2012年の投稿

韓国ウォッチングについて

sekko · 2012-05-09 22:08:39 UTC+9 · 投稿 #690

少なくとも私に関しては、いろいろなことを教えてもらって好奇心を刺激されたということはありますが、大羊さんのコメントをイデオロギーの見地から見るということはないです。

先日、日本で、韓国ウォッチャーだというジャーナリストとお話ししましたが、その時も、大羊さんがリンクしている情報を読んでたおかげで話がよく分かりました。

その方によると、韓国でも、ウェブによる情報共有のおかげで若い人には国の政策について疑問を投げかけている人も多く、むしろ日本人の若者よりもいろいろなことを真剣に考えているということでしたので、将来的には頼もしいという気がしました。

数々の「トンでも」な政策とは別に、冷静に大局を眺めている多くの人たちに期待したいです。

リタ・バセットの本について

sekko · 2012-05-09 22:00:08 UTC+9 · 投稿 #689

4月25日の講演の後で、前にリタ・バセットの本について私に質問したけれど返事がなかったという方がいらっしゃいました。質問は見落とさないようにしているんですが、ごめんなさい。

しかも、ご要望の英訳か独訳の本ですが、Lytta Bassetを、英独のamazonで検索しても、息子の自死を乗り越えた例の本は、フランス語版しかでてきませんでした。役に立てなくてすみません。

ご傷心のお友達に何か励みになることができればいいのですが、よろしければこの掲示板でお話ししてください。

私は「極右」??

迷える大羊 · 2012-05-06 01:38:35 UTC+9 · 投稿 #688

こちらのBBSで時々、韓国、正確にいえば韓国のメディアにおける、あまりにも過剰、かつピントのずれたナショナリズムや現実に基づかない、観念的な「反日」に関して、批判的だったり、からかったりする文章を投稿させていただいておりますが、著名人の外国人、特に日本人が、これをやると韓国メディアから、間違いなく「嫌韓」「極右」呼ばわりされます。
また、日本のメディアでも左派・リベラルの傾向が強いところですと、これまた「嫌韓」「差別主義者」呼ばわり、事実関係に間違いがない場合ですと「黙殺」されます。

で、気になったのは私のこれまでの韓国関連の投稿って先生や管理人さんやこちらに集う方々にそのように目されていないだろうか?ってことです。

私としましては、この種の話をする場合は、必ず話のネタ元、つまりはソースを明示するようにしているつもりですし、そのソースは出来うる限り韓国発のもの(朝鮮日報、中央日報、總合ニュース、東亜日報・・etc)を使用することとしています。
特定の個人単位での批判、中傷も行っていないつもりですが・・・。

ところで、韓国の観念的反日の典型的な例が「日本海呼称問題」、要するに日本、ロシア、中国、南北朝鮮に囲まれた海を「日本海」と呼ぶのは「日帝残滓」であり、怪しからん、「東海」または「朝鮮海、韓国海」と呼ぶ、世界の国々もそのようにせよ、と運動している・・という話です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%91%BC%E7%A7%B0%E5%95%8F%E9%A1%8C

これに関して、韓国の英字紙「THE KOREA TIMES」に英紙「THE TIMES」の特派員 Andrew Salmon 氏が投稿文を寄せているのですが、これが、私と気持ちのいいくらい同意見なのです。

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=040&aid=0000122661

要約すると・・・

・この問題は地理に関するもので、歴史に関するものではない。韓国側は「議会図書館の資料の66%が東海となっている」と主張するが、今は21世紀。地名を前近代に回帰しなければならない国際的方針なんてあるのか?イランは「ペルシャ」なの?イラクは「メソポタミア」なの?ソウルは京城なの?
地図の地名を全面的に改訂しようとすれば、大変な手間と時間がかかる。その手間ひまに相応するような根拠があるのか?

・私や、その他外国人は外国人は「正しい歴史」とか「本当の歴史」を学ぶべきだという韓国人らの説教に辟易している。自然科学と違って、歴史認識は人によって様々で当たり前じゃないか。要するにそれは「韓国人の歴史解釈」という意味でしょ。

・韓国人が自国の東にある海域を、自分たちの地図や本や歌の中でどう呼ぼうと自由。だけど、世界のほかの国々が、どうしてそれに従わなくてはいけないの?

・要するに嫌いな日本の国名がのっかってるのがイヤなだけでしょ?そんな独善的な理由、他国に相手にされるわけがないじゃない。もうちょっと、落ち着いた方がいいんじゃない?

・East Sea」問題が沈静化し、韓国人が民族主義的(nationalist)問題よりも国内(national)問題に目を向けるようになってくれることを望む・・つまり、他にやることないの?ってことですね。

原文は、もちろん、もっと上品(かつ辛辣な皮肉が・・)で、さすが英国人、です。原文にもありますが、彼は韓国在住で奥さんは韓国人。わけもなく、韓国を貶めたりするような立場とは思えません。
韓国メディアとか、日本の一部左派、リベラルの基準からすると彼も「極右」になってしまうのかな?それとも、英国人だったらこれくらいのもの言いをしても「セーフ」なのかな?といろいろ気になってしまいました・・。


謙一様とのお話をみて

迷える大羊 · 2012-04-20 21:28:27 UTC+9 · 投稿 #687

横レス、というか、感想文みたいなものですが・・。

>今度はモラルとエコロジー系技術革新の方向でリーダーシップ

これでなんとなく思い出したのは、アメリカのSF作家、アイザック・アシモフ氏の代表作「銀河帝国の興亡(The Foundation)」の第一部における主役国家テルミナスでした。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4488604013/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

銀河系の最果てにあり、天然資源がほとんどなく、孤立した惑星テルミナス。そこには軍備は最小限しかなく、科学技術(小型のものほど得意)だけを頼りに、近隣諸国に売り込み、文化を広め、影響力の拡張を図っている国家。
それに対して、強大な軍事力を背景にし、巨大な規模でしか物事を考えられず、巨大な物しか作れない銀河帝国とその残党は、どうしても勝てない・・・。

といったもの。テルミナスの指導者のような巧妙な外交力を除けば、なんだか極東の某国のような・・。もちろん、これは1940年代の作品であり、アシモフ氏が戦後日本の歩みなど知ろうはずがないのに、よく創造できたなって感じです。
21世紀のテルミナスのように日本もなれるか?なればいいけど・・、と思ったのでした。

取材可能性の打診

窪田直子 · 2012-04-18 10:58:00 UTC+9 · 投稿 #686

はじめまして。日本経済新聞社文化部の記者で窪田と申します。来月、弊紙の美術特集ページで「マドンナ」に関する連載を執筆します。
竹下さんの著作をいくつか拝読し、おおいにヒントをいただきました。こちらの勝手な都合ですが、もし、今月から来月中ごろまでに日本に帰国される予定があり、お時間いただけるようならばお目に掛かりたいと思いまして、ご連絡しました。ご検討いただけますと幸いです。私の会社メールのアドレスはnaoko.kubota@nex.nikkei.co.jp です。

私も・・

sekko · 2012-04-13 08:13:58 UTC+9 · 投稿 #685

ほっとしました。核武装とかいうお話をこんなところに振ってこられたので最初は少し気持ちがひいたのです。でも、別に自分と同じ意見を聞きたいわけではないからこそ、ここに来てくださったのだと思って、お返事を書いたのです。

「気持ちが救われた」と書いてくださって、私も救われました。

「公正さ」というものは、国家間とか、人種間とか、同類同士で比べあっていては、絶対に保身のバイアスがかかるものですから、やっぱり何か大きなものとつながっていないと実現できないと思います。それがきっと「祈る心」の力なんでしょうね。

(無題)

謙一 · 2012-04-13 04:07:07 UTC+9 · 投稿 #684

ありがとうございました。先生の深い示唆に富んだご教示に感銘を受けました。『普遍的な訴求力のあるぶれないテーマを芯にして‥モラルの力で大国を牽制し、独自の外交を展開できる可能性は、まだ残っているような気がします。』『日本には世界に向けて説得力あるオリジナルなメッセージを発する潜在力はあると思うし、どこかでそれを期待している外国人もたくさんいるという印象を持っています。』‥ 先生の確固たる言葉を聞いてホッと安心し気持ちが救われました。これからも人間の祈る心の力を信じて、生きて行きたいと思います。ありがとうございました。

謙一さま

sekko · 2012-04-13 01:31:05 UTC+9 · 投稿 #683

宗教に対する信頼と軍事力への自信とは、私には別の次元という気がします。

神道と習合し先祖と結びついた日本の仏教は、ルーツは普遍宗教として普遍的な訴求力を持っているはずですから、イスラム教やキリスト教のような普遍宗教とも対話できると思います。でも、私は仏教の「不殺生」とか、他の普遍宗教にもある平和主義に期待をかけたいこともあって、軍事力とセットにするのは今の時代と状況においてそう有効な戦略とは思えないんですが。

日本は過去に、アジアの中で、軍事力でリーダーシップをとっていたことがあり、その後は経済力でリーダーシップをとっていました。リーダーシップのとり方にはいろいろあるわけで、そのような過去の経験を生かして、今度はモラルとエコロジー系技術革新の方向でリーダーシップをとれるようになれればいいと思います。

普遍的な訴求力のある、ぶれないテーマを芯にして、むしろ、他の、「大国の犠牲になって心や力がほんとうに弱ってい国々を日本が精神的にも支えながら、そのモラルの力で大国を牽制して独自の外交を展開できる可能性は、まだ残っているような気がします。

その方が、いまさら宗教や軍事の再興に賭けるより現実的でリスクも少ないと思います。

私はずっと外国にいますが、日本には世界に向けて説得力あるオリジナルなメッセージを発する潜在力はあると思うし、どこかでそれを期待している外国人もたくさんいるという印象を持っています。

ポジティヴなブレイク・スルーが起こるように具体的に何をどうするのがいいか、考え続けています。

武力系の発想は私には無理なのでごめんなさい。

謙一さんのように真剣に日本のことを思う方の心が、軍事力増大の方向から、別の、本当に世界を救うような大きなものの方にシフトすれば、すごく心強くてうれしいのですが。

その時にはまたお便りください。

母国日本と世界の関係について

謙一 · 2012-04-12 19:21:27 UTC+9 · 投稿 #682

日本が世界の先進国となって久しいですが、アメリカやロシア、中国などを始めとした重要な国々との大事な外交交渉において、日本の発言力や外交力は完全に空回り、侮られ、対等な立場で交渉できないのが恥ずかしいです。自分は母国の日本が自らの国の誇りである「宗教」(神道と仏教)、および「軍事力」(核武装を含む総合的な武力)、に対しての絶対的な自信を失っているからだと思います。明治維新での“神仏分離”政策、および“政教分離”政策、太平洋戦争敗北時における天皇の人間宣言および“象徴”としての概念、そして憲法九条‥など、これらによって、日本人の心から一番大切な祈りの文化である宗教と、強い国々と対等に渡り合う力=軍事力とを失ったからだと思います。宗教と軍事力を失った政治家は、いや、日本人は、ほんとうの心と力を失ったも同然だと思います。これら一番大切な宗教心と軍事力を、日本および日本人が取り戻さない限り、この国はアジアを代表する世界のリーダーには、永久になれないと思います。竹下先生はどのように思われますか。よろしく御教示ください。敬具。

Melomaneさん

sekko · 2012-04-01 06:58:19 UTC+9 · 投稿 #681

ご愛読ありがとうございます。

>>この時代、フランスやイタリア、ドイツなど各国にそれぞれ固有の身体の動きやきまりといったものが存在したのでしょうか?

いえ、基本的にはギリシャ・ローマに起源を持ち、ダンスや音楽に関しては、ルネサンス以降、イタリア経由で来たものがフランス、ドイツ、イギリスに広まったと思います。

演劇のジェスチュエルは特にフランスで発展しました。バロック・バレーの理論書もピエール・ラモーのが一番重要だと思います。

でも、当時よりかえって今のほうが、フランス系、イギリス系、と、踊りの解釈が違ってきて、それがだんだん固定しているような気がします。

>>楽器や音楽を演奏する時に生まれる身体の動きに関して書かれた当時の評論や本などがありましたら一度読んでみたいです。

一番古いダンス理論で英訳されているのが

http://www.amazon.fr/De-pratica-seu-arte-tripudii/dp/0198165749/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1333197896&sr=1-1

で、私ももってますが訳者のバルバラ・スパルチのワークショップで実際に踊って納得できました。

他の理論書もありますが、結局、図や文だけでは分からないのが実情です。

体の動きに注目した演奏理論は知りませんが、当時の演奏家はみなダンスのステップなどを知っていたので、フレージングとか、アクセントとかを把握して、自然に踊りを感じていたと思います。

長い音符が、踊りの時に着地に当たる部分か、爪先立ちになる部分かなどによって、弾くときの雰囲気はすごく変わってきます。

楽しいですよ。

バロック時代における各国の身体について

melomane · 2012-03-31 19:01:58 UTC+9 · 投稿 #680

竹下先生はじめまして、「バロック音楽はなぜ癒すのか」を読んで先生のファンになったものです。
先生のサイトも楽しく読ませていただいております。
18世紀のフランスのバロック・ジェスチュエルに関するページを読みました。ふと思ったのですが、この時代、フランスやイタリア、ドイツなど各国にそれぞれ固有の身体の動きやきまりといったものが存在したのでしょうか?
特にバロック音楽に関して興味があるので、楽器や音楽を演奏する時に生まれる身体の動きに関して書かれた当時の評論や本などがありましたら一度読んでみたいです。

お知らせ

sekko · 2012-03-25 20:52:48 UTC+9 · 投稿 #679

4月の講演会というかトークとサイン会までちょうど1ヶ月なのでここに一応、お知らせを貼っておきます。

日時 2012年4月25日(水)
午後6時30分~午後8時半(予定)
*午後6時より受付開始。トーク終了後サイン会を予定。
場所 カトリック麹町聖イグナチオ教会 ヨセフホール

もし変更があればまたお知らせします。

Merci votre reponce rapide!

藤田耕嗣 · 2012-03-17 12:10:59 UTC+9 · 投稿 #678

Bonjour! Je vous remercie bien d'envoyer votre reponce rapide.
Je crois que la plupart des francaises pensent toujours l'esprit de "La Declaration des droits de l'homme et du citoyen a la date du 26 aout 1789.
En revanche, la Restauration de Meiji etait acheve par groupes de samourai
sans citoyens au temps de 1867.Donc, je suppose que japonais soit toujours d'etre
soumissions sous pouvoir japonais depuis 1867.
Je voudrais lutter contre cette ponsee faible comme esclave pour tous les japonaises.

Cordialement a vous!

Merci! Au revoir! Koji FOUJITA
PS, Permmetez moi d'ecrire en francais,SVP!
Parce que francais est plus logique que japonais,je crois ca!

藤田耕嗣さま

sekko · 2012-03-17 07:40:15 UTC+9 · 投稿 #677

ご賛同ありがとうございます。

ただ、私が今思うのは、フランス革命だって、恐怖政治にまで突っ走ったわけですし、世界の独裁政権の国でも、抗議する人はひそかに殺されているかもしれないですが、民衆が革命を起こそうと立ち上がらないでおとなしくしている国では一見「平和」が保たれていますよね、シリアのようにかなり悲惨になっている国もあるし、いつどんなふうに行動するのか、連帯するのかっていうのはやはり機を見ないと、難しいなあということです。

とりあえず、毎日のサヴァイヴァルしか考えられない状況の人もいるわけですから、経験知があり、もう人生で失うものが少なくて、まだ体力気力に余裕があってという世代と立場の人が、より若い世代やより弱い人や、次の世代のために、この世のシステムのバランスを整えるために何かすべきだと思います。

人間の体だって、どこかに無理な負荷がかかってる状態では、いくら一見元気そうでも全体としていつかは病んでくるように、つらい労働を強いられている人の上に成り立っている繁栄や安楽など、みかけのものでしかありませんよね。

フランスもその理念はいまや息絶え絶えのところはあるのですが、それでも彼らがこれまでいろいろ考えてきた試行錯誤の様子を見ていくことは十分役に立つと信じています。みんなで知恵を出し合いましょう!

Je vous donne mon adhesion sur vos avis.

藤田耕嗣 · 2012-03-16 14:56:33 UTC+9 · 投稿 #676

Je suis un francophile depuis longtemps au Japon et en France.Je crois que la mondialisation de l'economique americaine conduit inevitablement vers un chaos dans le monde entier.Parce que la logique capitaliste force de travailler comme esclave jusqu'au bout pour gaganer beaucoup d'argents. La plupart des salaries travaillent durement et longtemps sans prime d'heures supplementaires au Japon.
On dit qu'ils ne peuvent pas faire l'amour a cause de la fatigue etle manque de sommeil. En plus, il semble que taux de mi-temps s'eleve environ 44% au Japon! Maintenant, je crois qu'il faut retourner vers L'Esprit de la Revolution francaise pour etablir chaque Egalite!
Autrement dit, il faut tenir encore une fois "L'Esprit gaolois" avec solidarite humaine.
Je suis ex-prof de francais au lycee municipal d'Osaka et aussi ex-haute fonctionnare aux Ministaire des Finances! Je pense toujours sur "Pourquoi vivre"!
J'aime bien litteratures francaises et phirosophie francaise depuis longtemps.
Jean GENET,F Celine, G Bataille etc... et Henri Bergson, J Derrida etc...!
Cordialement a vous.
Merci!
Au revoir

Osaka,le 16 mars 2012 Koji FOUJITA

ありがとうございます!

phantom · 2012-03-05 23:49:00 UTC+9 · 投稿 #675

大変丁寧にご回答下さり、ありがとうございます。
4月後半予定ですか!もう少し先かと思っていたので、すっごく嬉しいです!
先生の講演会も、是非伺いたいです。

『カトリック・サプリ』はいつも考えさせられたり、涙したり…あのページ数以上の感動をいただいています。ご著書もそうですが、先生の根底にある視線の暖かさを感じます。

4月号も楽しみです。ユダはかえってカトリック業界外で好まれる題材で、なかなか正面から取り上げられる機会がありませんね。先生の記事はもちろん、他の記事も期待しています。

来月は2冊も発売されるなんて、幸せ過ぎます。素晴らしいお知らせをありがとうございました!

phantomさま

sekko · 2012-03-05 02:45:43 UTC+9 · 投稿 #674

ご愛読ありがとうございます。

連載をまとめた本は、この4月の後半頃にドンボスコ社から出版予定があります。
一冊分よりも分量があるので、どういう形にするかまだ検討中みたいです。

今年は『カトリック生活』1000号が出るそうで、その記念行事の一環として、4月の最終週あたりに、出版記念もかねて東京で講演会も開かれる予定です。日程など決まればブログでお知らせしますね。もしお近くならどうぞ。

もうすぐ出る4月号には、ユダについて、いつもより少し長い記事を書いています。ユダのことはいつも気になっていたので、どうせだから、彼の「裏切り」などに関する神学の歴史や、特に日本人のキリスト教受容におけるユダの意味について、この夏に書き下ろしを考えています。

カトリック生活での連載は、まったく自由に書いていい、よほど「不都合」だったら言いますから大丈夫、と言われて、好きなように書いています。

自分の中では正直、誠実に、でも自分を超えて他の人とつなげてもらえる何かにうながされますようにという思いを込めて書くようにしています。

ご愛読していただいているという声を聞けるのはすごく幸せです。

ありがとうございます。

お尋ね致します

phantom · 2012-03-05 01:20:07 UTC+9 · 投稿 #673

竹下先生、こんにちは。いつも素晴らしいご本を書いて下さってありがとうございます。今度筑摩から出る新書もとても楽しみにしています!

ここでお聞きして良いのかどうか迷いましたが、恐縮ながら質問させていただきます。

『カトリック生活』に連載されている記事は、まとめて出版される予定はありませんでしょうか?
先生の記事目当てに購入しているのですが、買い逃した号もかなりあるので、書籍化を心待ちにしている次第です。

予定だけでも教えていただければとても嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。

都市と農村

迷える大羊 · 2012-02-10 12:44:52 UTC+9 · 投稿 #672

たびたび、すみません。「戦前・戦後ワールド」の話の続きですが・・。戦前・戦後世界と現代日本の際立った違いの一つに、戦前・戦後世界は現代とは比べものにならない「格差社会」だったこと。都市と農村、富裕層と貧困層、大企業と中小企業、地主と小作人・・などなどあらゆるところで格差があったのですが、今回、お話させていただきたいのは「都市と農村」の格差です。

1930年(昭和5年)、前年に勃発した世界大恐慌に加え、悪いことにこの年、米は全国的に記録的な大豊作。さらに不景気の影響で、米と並ぶ農村の産品だった繭の価格が大暴落。農家からすれば、生産費の回収もままならず、特に東北地方など、貧困のどん底に落ちた農家が続出。農村では学校に弁当を持ってこられない「欠食児童」とか、都市部の風俗産業に身売りする娘が続出、という悲惨な例が連日、新聞に報道されてます。

ところが、皮肉なことに消費者である大都市住民にとってはこれは朗報で、当時の都市部の過程は家計の2割を米購入に支出していたところが、その支出が大幅に圧縮されたわけですし。
確か山本七平氏の著作だったかエッセイだったかに「後々まで母は、あのころ(昭和初期)が一番生活が楽だった、といっていた。収入が変わらないなら食糧、衣料の大幅値下がりは主婦にとって楽だったはずである」って記述をみた覚えがあります。もちろん、大都市のサラリーマンだって、不景気による減俸という「被害」を蒙ってはいるのですが、農村に比べればはるかにマシ、失業さえしなければ、生活はむしろ楽になりさえした、という面があったようで・・。
記録をあたると、こんな時期でも日本郵船だとか阪神、阪急・・といった大企業はボーナス2か月分は出てるんですよね・・羨ましい。
もちろん、こういう格差に対しては問題視する人は多く、経済評論家の高橋亀吉氏は東洋経済新報誌上で「農民の悲惨な生活を踏み台にして安い農産物を手に入れようなどと考えることは、鬼のような心でなくてはできない・・」と批判していましたが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E4%BA%80%E5%90%89

都市部出身者で戦時中、地方、農村部に疎開して現地の学校でイジメられた、とか戦後の食糧難の時期に、農家に農産物の買い出しにいって、持参したものを二束三文で買いたたかれた挙句、でかい態度をとられたことを、つらい思い出、イヤな思い出として語る人が多いけど、戦前期のこういう社会状況をみれば、農村部や地方の住民が大都市の住民に屈折した感情をもつのも無理ないような気がします。
あと、戦後の、主に地方出身の保守系政治家による「利益誘導」も一概に悪いともいえないような気が。いえ、別にイジメや買いたたき、金権・利権政治を弁護するわけじゃないんですけども・・。

戦前期の日本社会は都市部と農村部では生活水準とか経済水準に途方もない格差が存在していたわけですが、戦後になっても、昭和40年くらいまでは、地方の中卒者が都市部へ「集団就職」してくる、とか「出稼ぎ」があったりで、それなりに格差が存在し、一つの国に違った人種が存在するかような格差が無くなったのは、高度経済成長期以後、のことだと思うのですが、実際どうでしょう?。

あと昭和30年代の都市と農村の状況はどうだったのでしょう?具体的には、大都市出身者と地方、農村部出身者で明らかに生活水準、生活感覚、経済状況、大げさにいえば文化に差異がある、と感じることは多かったですか?
それとも、収入面はともかく、そのころには生活感覚面での落差、みたいなものは大分無くなっていましたか?これまた、リアルタイムの話が聞きたいところです。

一部の人

迷える大羊 · 2012-02-10 08:26:34 UTC+9 · 投稿 #671

>その「一部」って、いったいどんな人なんだろうと思ってしまいます

私なんかが想定してるのは、イジメやら校内暴力やらが問題になりだした80年代に強烈なシゴキで有名になったマリンスポーツの学校の経営者とか、その賛同者(某大都市の知事さんなど)とか、最近ですと、一国の品格などを論じた本がベストセラーになった某有名女子大の教授先生の著作などですね。
特に前者の「脳幹が弱って、おかしくなって、非行、登校拒否云々」って、個人的には一体何を言っているのだ?てな感じで・・。そういえば、「ゲーム脳が云々」なんて話もありました。
もちろん、コンピュータゲームが健全なコミュニケーション能力を疎外し、おかしくなって・・みたいな話です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E8%84%B3

あと、話の元ダネとした「三丁目の夕日」なんかも、前作をみたことあるんですが、いくらエンターテイメントのフィクションとはいえ、昔の人があんなにいい人ばかりなら誰も苦労しないよね、あれ観た人は皆本気で感動してるんだろうか?してたら日本の未来もヤバいぞ、てな感じで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ALWAYS_%E4%B8%89%E4%B8%81%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%A4%95%E6%97%A5

あまり、エラそうなこというのも、とは思うものの、そこらへんの市井の人々ならまだしも、著名人、大学の先生みたいな「エライ人」ですら、このネット時代、私ですら、少し調べればわかりそうな事実関係、データを全然無視して結構、適当なこといってることが多いんだなぁ、みたいな憤りってほどではないですけど、呆れみたいなものがあり、「ホントか?、ここはリアルタイムで「昔」を体験した人の話を・・、というのが今回のスレ立ての動機ですね。

ちょっと一部に挑発的なもの言いがあったかも・・、すみませんでした。

一部って・・・

sekko · 2012-02-10 07:13:31 UTC+9 · 投稿 #670

大羊さんは、この前から盛んに

>一部メディアや一部の年配層、著名人の方々が主張する「貧しくても心は豊か」だとか「貧困や困難(ましてやイジメになど・・)に負けない、強い」という「昔の若者像」・・・

とかおっしゃっていますが、私は日本にいないせいか、その「一部」って、いったいどんな人なんだろうと思ってしまいます。

難病が治るサプリメントとか代替療法の宣伝なんかで、「奇跡の生還」をしたような人の証言がよくずらずらとありますが、あれなんかは、効かないで死んだ人は当然、必死に飲んだけどだめだった、とは言えないわけですから、明らかに少数の勝ち組みたいな人だけという大きなサンプル・バイアスがかかっているわけですよね。

戦後のつらい時代などに「貧しさに負けた」だとか「貧困や困難(ましてやイジメになど・・)に負けた、弱い」「昔の若者」たちはすでに自殺とかして世を去っているわけですから、そもそも、「貧しくても心は豊か」だとか「貧困や困難(ましてやイジメになど・・)に負けない、強い」という勝ち組みたいな人だけが「昔」を賞賛しているのではないでしょうか。そして、それは、実は、「昔」を賞賛しているのでなく、単に、自画自賛なような気がするんですが・・・

まあ、それこそ昔はそういう偉い人の言葉ばかりが聞こえていましたが、今は、こうやって、ウェブ上で、普通の人が本音を語り合うこともできるのだから、どんなツールも使いようによってはすごく「普通の人」の善意の連帯に役立っているなあと嬉しいですね。

恐れ入ります。

迷える大羊 · 2012-02-09 20:10:38 UTC+9 · 投稿 #669

御丁寧にありがとうございます。個人的には昭和30年代の若年層の自殺の多さについては未だに不可解なところが多いですね。

年配層の自殺については、経済的な面をはじめとしてあらゆる状況がもっとも過酷だった終戦直後がピークで、その後、経済状況、社会環境の改善が進むにつれて減っていく・・、というわかりやすい傾向があり、現代に比べれば多いとはいえ、昭和30年代ごろには明らかに減少傾向をたどってます。
ところが、若年層の場合、どういうわけか、いくら現代に比べれば貧弱とはいえ、終戦直後の時期に比べれば、ずっと経済状況(なんといっても高度経済成長期ですし)もそれこそセーフティネットもマシになったであろう昭和30年代がピーク、なのですから・・。なんでこの時期に?という違和感が拭えません。

いずれにしても一部メディアや一部の年配層、著名人の方々が主張する「貧しくても心は豊か」だとか「貧困や困難(ましてやイジメになど・・)に負けない、強い」という「昔の若者像」とは随分とギャップがあるような気がしますが・・・。

ちなみに私が戦前期や戦後間もない時代(大正末期・昭和初期から昭和30年代くらい)に興味を持ったのは、江戸川乱歩とか横溝正史などの推理小説、怪奇小説が好きだった関係です。その背景を知りたくて、関連した本をいろいろ読んだり、サイトをみたりしてます。
イメージ、先入観通りの事実、社会現象もありましたが、現代、巷間でいわれることとは随分と違う事象も多々あって「ええ?」と思ったりもします。もちろん、リアルタイムで生を受けていない私にとって「懐古趣味」ではなく、「異世界」への興味・・です。美しい部分ばかりではなく、欲望にまみれた、暗黒部分も含めて面白い時代だな、という感じです。

ところで、推理小説・怪奇小説がきっかけで興味を持った「戦前・戦後ワールド」ですが、現代世界で若者、少年少女が猟奇犯罪を起こすと、必ず、ネットだとかゲームだとかケータイを「コミュニケーションを希薄にした」だのなんだのいって槍玉にあげる「識者」が出てくるのと同様に、戦前・戦後ワールドで「目の敵」にされていたのが推理小説(探偵小説)だったようですね。少し時代が下るとマンガ・・てな具合でしょうか。

私が余生短い老人になるころには、どんなものが出てきて、年配者(つまり未来の私)を苛立たせるアイテムが出てくるのでしょうか?ちょっと楽しみですね。

自殺は

sekko · 2012-02-07 23:07:50 UTC+9 · 投稿 #668

深刻な問題ですね。

思うに、20歳前半は今も昔も、社会に居場所を獲得していけるかどうかの難しい時期で、今なら、親の世代に守られてニート、引きこもり、モラトリアムの長い学生生活とかいう選択があっても、昔は、親がいなかったり、親に余裕がなかったり、年金なども確立していなかったから、この前の返事と同じで、セーフティネットがなくて、犯罪に走ったり自殺を選んだりしたのかもしれません。

逆に、昔のいじめなどの犠牲者は、なぜいじめられているかの理由(社会的弱者)が明らかだから、あきらめるとか、またはハングリー精神を発揮して必死に働くとか、大学に行くとか、ボクシングジムに通うとか、「立身出世」を目指してがんばるとか、暴力団に入るとか、今よりもサバイバルのためのドーパミンが出ていたかもしれません。

実際に生存が脅かされるような状況のほうが誰でも生存本能が刺激されやすいですから。

同質集団の中で陰湿にいじめられることのほうが出口がなくてはるかにつらいのは想像できます。

昔の60代なんかはこれも、病気などで働けなくなって迷惑かけたくなくても年金や社会保障のセーフティネットがなくて首をくくるしかない、みたいなケースは今より多かったんでしょう。

「昔の方がしつけがしっかりしていた」というのは、少なくとも戦後生まれの人にはあまり当てはまらないのではないでしょうか。

私も実感としてありますが、戦中に子供時代をすごしてきて戦後結婚した親の世代は、自分たちの受けた軍国主義教育が戦後に全否定された形なので、教育だのしつけだのに自信を失っていた人が多いと思います。その上、戦後の復興のために働くので忙しかったから、子供のしつけとかにはあまりうるさくなく、学校と「世間」に任す、ような感じですかね。そのおかげで戦後生まれの世代は「厳しいしつけ」というより自由放任の雰囲気がありました。

世間といっても子供の数も多かったし、自分たちの中でもまれてきただけで。
その後は敗戦のような大きな価値観の変化はなかったので、自信満々で年をとったという感じかもしれません。
特に企業で働いてきた人たちは。

個人的には、なんとなく貧乏臭い時代や、能天気な時代や、失望とか欝の時代や、残酷な自由競争の時代も含めて、いろんな時代を国を変えながら観察できたことには、好奇心を満足させられています。

いつでもどこでも恵まれた状況にあった者特有の限界もありますが、逆に強みもあると思うので、余生は何とかそれを生かしていきたいです。

昔(昭和30年代)の青少年の自殺

迷える大羊 · 2012-02-07 19:51:54 UTC+9 · 投稿 #667

お忙しい中、お付き合いありがとうございます。なるほど、現代と比べ、生徒間にいろいろな意味(経済面、外見面、家庭環境etc)で、あまりにも「格差」がはっきり見えすぎていたために、却って「問題」になりづらかった、つまり、同調圧力が現代に比べ低いためにイジメの程度が深刻になりづらかった・・ってことですね。
海外、特にロンドンやらパリやらから帰ってくると東京とか日本とかいうのは人口こそ多いけど良くも悪くも非常に同質性の高い人々の集まったところということがわかりますよね。ただでさえ多様性が少ないところに、変に格差が少なくなってしまった為に、同調圧力が非常に強くかかる、学校自体、「皆で仲良く」とか「協調性」をやたらと重視するところが、イジメを必要以上に深刻にしてしまう、というところでしょうか?

もちろん、それだけではないのでしょうが、少なくとも「昔の子供はしつけがしっかりしていた」「先生も熱心だった」みたいな、イマイチ具体的な根拠に欠ける話よりはずっと頷ける話です。
ところで、イジメについて、年配の方々が言いがちな言説として「イジメくらいで死ぬな」とか「最近の子供、若者は恵まれすぎていてひ弱なんだ」、なんてものもありますが、これも、個人的に「ホントか?」と思うところ。イジメが原因の自殺に絞った資料は見つけられなかったので、とりあえず「若者、青少年の自殺」に限って資料を当たってみました。 「昔の青少年は精神的にタフで今の青少年はひ弱」説が本当なら、昔(とりあえず、例によって昭和30年代)の青少年(10歳~19歳と20歳~29歳)の自殺は現代に比べて圧倒的に少ないはず・・なんですが。

やっぱり、というべきか実際に資料(厚生労働省による、人口十万人当たりの自殺率)をみてみると、少年犯罪のような圧倒的な差ではないけど、青少年の自殺もやはり、平成の現代より、昭和30年代の方がぐっと多いんですよね(まあ、それ以上に60代以上の年配者の自殺が多いんですが)。よくわからないのは昭和30年(1955年)の20~30歳の青年層の自殺数が突出していること。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/3.html

http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Jisatu.htm

自殺数だけでみれば、平成現代の青少年は昔(昭和30年代)の青少年より精神力がある、ということになってしまいます。さもなくば、現代の日本社会は少年少女や若者を死へ向かわせる衝動が少ない社会となった、ということにもなります。いずれにしても結構なこと・・、という結論が出てしまうのですが・・。

もちろん、昭和30年代において青少年が自殺する要因はそれなりにあったでしょう、それが何なのかまでは調べておらず、よくわかりませんが。ただ、昔の子供、若者=精神的に強かった、平成現代の子供、若者=恵まれすぎていてひ弱・・なんて単純な話ではないことは確実に言えるんじゃないか、と思ったりします。
個人的に「最近の若者はなっちょらん、たるんでる、鍛えなおせ」とか「昔はしつけがしっかりして~」みたいな言説を振り回す著名人を見ると、正直「アホか」「ほっとけよ」と言いたくなってしまいます。別に私も若くない(40代)けれど、根拠不明な「今の若者は~」みたいな言説を振りかざす、おじさん、老人にはならないよう自戒したいところです。

ところで、この昭和30年代、特に昭和30年(1955年)の20代の若者の異様な自殺率の高さの原因は一体何なのでしょう?リアルタイムで昭和30年代を過ごされた方、皆さん、何か思い当たる節はありますか?

昭和30年代

sekko · 2012-02-06 22:15:02 UTC+9 · 投稿 #666

お返事遅れてすみません。

私は昭和30年代に小学生でした。大都市の真ん中の公立小学校です。

1クラス50人でしたね。

まったく個人的な思い出の範囲では、周りに猟奇犯罪だの陰湿ないじめなどはなかったです。

その頃は、生徒の中に社会的立場の差が大きすぎて、序列がはっきりしていてかえっていじめはなかった、いじめは生徒たちが同質化したときに小さな差異によって排除する心性が働くから深刻になる、という話をどこかで読んだことがあってなるほどと思ったことがあります。

今思えば、クラスには、「いかにも貧乏」という子供はいました。髪がべたべただとか、フケまみれとか、擦り切れた服を年中来ているとか、近寄ると臭いとか、いわゆる知恵遅れの子供とか、被差別部落や旧植民地国の出身の人とか、アメリカ兵とのハーフでシングルマザーの子供とか、ものすごく多様でした。そういう違いがはっきりしていて、子供は残酷なので、分かりやすいいじめがあったかもしれませんが、分かりやすいだけに、必ず正義の味方みたいな勢力も出てきていじめられる子を守るメカニズムもありました。当時の少女マンガには戦後らしく、「養育院」や「孤児院」にいるヒロインが金持ちの意地悪娘にいじめられるという分かりやすいストーリーもよくあったので、貧しい子を守ることに、使命感や満足感を得ていた子供も少なくなかったと思います。

でもそうやって、ちゃんと学校に行ってた子はましな方で、家の事情で長期欠席の子もいました。

戦後すぐに孤児とか、セーフティネットから外れた小さな子供たちの集団が、10年経って、社会に復讐し始めたとか悪質な不法行為に手を染め始めるといったこともあったでしょう。

でも、今のように、ちょっとした犯罪でも知れ渡りコメントされるような情報システムがないし、「3丁目」に住む子供の世界には現実感がなかったのではないでしょうか。小市民と「ワル」の棲み分けができていたような気もします。

今、暴力団の排除が厳しくなって、それまで暴力団で「保護」されていた人が路頭に迷ったり、最初から一匹狼や未成年不良グループのOBで犯罪に関わる人が増えてきたなどと言われていますが、単純に犯罪の「数」だけでは語れない社会の文脈があると思います。

それに、80年代に、パリのメトロに乗っている人よりもカイロのスラムにいて死亡率も高い子供たちの方が明るくて幸せそうだ、とシスター・エマニュエルが言ったように、全体に厳しい状況下にいる子供たちの方がサバイバル能力がセットアップされてたくましいのかもしれません。幸福度、という点で比べるのはなかなか難しいです。

私個人としては、全体としては妊産婦や乳幼児死亡率が減り、セーフティ・ネットも充実してきた社会のほうが絶対いいと思います。人権意識の高まりや男女平等意識についてもそうですし、弱者をケアする社会がもっと拡大してほしいです。

ただ、日本で今、若者の犯罪が少ないのは、不満や不幸をかかえて内にこもる人が多いからかもしれません。今のフランスなんか、たぶん日本の昭和30年代よりずっと凶悪犯罪が多いと思います。

といっても、私が「直接」それを見聞きしないのは子供時代と同じで、今は情報が多いのですぐに「暴動だ」と聞いてびくびくしているだけかもしれません。

でも管理型社会、情報社会になったおかげで、ホロコーストだとか、金持ちや特権階級の蛮行とか、戦争犯罪とか差別とかは、今は昔より厳しく糾弾されるので、相対的に「前よりよくなった」というのは確実です。

私はその恩恵を十分自覚しているので、トータルに「昔はよかった」とか全然思いませんよ。まあ、「自分が子供だった頃」というノスタルジーは別ものでしょうが。昭和30年代は子供だったからよかったんで、大人としてあの時代を生きる覚悟はまったくないです。

たぶん「昔の方がよかった」と語るのは特権階級(暴虐の限りが尽くせたとか暴利をむさぼれたとか、あるいは責任のない「子供]だったとか)じゃないですかね。

私の周りの同世代の人はみな当時子供で、無事この年まで生き延びたという意味では「勝ち組」ですから、「昔はよかった」という実感がある人が多くても不思議ではないかもしれません。そういう認識があるなら、これからの世代の人に少しでもいい未来を用意するように残りの人生を捧げることがそういう人の義務だと思います。そうでなきゃ無事に生かされてきた意味がない、と思うんです。

それなのに、もっと長生きとか、悠々自適とか、いつまでも若くとか、戦後生まれのラッキーな世代が必死になるのは、経済効果を別として、いかがなものか、と感じてますよ。