場所を変えました
下は昨日Forum2に書いた答えの転載です。
Forum2は宗教・哲学に関する話なので、その後ご指摘があったように、警察の話などは適切ではないと思いました。
みなさま、ブログの感想や他の話題についてコメントしたい方はこれからこちらにお願いします。
>>>犯人が殺されて背景や動機の捜査が出来なくなったのでは?生きた犯人を逮捕することを重視しないのでしょうか?
非人道的な死刑制度がないとはいえ、現行犯として容疑者をためらいもなく射殺するフランスの警察は、犯罪を解明したくないのだろうか、裁判で死刑にできないから凶悪犯は裁判にかけずに殺してもいいといった深層心理でもあるのか?と疑問を感じました。
日本の警察は、犯罪の全容の解明に必要なので、生きている犯人や容疑者を逮捕するのが原則だときいたことがあります。冤罪や不都合な事実が次々出てきたけれど、この原則は人道的だと思います。キリスト教の伝統と人権宣言の国フランスの警察の姿勢は意外でした。
というご感想についてですが、まず少し弁護すると、もちろん生かしたまま逮捕することを犠牲者の家族も含めてみんな望んでいました。単独のサイコパスによる犯罪ではないのですから、ネットワークを調べるためにも金や武器の出どころを突き止めるためにも、警察側も当然それが原則です。でも、相手はナイフや銃を持った強盗などではなく、ロケット砲とカラシニコフという軍備をしているテロリストであり、まさに「戦争」の面があるので、ああいう結果になったのもある程度しょうがないと思います。
それにテロリストは、「武器をもって戦いながら殺される」という聖戦の殉死をまさにねらっているわけで、「武器を捨てて手を挙げて投降する」という展開はまずないのです。おそらく、そういう「名誉の戦死」をすれば「殉教者」のプロパガンダになるので、家族や関係者に「報奨金」が出るのかもしれません。特殊部隊の方も、上からの命令がないともちろん発砲しないので、深層心理に影響された処刑というのはあり得ないと思います。
もちろんロシアかどこかであったように催眠ガスみたいなのを流して無抵抗にするなどの方法もあるのかもしれませんが、とにかく今回は2012年に続いて「生け捕り」には失敗したわけです。
けれども、そこで「生け捕りに失敗した」と世論から非難されないために首相も内務大臣もしつこいほど「警察はよくやった、完璧だった、祝福する、誇りに思う」とたたみかけたわけでしょう。
救出された人質も、マイクを向けられたら、「警察や特殊部隊のおかげです、彼らはすばらしかった」と答えますが、まあ、他に答えようがないでしょう。
それに今回は警察官が残酷な殺され方をされているのを皆が知っているので、そういう賛辞を聞いた時に「そもそも最初の警護が足らなかったのでは」とか「生け捕りする努力もスキルもないのか」「この結末は失敗と言えるのではないか」などと批判することは、さすがにそれこそ自粛されたみたいです。
最初に4人の犠牲者と発表があった時、「うち一人は共犯者ではないかと思われる」という言説がとびかいました。それが結局4人ともユダヤ人の人質ということになりました。彼らはすでに殺されていた、とも。実際、突入の時の画像にすでに床に倒れている人が映っていました。
でも救出された女性のインタビューを聞いたら、3人までは次々に撃たれたのを見たと証言しているのですが、4人目のことは出てこないのです。
その女性は、突入の前に、今から突入するので隠れるようにと警察から携帯で予告されたと言っていました。
で、その4人目のことが一切話題になっていなかったので、私は、4人目は特殊部隊の発砲に巻き込まれて死んだのではないかと思いました。だからこそ1人は共犯者ではないかという推測が流れたのではないかと。もちろんこれは全くの憶測で、どこかに私の見落とした情報があるのかもしれません。
確かに、たとえその4人目が特殊部隊の発砲で死んだのだとしても、悪いのはテロリストであることは間違いないので、「テロの犠牲者」ではあります。
それに「3人はテロリストに殺され、4人目は銃撃戦に巻き込まれた」のだとしてもそんな報道のし方は、やはり控えられたのかもしれません。この週末のフランス全体の雰囲気から考えて、そういうグレーゾーンの詳細報道はいったん据え置かれたとしても不思議でない気もします。
ひよっとしたらそんなことを勘ぐる私の方がおかしいのかもしれませんが、私がこの疑問を口にしても、別に周りの誰も否定しません。
それに、警察は、今回の場合、「同僚を殺された報復」なんていっている暇はなくて、日曜の超政治的なVIPの行進や群衆の安全を守るために必死だったので、無事に終わって「お疲れさま」「ごくろうさま」という感謝とねぎらいの気持ちはみな共有していますから。
水曜のシャルリー・エブドは三百万部も出るそうです。でも追悼号みたいにしないでいつも通りに笑ってもらう、殺された画家たちの未発表原稿も使う、ということです。
今回の「テロ」とその「解決」は、何かいろいろと「腑に落ちない」部分もある展開なのですが、それでも一方で「笑い」がキーワードになっているからバランスがとれているかなあ、と思います。
以上が私の観察です。少なくとも、シャルリー・エブドからもいつも揶揄されていたフランスの警察が「日本の警察よりも人道的ではない」ということはないと思います。
>>教皇への忠誠についてですが、洗礼に際して使徒信条を自らの信条とするのを教皇に忠誠を誓うと言い表すのではないでしょうか。教皇様に臣従を誓って家来になる、わけではないですよね。
「家来」はないでしょうが、たとえばイエズス会の終身誓願の中に普通の「清貧、貞潔、従順」の他にわざわざ4つ目の「教皇への従順」があるのですから、「使徒信条」即教皇に忠誠と言うわけではないと思います。
Forum2は宗教・哲学に関する話なので、その後ご指摘があったように、警察の話などは適切ではないと思いました。
みなさま、ブログの感想や他の話題についてコメントしたい方はこれからこちらにお願いします。
>>>犯人が殺されて背景や動機の捜査が出来なくなったのでは?生きた犯人を逮捕することを重視しないのでしょうか?
非人道的な死刑制度がないとはいえ、現行犯として容疑者をためらいもなく射殺するフランスの警察は、犯罪を解明したくないのだろうか、裁判で死刑にできないから凶悪犯は裁判にかけずに殺してもいいといった深層心理でもあるのか?と疑問を感じました。
日本の警察は、犯罪の全容の解明に必要なので、生きている犯人や容疑者を逮捕するのが原則だときいたことがあります。冤罪や不都合な事実が次々出てきたけれど、この原則は人道的だと思います。キリスト教の伝統と人権宣言の国フランスの警察の姿勢は意外でした。
というご感想についてですが、まず少し弁護すると、もちろん生かしたまま逮捕することを犠牲者の家族も含めてみんな望んでいました。単独のサイコパスによる犯罪ではないのですから、ネットワークを調べるためにも金や武器の出どころを突き止めるためにも、警察側も当然それが原則です。でも、相手はナイフや銃を持った強盗などではなく、ロケット砲とカラシニコフという軍備をしているテロリストであり、まさに「戦争」の面があるので、ああいう結果になったのもある程度しょうがないと思います。
それにテロリストは、「武器をもって戦いながら殺される」という聖戦の殉死をまさにねらっているわけで、「武器を捨てて手を挙げて投降する」という展開はまずないのです。おそらく、そういう「名誉の戦死」をすれば「殉教者」のプロパガンダになるので、家族や関係者に「報奨金」が出るのかもしれません。特殊部隊の方も、上からの命令がないともちろん発砲しないので、深層心理に影響された処刑というのはあり得ないと思います。
もちろんロシアかどこかであったように催眠ガスみたいなのを流して無抵抗にするなどの方法もあるのかもしれませんが、とにかく今回は2012年に続いて「生け捕り」には失敗したわけです。
けれども、そこで「生け捕りに失敗した」と世論から非難されないために首相も内務大臣もしつこいほど「警察はよくやった、完璧だった、祝福する、誇りに思う」とたたみかけたわけでしょう。
救出された人質も、マイクを向けられたら、「警察や特殊部隊のおかげです、彼らはすばらしかった」と答えますが、まあ、他に答えようがないでしょう。
それに今回は警察官が残酷な殺され方をされているのを皆が知っているので、そういう賛辞を聞いた時に「そもそも最初の警護が足らなかったのでは」とか「生け捕りする努力もスキルもないのか」「この結末は失敗と言えるのではないか」などと批判することは、さすがにそれこそ自粛されたみたいです。
最初に4人の犠牲者と発表があった時、「うち一人は共犯者ではないかと思われる」という言説がとびかいました。それが結局4人ともユダヤ人の人質ということになりました。彼らはすでに殺されていた、とも。実際、突入の時の画像にすでに床に倒れている人が映っていました。
でも救出された女性のインタビューを聞いたら、3人までは次々に撃たれたのを見たと証言しているのですが、4人目のことは出てこないのです。
その女性は、突入の前に、今から突入するので隠れるようにと警察から携帯で予告されたと言っていました。
で、その4人目のことが一切話題になっていなかったので、私は、4人目は特殊部隊の発砲に巻き込まれて死んだのではないかと思いました。だからこそ1人は共犯者ではないかという推測が流れたのではないかと。もちろんこれは全くの憶測で、どこかに私の見落とした情報があるのかもしれません。
確かに、たとえその4人目が特殊部隊の発砲で死んだのだとしても、悪いのはテロリストであることは間違いないので、「テロの犠牲者」ではあります。
それに「3人はテロリストに殺され、4人目は銃撃戦に巻き込まれた」のだとしてもそんな報道のし方は、やはり控えられたのかもしれません。この週末のフランス全体の雰囲気から考えて、そういうグレーゾーンの詳細報道はいったん据え置かれたとしても不思議でない気もします。
ひよっとしたらそんなことを勘ぐる私の方がおかしいのかもしれませんが、私がこの疑問を口にしても、別に周りの誰も否定しません。
それに、警察は、今回の場合、「同僚を殺された報復」なんていっている暇はなくて、日曜の超政治的なVIPの行進や群衆の安全を守るために必死だったので、無事に終わって「お疲れさま」「ごくろうさま」という感謝とねぎらいの気持ちはみな共有していますから。
水曜のシャルリー・エブドは三百万部も出るそうです。でも追悼号みたいにしないでいつも通りに笑ってもらう、殺された画家たちの未発表原稿も使う、ということです。
今回の「テロ」とその「解決」は、何かいろいろと「腑に落ちない」部分もある展開なのですが、それでも一方で「笑い」がキーワードになっているからバランスがとれているかなあ、と思います。
以上が私の観察です。少なくとも、シャルリー・エブドからもいつも揶揄されていたフランスの警察が「日本の警察よりも人道的ではない」ということはないと思います。
>>教皇への忠誠についてですが、洗礼に際して使徒信条を自らの信条とするのを教皇に忠誠を誓うと言い表すのではないでしょうか。教皇様に臣従を誓って家来になる、わけではないですよね。
「家来」はないでしょうが、たとえばイエズス会の終身誓願の中に普通の「清貧、貞潔、従順」の他にわざわざ4つ目の「教皇への従順」があるのですから、「使徒信条」即教皇に忠誠と言うわけではないと思います。