2009年の投稿

遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。

Sekko · 2009-01-14 10:43:35 UTC+9 · 投稿 #504

掲示板への投稿お知らせ機能がストップしてたみたいで、お返事が遅くなってすみません。

ブログのご愛読ありがとうございます。

phantomさんに、こんなふうに言ってもらえてすごく嬉しいです。これに勢いを得て、同じ件についてブログに追加記事書きました。どう思われますか?

まいさんもありがとうございます。おしゃべりは好きなので気軽にどうぞ。
自分より弱いものを擁護し援助するのも当然だと思いますが、上から目線のお情けでなく、自分のなかの弱い部分をもかかえながらつながりあうという感じでしょうか。みないつかは老いたり死んだりするのですから、「強さ」なんて支配のためのレトリックでしかないかもしれません。生病老死とどう向かい合うかというのが宗教の成り立ちだとしたら、やっぱり、信仰があって平安に生きられる人が羨ましいです。
キリスト教が、いつの間にか絶対強者にされていた「神」を人に引き寄せて関係性を結んでくれたのはいいなと思います。

マルコの福音書2-17に、

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」

というイエスの言葉があります。

実際、イエスに天国に招かれた第一号は、隣で十字架につけられていた犯罪人ということです。

シリアの古い詩に、この犯罪人がやってきたので、天国の番をしていた天使が嫌な顔をして入れ渋った、というのがあるそうです。

「自分たちいい人ばかりが天国の住民ね」なんていう優越意識を持ってたら、こんなふうになりがちなんですよね。

みんな罪人、って言うのは別に卑下やマゾじゃなくて、独善や排他を避けるために必要な考えなんでしょうね。

カトリックでも禅とか東洋的瞑想方法や新体技法を取り入れてるグループもあります。キリスト教もストア派的ヘレニズムの世界で形成されて来たから苦行っぽい伝統もありますけど、イエスはもっと楽しそうですね。
神を外に立てちゃうと戦争の口実にしたり、祈願の対象にしたり、都合のいい方にねじまげちゃう歴史の繰り返しを見てると、すでに内なる中に来てくれている神、というアプローチはいいですね。仏教にも同じアプローチはありますよね。