昭和30年代

昭和30年代

sekko · 2012-02-06 22:15:02 UTC+9 · 投稿 #666

お返事遅れてすみません。

私は昭和30年代に小学生でした。大都市の真ん中の公立小学校です。

1クラス50人でしたね。

まったく個人的な思い出の範囲では、周りに猟奇犯罪だの陰湿ないじめなどはなかったです。

その頃は、生徒の中に社会的立場の差が大きすぎて、序列がはっきりしていてかえっていじめはなかった、いじめは生徒たちが同質化したときに小さな差異によって排除する心性が働くから深刻になる、という話をどこかで読んだことがあってなるほどと思ったことがあります。

今思えば、クラスには、「いかにも貧乏」という子供はいました。髪がべたべただとか、フケまみれとか、擦り切れた服を年中来ているとか、近寄ると臭いとか、いわゆる知恵遅れの子供とか、被差別部落や旧植民地国の出身の人とか、アメリカ兵とのハーフでシングルマザーの子供とか、ものすごく多様でした。そういう違いがはっきりしていて、子供は残酷なので、分かりやすいいじめがあったかもしれませんが、分かりやすいだけに、必ず正義の味方みたいな勢力も出てきていじめられる子を守るメカニズムもありました。当時の少女マンガには戦後らしく、「養育院」や「孤児院」にいるヒロインが金持ちの意地悪娘にいじめられるという分かりやすいストーリーもよくあったので、貧しい子を守ることに、使命感や満足感を得ていた子供も少なくなかったと思います。

でもそうやって、ちゃんと学校に行ってた子はましな方で、家の事情で長期欠席の子もいました。

戦後すぐに孤児とか、セーフティネットから外れた小さな子供たちの集団が、10年経って、社会に復讐し始めたとか悪質な不法行為に手を染め始めるといったこともあったでしょう。

でも、今のように、ちょっとした犯罪でも知れ渡りコメントされるような情報システムがないし、「3丁目」に住む子供の世界には現実感がなかったのではないでしょうか。小市民と「ワル」の棲み分けができていたような気もします。

今、暴力団の排除が厳しくなって、それまで暴力団で「保護」されていた人が路頭に迷ったり、最初から一匹狼や未成年不良グループのOBで犯罪に関わる人が増えてきたなどと言われていますが、単純に犯罪の「数」だけでは語れない社会の文脈があると思います。

それに、80年代に、パリのメトロに乗っている人よりもカイロのスラムにいて死亡率も高い子供たちの方が明るくて幸せそうだ、とシスター・エマニュエルが言ったように、全体に厳しい状況下にいる子供たちの方がサバイバル能力がセットアップされてたくましいのかもしれません。幸福度、という点で比べるのはなかなか難しいです。

私個人としては、全体としては妊産婦や乳幼児死亡率が減り、セーフティ・ネットも充実してきた社会のほうが絶対いいと思います。人権意識の高まりや男女平等意識についてもそうですし、弱者をケアする社会がもっと拡大してほしいです。

ただ、日本で今、若者の犯罪が少ないのは、不満や不幸をかかえて内にこもる人が多いからかもしれません。今のフランスなんか、たぶん日本の昭和30年代よりずっと凶悪犯罪が多いと思います。

といっても、私が「直接」それを見聞きしないのは子供時代と同じで、今は情報が多いのですぐに「暴動だ」と聞いてびくびくしているだけかもしれません。

でも管理型社会、情報社会になったおかげで、ホロコーストだとか、金持ちや特権階級の蛮行とか、戦争犯罪とか差別とかは、今は昔より厳しく糾弾されるので、相対的に「前よりよくなった」というのは確実です。

私はその恩恵を十分自覚しているので、トータルに「昔はよかった」とか全然思いませんよ。まあ、「自分が子供だった頃」というノスタルジーは別ものでしょうが。昭和30年代は子供だったからよかったんで、大人としてあの時代を生きる覚悟はまったくないです。

たぶん「昔の方がよかった」と語るのは特権階級(暴虐の限りが尽くせたとか暴利をむさぼれたとか、あるいは責任のない「子供]だったとか)じゃないですかね。

私の周りの同世代の人はみな当時子供で、無事この年まで生き延びたという意味では「勝ち組」ですから、「昔はよかった」という実感がある人が多くても不思議ではないかもしれません。そういう認識があるなら、これからの世代の人に少しでもいい未来を用意するように残りの人生を捧げることがそういう人の義務だと思います。そうでなきゃ無事に生かされてきた意味がない、と思うんです。

それなのに、もっと長生きとか、悠々自適とか、いつまでも若くとか、戦後生まれのラッキーな世代が必死になるのは、経済効果を別として、いかがなものか、と感じてますよ。