ルチア · 2012-09-08 12:23:39 UTC+9 · 投稿 #741
竹下様
「答えます」と言いながら、ずれた投稿をしてすみませんでした。
この掲示板は、竹下さんがお書きになるときは、実名で責任の所在も明らかに書かれていらっしゃいますが、投稿者が書くときは匿名で無責任な立場ですので、誰でも閲覧することができる掲示板での作品への意見はどうかと思いました。不特定の読者の方々には、是非実物の作品を観に行って頂けたらと思います。
そうですね「好み」って、実に曖昧な言葉だと私も思います。「音楽」か「味覚」だったら「好み」は、はっきりあるのかと考えてみましたが「味覚」はその人の過ごした文化の刷り込みそのものの気がします。「心地よい」「楽」とかで言い換え可能な「好み」が多いのでしょうか。
今「知の教科書・キリスト教」を読んでいます。既知の事も竹下調で語りなおされると、また面白いですし、未知の事はもちろん勉強になります。この本を最初に読むべきでしたね、御著書を読む順序が違ってました。
sekko · 2012-09-04 06:09:46 UTC+9 · 投稿 #740
辰野登恵子さんの作品に関する前述したお二人の意見の相違は、「個人の好み」を超えた何か本質的なものに触れているような気がするんです。
まあ、実物をみてないのでなんとも言えませんが。この二人とも言及しているマティスの絵も、私は「好み」ではないのですが、彼の絵にまつわる言説というのはいつもすごくよく理解できるのです。たとえばロダンも「好み」ではないけれど、アートと人間とインスピレーションの関係を圧倒的に分からせてくれます。セザンヌも「好み」ではないのですが、実物と相対するとすごいと思います。
考えたら、「個人の好み」といっても、いろいろなものに規定されていますね。ピンクのふりふりのドレスが好きな人もモノトーンのスーツが好きな人も「好みの問題」かもしれないけれど、「モテ服」とか、小さい時からピンクのふりふりを着せられてかわいいね、と言われてきたとか、オートクチュールやプレタが次のシーズンの流行をしかけるとか、社会的、経済的な刷りこみもあるだろうし、ほんとうに自由な選択など幻想なのかもしれません。
まあ私が実際に絵を購入する時の基準は、昔ながらの、「それをベッドの足もとに掛けると仮定して、毎日、一日のはじめに最初に目に入るもので、一日の終わりに最後に目に入るものだという想定に耐えられるか」、ということに尽きるんですけどね。
ルチア · 2012-09-01 23:12:53 UTC+9 · 投稿 #739
はい、行きました。
竹下さんが貼ってくださったサイトも拝見しました。
感想は、個人の好みという事で…。同時展示の柴田さんの写真、素晴らしいし共感しました。
竹下さんの滞日中ですと、ご参考までに。
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html http://www.watarium.co.jp/ 小さなギャラリーですが、入っている倉庫ビルが不思議↓。
http://www.takaishiigallery.com/ http://shugoarts.com/ 他にも推薦ギャラリーはあるのですが、↓が参考になるかもしれません。(日本語の総合サイトが見つからなかった)
http://thetokyofiles.com/tokyo-art-galleries/ 私がパリに住んでいたら
http://friezelondon.com/ (遠いけど)
http://www.fiac.com/#axzz256bCsA1t 行きたいです。
Jean様
文末になってしまい申し訳ありません。投稿有難うございます。いつも的確なアドヴァイスを頂き感謝しています。
伝えて下さった事を心に留めております。
jean · 2012-08-29 00:25:31 UTC+9 · 投稿 #738
ルチアさん、「依存症怖いので、しばし退場」なさるそうですが、退場してもベンチに残って試合を眺めているのも悪くないですよ。ルチアさんの「退場」の意味は、書き込みはやめて見るだけ、と勝手に解釈し、今日もここにアクセスしておられるものと思って、以下に私のつぶやき、というかおしゃべりをアップします。
宗教が神棚に飾っておくだけのものであれば、それはなくてもいいものと私も思います。ルチアさんはカトリックに、そのような飾りではない何かを感じておられたのに、「現実に立ち会うと」その何かはどこかへ行ってしまって、戸惑ってしまう。そのきっかけとなっているのが、ミサ説教での神父さんの政治的な発言。ルチアさんがいま、疑問に感じているのは、こんなところなのでしょうか。でも、それはルチアさんのカトリック理解が低レベルということではありません。日本のカトリックの政治活動に反対して盛り上がっているサイトもあるぐらいですから。
神父さんの政治的な話は聞き流して、ルチアさんがカトリックから受けている良い印象、飾りではない何かに向かって進んでいかれたらどうでしょう。畑には善い麦も悪い麦もあります。悪い麦のことは気にせず、善い麦を見て歩んでいくというのも、智恵のひとつではないでしょうか。
ルチア · 2012-08-29 00:05:29 UTC+9 · 投稿 #737
質問有難うございます。
時間下さい、個人的に思うところを伝えさせていただきます。
Google、私もしてしまいました。ハードル競争難しかった、あーあっ…。
この掲示板、個人伝言板になってしまうのはいけない気がするのですが?
sekko · 2012-08-28 18:44:02 UTC+9 · 投稿 #736
退場されるという書き込みを読まないで質問を送ってしまいました。
スルーしてください。
ネット依存の危機管理というのは難しいですね。
私も今は結構な資料をネットで読むので仕事もプライヴェートも重なりまくりで、ゲームをしないだけでもましかなあと思ってます。ゲームをダウンロードしてるPCを開くと時々やってますが…。オリンピックの間は、Googleを開くと、タイトルのところが毎日その日のメインの競技のゲームになってたので馬鹿な私はつい挑戦してました。カヌーとか障害物走とかけっこう難しかった。
依存症タイプの私はオンラインゲームとかタバコとか酒とかあらかじめ封印してるんです。ピアノの生徒の爪がかじられているのを見る度に、指先を使う小さなゲームを渡して、1ミリ伸びるごとにシールをあげています。自傷的なのから別のものに移行させないとね。
sekko · 2012-08-28 17:59:31 UTC+9 · 投稿 #735
国立新美術館の「与えられた形象(辰野登恵子・柴田敏雄)」っていうのご覧になりましたか?
辰野登恵子さんの作品の実物を見たことがないので分からないのですが、PCの画面での再生レベルでは好きなんです。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120822 というブログに連続で辰野作品についての分析があって興味深く読みました。
その中でマティスについてマティスの「量感」は三次元じゃなくて「現れる強さ」だというのにも共感しました。
でも、別のブログ
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-category-117.html ではかなりシビアな批評があり、それもなるほどと思ったので、実物を見てみたいです。
今回の展覧会は10月22日までだそうで、私が東京に行く時には終わっていて残念です。常設展示のギャラリーはないんでしょうか。
ルチアさんがご覧になっていたらぜひ感想をお聞きしたいです。
ルチア · 2012-08-28 17:58:28 UTC+9 · 投稿 #734
エアブーケ受け取りました。有難うございます。色が涼しそうで、この暑さの中嬉しいです。
私も、面白くて勢いがついて読んでしまった本があります。出版されてから、少し年月が経っていますが、大いに勉強になりましたし、著者の主張がシンプルに伝わってきました。
本のタイトルは「ローマ法王」竹下節子著です。
依存症怖いので、しばし退場します。
sekko · 2012-08-28 02:58:34 UTC+9 · 投稿 #733
こんにちは。みなさまのおしゃべり読んでます。私にとってもだんだん敷居が高いっていうか、いろいろ考えることはあるんですが、なんかここではひとことひとことがえらく大切そうな雰囲気なんで遠慮しときます。
でも霊的花束のやりとりとかは、なかなかすてきだなあ、と思いました。
いわばエア花束ですね。
ここにいらっしゃる方みなさんに私も「霊的花束」っていうほど上等じゃなくても、エアブーケをお贈りします。青紫色と白の小花が組み合わさっているやつです。好みでない方は適当にアレンジしなおしてください。
今、神の存在証明について刺激的な論考を読んでて、その中でのキリスト教の意味を新たに考えているところです。あのユダヤ教からこのキリスト教が成立したのは奇跡的だなあ、と思い、はっきりいって、キリスト教には「one of them」宗教ではなくて愛によってのみ神や信仰や救いを語る革命的な本質があって、それを確認する度に衝撃を受けます。
ユダヤ人たちがその衝撃を緩和するために「犠牲」というレトリックを使い、それがストア的心情にも親和性があったから、「捧げる」とか「自己犠牲」とかが強調されてしまいましたが、ほんとに愛しあってる状態を「犠牲」って表現するのは間違っているなあと思います。
あ、これは別に私の個人の意見じゃなくて、現教皇のラツィンガー時代の『キリスト教信仰の今昔(1969)』にも書いてあって、「父なる神が独り子の犠牲を要求した」という行きわたったイメージは間違っているとあります。
愛の結果として、自分が犠牲になる、あるいは命を賭するということはあるわけで、そういうヒロイックな行為は尊敬しますが、たとえば自分で「自己犠牲」なんていう場合はほとんど常に欺瞞か自己愛の裏返しの場合が多いです。「愛から来る行為」はどんな場合でも、犠牲という一種悲劇的な諦念に拠るんじゃなくて、やはりそれは「やむにやまれぬ愛の行為」であって、根っこはシンプルな歓びにつながっていると思うんですよ。だからこそ聖餐は続いているんだと思います。
あれ、結局、口をすべらしました。
でも、いろいろ書くと長くなるんで、とりあえずエア花束だけ受け取ってください。
ルチア · 2012-08-27 18:50:04 UTC+9 · 投稿 #732
霊的花束、頂きました。ありがとうございます。
謝らないで下さいませ。ごく一般的な日本人の言語使用として「すみません」が出てしまったので、私は「聖書と典礼」「ネメシェギ神父様」について、分かち合いができ、とても喜んでいます。
むしろ、jean様も書いていらっしゃいます「反原発」について、jean様とは違った角度で戸惑っています。お説教が良いかどうかは受容側で考えるべき事のように思いますが、お説教の中で「政治的」な発言をされる事をどう受け止めるべきか、答えに迷っています。カトリックの歴史を考えれば、政治への関与は繰り返されてきたわけなので、特別な事件ではないと理解できますが、現実に立ち会うと戸惑うという事はどういうことなのでしょう。「宗教は神棚に飾っておくもの」レベルのカトリック理解であったのか自問しているところです。
mimeme_gene · 2012-08-27 08:01:59 UTC+9 · 投稿 #731
ルチア様
ルチア様にお説教をするようなつもりは、毛頭ありませんでした。
どなたにも、こころがけているつもりですが、私悪く、ごめんなさい。
私の中にある、ルチア様に感じさせてしまったような感覚を、ふりかえり見つめてみます。
ルチア様がお説教のように感じてしまったり、
「申し訳ありません」等のお言葉が書かれていて、
心からお詫びします。
前回は、私が祈りながらわかってきたこと、
とても大切にしていることを分かち合ったつもりでおりました。
ミサの中で、嬉しさや喜びを感じていることの一部だけでもと思って、書きました。
もっと前提やニュアンスを書き込み、丁寧にした方が良かったのでしょうが、私の限界です。
私は、神父の説教がつまらないという感じ方をした時期もありました。
私は、そのつまらないというのが「他者批判」だと感じて、
罪の究明の祈りとして、何年か、イエスに捧げました。
「ミサで、私に会い、私の命はあなたの体に入る。そういう希望を感じましょう」というような気持ちに段々なってきて、罪意識というきっかけから恵みをいただきつつ、試行錯誤しながら、何年もかけて、前回書いたようになっていきました。
私の心の経緯によって、分かち合いの内容が柔らかくなっていないのだと感じ始めています。
私がルチア様にすぐにできるお詫びは、霊的花束を捧げることです。
ルチア様に御交の恵みが沢山注がれますように、幾度も祈ります。
jean · 2012-08-27 00:51:29 UTC+9 · 投稿 #730
「いますぐ原発の廃止を!」との日本カトリック司教団のメッセージを読んで感じることは、原発で職を得て働き、暮らしている人たちへの配慮が欠落しているということです。
原発に頼らなくても必要なエネルギーが確保できるとの見通しがあるのなら、原発は必要ないでしょうね。でも、直ちに原発を止めてしまったら、これまで原発で働き、家族を養ってきた人たちの暮らしはどうなるのでしょうか。首切り、配置転換、給料ダウンなどなど、原発関係者、そしてその家族が苦しい思いをすることになります。時速100キロメートルで走っていた自動車が急ブレーキを踏めば、その自動車はひっくり返り、後続の自動車も巻き込み、大惨事になるでしょう。そうならないためには、ゆっくりとブレーキを踏むしかありません。そのことを、日本カトリック司教団は忘れているのではないでしょうか。
いますぐ原発を廃止するのであれば、国として代替エネルギーはどのように確保するのか、あちこちの企業(下請けも含む)にいる原発関係者の処遇をどうするのかなど、解決策を構築していかなければなりません。それは、政治の問題です。日本カトリック司教団は、そこまで考えた上での覚悟があって「いますぐ原発の廃止を!」と言っているのでしょうかねえ。
日本カトリック司教団などの提案によって原発をすぐに廃止した結果、首になったり、給料が大幅に下がったり、とても受け入れられそうにない部署への異動を命じられた人たちが、もしカトリックをうらんで自殺したりしたら、司教さんたち、どうするのでしょう。
原発の是非よりも、原発で事故が起こってしまった後の非人道的な対応(放射能汚染の情報を公開しなかったことなど)を問うていくことの方が日本カトリック教会の仕事なのではないでしょうか
皆さんは、どのように思われますか。
ルチア · 2012-08-26 21:55:14 UTC+9 · 投稿 #729
投稿を読んで下さったのですね、丁寧な返信を下さり有難うございます。
最初に「ミサ説教」について
mimeme_gene様の格調高い言葉で、静かにお説教されているような気が致しました。申し訳ありません。mimeme_gene様の投稿を3回ぐらい読み直しましたので、完全に理解できたとは言い切れませんがこれからは、いくらか心構えが変わっていくかと思います。(時間がかかるのです)
「聖書と典礼」についてですが、まさに私が疑問に思っていたことを書かれていて驚きました。個人的な事情で、2か所の教会のミサに与っています。一つは地方の教会なのですが、そこでは殆ど全員の方が返していかれるのです。私は「聖書と典礼」は持ち帰るものだと信じ切っていましたので、初めて返す行為を目にした時は「今まで間違ったことをしていたのかしら?」とかなり愕然としましたが、私には必要な物なので持ち帰りました。mimeme_gene様が仰る通り、最後のページにリストがあり、そのリストに従って読んでいけば無理なく聖書を理解できるようになっていると思います。
私は毎日は読めませんが、「女子パウロ会」のホームページで確認し、予習してからミサに与るようにしています。(これは、あまりに無知で、ミサについて行く為にしているだけなので、自慢ではありません)今回の主日のミサは、各自の信仰を問い直す内容であった気が致しました。
「ネメシェギ神父様」について
mimeme_gene様は神父様の入門講座に通っていらっしゃったんですね!
神父様の御本を読みながら「どんな入門講座だったのかしら?」と、いつも妄想していたので、ネットを介してでも、入門講座に出ていらっしゃった方とお話しできるなんて感激です。(こういう時「お恵みです」というと、宗教的な感じが出るのでしょうか)
今は壊されてしまった上智の寮があった所で、講座は開かれていたのでしょうか?
信者さんのお友達にも「今、ネメシェギ神父様の本を読んでいるの」と話しますと「私は何回も読み直した」「受洗する方へのプレゼントにいつも選んでる」と返ってきます。シリーズを1回しか読めていませんが、説得力が違うのです。こういう神父様が日本で宣教してらしたと思うだけで、心が動かされますし、気持ちが暖かくなります。
この掲示板に投稿するのは、個人的にけっこうハードルが高いです。投稿すると、貴重なご意見をお聞きし、得るものが大きいのですが、反面「掲示板依存」度も高くなりそうで、自重してしまいます。
竹下様、掲示板を維持してくださり、御礼申し上げます。
mimeme_gene · 2012-08-26 17:57:09 UTC+9 · 投稿 #728
「愛といのち」は、私の勘違いで、出版後25年です。
ですので、受洗後に熟読したのでした。
mimeme_gene · 2012-08-26 15:54:02 UTC+9 · 投稿 #727
ルチア様
読みました。お礼のお言葉に、私こそ感謝します。
「カルメル会~」の本は、聖三木図書館や、四谷の上智大学図書館でみました。
イグナチオ教会2Fの図書館にはあるかどうかわかりません。
私は、ネメシェギ神父の入門講座に学んで、28年前に洗礼を授けていただいたので、とても思い入れが深いです。
以前ご紹介した本には加えませんでしたが、きっと出会われるとおもって、あえて書きませんでした。
35年前に発行された文庫「愛といのち」に始まり、論文まで、多作な方ですし、素晴らしい方です!
ひと通り読まれているなら、仮にでも、「来年受洗」等の心構えをなさって再読されたほうが良いと思います。
私の体験では、心構えを変えると、書かれている言葉も、心への響きかたが深まります。
私の場合、「愛といのち」がそうでした。
ネメシェギ神父の本は、この読み方ができる内容なんです。
だから愛読され続けると私は思います。
---------
○私にとっての、ミサ説教のこと
「聖書と典礼」を持ち帰らない方が沢山います。
読み返して味合わないという意思表示にすら思えます。
その最後には、翌日曜日までの朗読ヶ所がリストになっています。
来週日曜の福音書だけでも、事前に読んで、心の準備をしてから、ミサにあずかる信徒は、どれくらいいるのでしょうか。
1週間毎日読んでも7回。読んでから、説教を聞くと、心のなかで、様々な出来事が起きます。
ルチア様、一度なさってみてください。神様からの恵みを感じますよ。
今日の福音ヶ所では、イエスの「肉と血」を聞いて、弟子をやめちゃう人もいますね。
更に、もっとよいのは、演出家になってみることです。
つまり、その福音書朗読場面を、寸劇として描き、登場人物にどこで何をどのような気持ちをこめて誰に言ってもらおうか、楽しく創造するのです。
それで、神父は、いくら神学を学んでいても、神学部には、コミュニケーションの講座はありません。
説教の仕方の講座はありません。
イメージを伝えるトレーニングをしていなければ、相手には伝わりにくいです。
神父になぜ上手な説教を求めるのか、私にはピンときませんし、私だってうまく話せません。
まして、言葉で伝えられ、響きあうのは、その意味合いの数割でしかありませんし。
神父の説教に上質を求める感情は、私を苦しめます。
御交がその神父にプレゼントした恵みを、他人の私が同様に感じるなんて、もともとできません。
私には、私にあった言い方と愛し方で、イエスは日々語ってくださいます。
だからこそ、同じ福音で、神父と私のそれぞれにくださっている恵みの、一致と違いを味わうのは、ミサの醍醐味です。
神の多様なアプローチに感謝したくなります。
そして、「奉献」をミサ中にしますが、その時に前回のミサ以降にいただいた恵みを感謝できます。
「奉献」はとても大切な部分です。
ミサのなかで、奉献をしてくださる方々と心をあわせて、私の実生活を捧げることだからです。
ミサってみなさん言いますが、ルチア様はどんなイメージですか?
私が「ミサ」という単語を言う時は、「最後の晩餐」しかイメージできません。
あのご受難に向かう前の、最後の晩餐は、まだ続いていています。
終わってなどいません。
ミサ典礼の大前提になっています。
ルチア様、最後の晩餐の中の、イエスの話して下さったことと、今の日々のミサの福音書を重ねあわせてみてください。
私は、福音書の言葉の深まりが育ちつつあります。
同じように、イエスが語ったであろうと想像するイメージと、今の神父の説教を重ねあわせてみます。
今日も、神父という生き方をイエスから望まれて、それに応えようといきている一人の人間が、目の前にいてくださいます。
そして、私も、このミサにいます。
最後の晩餐に共にあずかる私たちを、御交は祝福してくださっています。
私には説教よりはるかに大切な内容が、感じられます。
ルチア · 2012-08-25 10:54:52 UTC+9 · 投稿 #726
貴重な時間を使って、答えて頂き有難うございます。
とても勉強になりました。「説教に期待している方は~」と「聖書のワンポイント解説」の二点、ミサに与る方の心構えとして、とても参考になりました。これからのミサの与り方に、変化があるかもしれません。私の貧しい経験ですが、神父さんの年齢は大きく関係はない気がしております。若い神父さんで、とても一生懸命な方もいらして、姿勢に感動する時もあります。
外国人の神父さん(これは、すごく日本的な呼び方ですね。日本語を母語としない神父さんの意味とします)で、時々文法的に説教の道筋についていけない時もあるのですが、「日本語難しいから」と思うのは、これも一つのバイヤスがかかっているからかと思ったりもしてます。
「カトリックと政治」についてのjean様のとられている立場は、よく理解できました。
「カルメル会の会則とその精神」ですが、ドン・ボスコにて「絶版だけどサンパウロに在庫があるかもしれない」→サンパウロにて「在庫も無いし、絶版だからドン・ボスコに行ってみたら」。というわけで、四谷の聖書ゴールデン通りのような新宿通りをウロウロしました。店員さんは、私が投稿をプリントした紙を「ちょっと貸して」と取り上げて、親切に皆さん探してくださいました。
ネメシェギ神父様の御本、神父様が辿らざるを得なかった苛酷な歴史と重ね合わせて読んでしまい、さらに説得力が増してしまいます。平易な言葉で語られていながら、何回も読む必要を感じさせられます。熟読します。
それでは、ありがとうございました。
jean · 2012-08-25 00:45:30 UTC+9 · 投稿 #725
私の代父(ゴッドファーザー)は、神父さんの説教がつまらないから、奥様はあまり熱心ではない、とおっしゃっていました。もう30年近く前のことですけど。説教に期待している方は昔から多いのでしょうね。当然といえば当然です。いい話を聞いて癒されたい、というのは誰もが思うことですから。
日曜ごとにミサに与るのは、イエズス様のご受難を思い起こすこと、ご聖体をいただくことと、「説教」(というと、上から目線のお説教のイメージがあって、よくないので、私としては「聖書のワンポイント解説」がいいかなと思っているのですが)のときの神父さんの話を聞くことが目的です。神父さんには若い方も年配の方もおられるし、若い神父さんであれば経験も乏しいので、人生経験豊富な年配者の腑に落ちる話をできないときもあるのはいたし方ないでしょう。
カトリックと政治との関わりについては、関わりを持ってほしくないと思っています。ただ、原発については微妙ですね。人体を傷つける放射能は拒否なのですが、でも今すぐに原発なしで必要なエネルギーを確保できるかどうか分からない、ということで私個人としては判断保留です。
『カルメル会の会則とその精神』は四谷のサンパウロにも置いてありませんでした(22日)。絶版になったのでしょうか。ネメシェギ神父様のお書きになったシリーズ(聖母文庫)は、とてもよい本です。熟読玩味してください。
ルチア · 2012-08-23 22:09:05 UTC+9 · 投稿 #724
以前、投稿した時にお世話になりましたルチアです。
jean様の投稿を拝見し、お話しさせて頂きたいことがあり、投稿いたします。
「神父様の説教、あまり良いとは思っていなかった…」とあり、「こういう事を信者さんも思ったりなさるのね」と、安堵(?)しました。ミサに与っていても全ての神父様のお話が素晴らしいとは思えず「信者さんは、ミサには儀式の中で聖体拝領に与るためにいらしているのであって、お説教のウェイトは重くないのかもしれない」などと、勝手な理屈付けをしていました。特に8月になってからの朗読は「パン」と「食べる」が、重要なテーマでしたので、そう思い込んでいました。(この話が不快に思われた方には申し訳ありません)
ミサに関連して質問させて頂きたいのですが、お説教の中で「反原発」絡みで政治的なお説教をなさる神父様もいらっしゃいますし、金曜の議事堂近辺でのデモにはカトリックの方々も参加されていらっしゃるようです。長年の信者様であるjean様にお伺いしたいのは「日本のカトリックは政治的な発言をするもの」であったのか「日本のカトリックの歴史の中で、現在は、そのような流れの中にいる」のか、またはいずれでも無い何かか、という事です。お時間ある時に、よろしくお願いいたします。
以前教えて頂いた本は、アチコチ探しましたが結局絶版で手に入りませんでした。いつか、図書館で読んでみようと思っております。今はネメシェギ神父様のシリーズを、感動しながら読んでおります。
ミサでは「万軍の神」のところで、いつもjean様の言葉を思い出しております。
mimeme_gene様、もし、この投稿を読んでいらっしゃったら御礼お伝えしたいと思います。「聖書を知る31の鍵」、仰る通りいつも手元に置いておきたい本です。簡単ですが、全てがある気がします。教えて頂かなかったら、きっと購入まではしなかったと思います。有難うございました。
ミサの中で「思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。」を唱和するのが、いまは大好きです。でも、この投稿の内容でまた罪を犯してしまったとしたら次のミサで謝ることに致します。
「心を満たし満足させるのは、広い知識ではなく、ものを悟り、それを内的に味わう事」、大事にしたい言葉ですね。ありがとうございました。
jean · 2012-08-22 23:57:32 UTC+9 · 投稿 #723
迷える大羊さんの投稿が多すぎる、とのコメントがありましたが、私もそれは感じています。でも、だからといって、迷える大羊さんが投稿を減らすのではなく、皆さんがもっと投稿して、このコーナーを活発にする方が楽しくありませんか?
ということで、私もおしゃべりをひとつ。19日のミサでA神父さんが、こんなことを話していました。
日曜のミサは義務だから与る、それっておかしくない。義務だからじゃないでしょ。キリストの命に与るのだから、義務だから与るという低レベルのかかわり方ではなく、もっと熱い心でミサに与らなくてはいけないんじゃないか。
A神父さんが実際に、こんな口調で話したのでありませんが、私が理解したことは、こんな感じです。いい話でしょう。実は、しばらく前まで、A神父さんの説教、あまり良いとは思っていなかったのですが、最近は見直しています。なんて言うと、神父様に失礼な、偉そうに、とお叱りを受けるかもしれませんが、人は変わっていくのだな、と感じている今日このごろです。
sekko · 2012-08-22 02:24:44 UTC+9 · 投稿 #722
この頃なんだか大羊さんへの風あたりが強そうな雰囲気ですが、私は基本的にユルい人間で、ここもユルく構えてやっていますので、みなさん、他の人のコメントにあまりセンシブルに反応しないでください。
私がこのコーナーを設けたのは昔、ネットで見ず知らずの専門家に相談したら親切に答えていただいたので何か自分にできることで恩返しをしたいと思ったのと、このサイトを始めた頃、ちょうど、ボランティアでやっていたフランス語講座をやめなくてはいけない事情ができたので、どなたでも引き続き質問できるような場所を作っておきたいと思ったからです。それ以上でもそれ以下でもないんですよ。
来ていただいた方が何かしら「役に立った」と思ってくださればOKで、「役に立たない」と思う方は来ないでいいので別に問題はないと思っています。
できるだけ特定団体や個人の批判をしないというのが私のスタンスです。また、白黒のつけられない(つまり明らかに誤認や無知があるという場合ではない)問題について意見の違う人と特に議論するつもりもありません。
大山羊さんの「アメリカ人の狂気」なんて言葉は、実は、私も内心口を滑らしたいような言葉なんですが、そういうことも言わないようにしています。
だって、いろんなところでいろんなことを見聞きすればするほど、この世にはステレオタイプがまかり通っていること、情報操作や各種誘導が蔓延していることが分かる上に、自分自身がいかにそういうものに影響されているかを痛感するからです。
たとえば、フランスにいると、アフリカの情報がすごく身近で、身近であればあるほど、もうここ何十年も、スーダンとかダルフールとかいう言葉にはすごくネガティヴなイメージを持っていまして、スーダン出身の人を前にすると、対等で自由な人間同士という感じが全然しないんです。
いや、そういうことすら意識していなかったんです。ところがつい最近、日本のあるサイトで、スーダン出身の青年の連載記事を読みまして、私の潜在的ネガティヴ感が一掃されることではじめて、それまでの内なる差別が意識化されました。
その青年は目が不自由で、19歳の時にハルツームから日本の盲学校に来たんですが、その彼が高圧的な父親に反対されたのに他の家族の支えもあって最後に日本に出発する時のシーンを読んで、もう涙がとまらなかったんですよ。
http://www.poplarbeech.com/wagamoso/007348.html (これです。興味のある方は読んでみてください。この前のエピソードから読む必要がありますけど。これを読んで読む前よりも人生が明るくなったと感じた人は私のおともだちですよ)
もうこの家族のことを知ったからには、私のスーダン観は変わった、というより、やはり、人間や人間の集まりをいろいろな先入観で差異化していく方向は間違っている、ヒューマニズムは存在し得る、普遍主義は必要だ、と決意をあらたにしました。ポストモダンが「人間」を相対化して脱構築したり、それを構造や機能や疑似科学やあるいは科学で分析したりして、結果的に個人も人間も同時に見失っていくような時代に、「人には普遍的な結びつきや共感が可能だ」という思いを新たにしたのです。
まあ、実際の生活では、相変わらず、ちょっとしたニュースを見聞きすると、その取捨やバイアスの具合を深く考えずに、「すごい」とか「ひどい」とか単純に反応する自分もいます。
深いところで「正しい」方を直観で見抜くというようなシンプルな力は私にはなくて、良くも悪くも「教養に邪魔された」状態でずっと来たので、こうなったら考えに考え抜いて、また「相対的弱者の側に立つ」という原則を無理にでもたたき込みながら、できるだけやっていきたいです。それが曲がりなりにもうまく行ってる時は生きるのが楽しいので、間違ってないなあとなんとなく分かります。
ここでは、お互いにできるだけ自分の寛容な部分ややさしい部分を優先して話しましょう。
ご協力お願いします。
サンダース · 2012-08-21 18:10:03 UTC+9 · 投稿 #721
>>国際養子問題は難しいです
>そうでしょうね、
ここまでは、良いです。ただの相槌ですから。
しかし、それが何故そのままの流れで、
>できれば、同国内の養子がいいですよね。私が養父母でも、それを希望しますけども。
となるのでしょうか?
同国内の養子って、一体何を指しているんですか?
日本人って言う意味ですか?在日やハーフやクォーターや人種不明(親が特定できなければ人種も不明)は避けたいのですか?
血縁のない養子を本当に引き受ける覚悟など最初からない人が、したり顔で「私が養父母でも、それを希望しますけども。」などと言うのは、様々な人々を傷付けるかもしれない恥ずかしい言動だといつかは気付いて欲しいです。
彷徨える大山羊 · 2012-08-21 15:11:02 UTC+9 · 投稿 #720
をお読みになると思います。→をお読みになると良いと思います。
…失礼しました。
彷徨える大山羊 · 2012-08-21 14:52:45 UTC+9 · 投稿 #719
>いや~、そういう人がいたんですね。全然知りませんでした。
…ジョセフィン・ベーカーの養子の話については、例えば高山文彦「孤児たちの城 ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人」(新潮社)をお読みになると思います。
>いろいろお話を伺うと米国とは大分感覚が違うみたいですね。
…いや、むしろ、これこそ米国的な、アメリカ人の狂気の話ではないかと思います。
>どうも、日本の「欧米」情報は英米、英語圏に偏りすぎなんだなぁ、って改めて思います。
…大羊さんは、そうやっていつも簡単に日本の状況を図式化するのがお好きなようですが、そういう雑駁な整理からは何も生まれないと思います。
それに、このジョセフィン・ベーカーの話について言えば、単に大羊さん個人がフランスに住む竹下様の投稿から知ったと言うだけで、竹下情報は別に「英米、英語圏」と対立項にあるものではありません。
上記の高山文彦氏が執筆の基本に使った情報も、ジョセフィン・ベーカーの公式サイト(
http://www.cmgww.com/stars/baker/ )も、英米、英語圏の情報です。
迷える大羊 · 2012-08-20 21:46:40 UTC+9 · 投稿 #718
>国際養子問題は難しいです
そうでしょうね、できれば、同国内の養子がいいですよね。私が養父母でも、それを希望しますけども。それにしても、米国のハリウッドのセレブたちは一体、何を考えて・・って思ってしまいます(本当に純粋な善意だけなら、疑って悪かった・・ですが)。
まあ、多分、実際に日常的に子供の世話をするのは、家政婦っていうか、雇われている専用の人員がいるんでしょうが。でなければ、いくら経済的にOKでも、やってられないと思いますけどね。
>フランスで各国の孤児を集めて養子にして人種差別撤廃のコミュニティをつくっていたアメリカ出身の黒人ハーフ歌手ジョセフィン・ベーカー(フランス国籍取得)の例
いや~、そういう人がいたんですね。全然知りませんでした。いろいろお話を伺うと米国とは大分感覚が違うみたいですね。どうも、日本の「欧米」情報は英米、英語圏に偏りすぎなんだなぁ、って改めて思います。
sekko · 2012-08-12 00:01:59 UTC+9 · 投稿 #716
前にも書いたような気もしますが、私の周りにも海外からの養子縁組をしている人たちは普通にいます。私の生徒たちの中にもそういう養子もいます。
私の周りのケースはみんな、子供が欲しいのにできない、という人たちです。自分の子どもが複数いるのに慈善意識でさらに養子を引き取ったケースは二件知っていますが、うまくいきませんでした。
みな、東欧など白人の子どもが第一希望ですが難しく、多いのはフランスが通じるベトナム、ハイチ、アフリカなどです。税制優遇はありますが、全権養子の審査は厳しく、それが通ったのにフランスの国籍がもらえないというようなケースはありません。
16区などに行くと、ブルジョワの金髪碧眼の専業主婦が高価なベビーカーに高価なベビー服を着せた黒人の赤ちゃんを載せて散歩しているのを時々見ますが、それはなんとなくアメリカのセレブ風光景です。
ジョニー・アリディはとっくに成人した自分の実の息子や娘もいるのに、若い奥さんが不妊治療が成功しなかったというのでベトナム人の女の子二人を養子にしています。
韓国人に限らず「東洋人の子どもは優秀」というのはよく言われています。
私の知っている限り、養親たちやその家族に人種差別観はないようですが、子供たち自身が成長してからどう思うかは別問題で、破綻するケースもあるようですが、それを語るのは一種タブーになっています。
前にドイツ女性とアメリカ黒人兵との混血児をアメリカの黒人家庭に引き取らせるブラウン・ベビーの話をしたと思いますが、アメリカとフランスではメンタリティがかなり違うと思います。
フランスで各国の孤児を集めて養子にして人種差別撤廃のコミュニティをつくっていたアメリカ出身の黒人ハーフ歌手ジョセフィン・ベーカー(フランス国籍取得)の例はその微妙なところを如実に語っています。日本の戦災孤児も引き取られていましたよね。
国際養子問題は難しいです。同国内でも親からネグレクトされたりする子供は少なくないし、妊娠中絶も多いのですからもう少し別の解決法もあるような気もするのですが…