keiさまへ

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sekko · 2015-01-15 01:34:26 UTC+9 · 投稿 #802

そうですね。

昔はサッカーチームが一番フランスらしさがありました。

1998年のワールドカップでフランスが勝ち進むにつれて、街の雰囲気が変わりました。本当に、黒人でもアラブ人でもみんな「フランス人で誇らしい」という仲良し連帯意識が手に取れました。

まあ「強い者、優れた者」が即「フランス人」認定なんていうのもご都合主義だなあ、と私は思っていましたが、それでも、私自身も、フランスが勝てば「私はフランス人」負ければ「私は日本人」とか思っちゃうものですから、それに比べれば犠牲者に心を寄せて「私はシャルリー」とか言う方がましなのかもしれません。

みんなでどういうゲームをするかと言うのは、一人一人の属性とは関係ないですよね。私も演奏する時に、ラモーとかミオンとかの表現したかったことの周りに寄り添ってそれをどう実現するかという目的のために、世代も出身も違う仲間たちと一体化するのでよくわかります。

でもフランスでコミュノタリスムが進化したので、サッカーも変わりました。去年の記事に書きました。

http://spinou.exblog.jp/22306128/

女子サッカーというのはまた全然別の感慨があります。

この世界はまだまだ、人種差別よりも性差別の方が「普遍化」しているのだと思えてきます。でも反対に、女子サッカーの世界の方が、マネーに支配されない連帯のいい部分が残されているのかもしれません。

聖人ものは、今年の3月28日がアヴィラの聖テレサの生誕500年なので、数年来温めている彼女に関する話を書きたいところなのですが、今はフリーメイスンをまとめ、キリスト教の本とナポレオンで手いっぱいなので無理そうです。