以上でもそれ以下でもないんですよ。

来ていただいた方が何かしら「役に立った」と思ってくださればOKで、「役に立たない」と思う方は来ないでいいので別に問題はないと思っています。

できるだけ特定団体や個人の批判をしないというのが私のスタンスです。また、白黒のつけられない(つまり明らかに誤認や無知があるという場合ではない)問題について意見の違う人と特に議論するつもりもありません。

大山羊さんの「アメリカ人の狂気」なんて言葉は、実は、私も内心口を滑らしたいような言葉なんですが、そういうことも言わないようにしています。

だって、いろんなところでいろんなことを見聞きすればするほど、この世にはステレオタイプがまかり通っていること、情報操作や各種誘導が蔓延していることが分かる上に、自分自身がいかにそういうものに影響されているかを痛感するからです。

たとえば、フランスにいると、アフリカの情報がすごく身近で、身近であればあるほど、もうここ何十年も、スーダンとかダルフールとかいう言葉にはすごくネガティヴなイメージを持っていまして、スーダン出身の人を前にすると、対等で自由な人間同士という感じが全然しないんです。

いや、そういうことすら意識していなかったんです。ところがつい最近、日本のあるサイトで、スーダン出身の青年の連載記事を読みまして、私の潜在的ネガティヴ感が一掃されることではじめて、それまでの内なる差別が意識化されました。

その青年は目が不自由で、19歳の時にハルツームから日本の盲学校に来たんですが、その彼が高圧的な父親に反対されたのに他の家族の支えもあって最後に日本に出発する時のシーンを読んで、もう涙がとまらなかったんですよ。

http://www.poplarbeech.com/wagamoso/007348.html

(これです。興味のある方は読んでみてください。この前のエピソードから読む必要がありますけど。これを読んで読む前よりも人生が明るくなったと感じた人は私のおともだちですよ)

もうこの家族のことを知ったからには、私のスーダン観は変わった、というより、やはり、人間や人間の集まりをいろいろな先入観で差異化していく方向は間違っている、ヒューマニズムは存在し得る、普遍主義は必要だ、と決意をあらたにしました。ポストモダンが「人間」を相対化して脱構築したり、それを構造や機能や疑似科学やあるいは科学で分析したりして、結果的に個人も人間も同時に見失っていくような時代に、「人には普遍的な結びつきや共感が可能だ」という思いを新たにしたのです。

まあ、実際の生活では、相変わらず、ちょっとしたニュースを見聞きすると、その取捨やバイアスの具合を深く考えずに、「すごい」とか「ひどい」とか単純に反応する自分もいます。

深いところで「正しい」方を直観で見抜くというようなシンプルな力は私にはなくて、良くも悪くも「教養に邪魔された」状態でずっと来たので、こうなったら考えに考え抜いて、また「相対的弱者の側に立つ」という原則を無理にでもたたき込みながら、できるだけやっていきたいです。それが曲がりなりにもうまく行ってる時は生きるのが楽しいので、間違ってないなあとなんとなく分かります。

ここでは、お互いにできるだけ自分の寛容な部分ややさしい部分を優先して話しましょう。

ご協力お願いします。