よいお年を
ローマでお正月、いいでしょうね。私は、母と石垣島でお正月です。私は沖縄は初めてです。3年前に私の息子が母に那覇での正月をプレゼントしたので、今度はもっとディープなところになったみたいです。
今、聖ヨセフについての本を書いているんですが、聖ヨセフはカトリックで早いうちから「善き死」の守護聖人だったんですよ。死のシーンは福音書には出てこないんですが、聖書外典などを通してすごく有名だったんですね。イエスは彼の実子じゃなさそうだし、妻ともセックスレスの関係だったとされていて、普通に考えたら味気ない人生にも思えるんですが、血縁とか結婚じゃなくても、他者(聖母子)の人生に親密にかかわって他者の命の役に立てたということで、生と死が充実して完結したのかもしれません。イエスの生と死はそれをさらに先鋭化したと言えるのかも。血を分けた子を得て自分の財産を継承させたいなんていう願いの方がよくあることですが、そんな基準をぶっとばしている彼らが「聖家族」としてキリスト教社会のモデルになっていたことって、なんか新鮮だなあとこのごろ思ってます。
いかに生きるかといかに死ぬかは一続きなんでしょうけど、そしてキリスト教の伝統の中には善き死の準備みたいなのがずっとありましたが、事故とか天災で死ぬこともあるし、終わり方はなかなかコントロールできないと思うので、とりあえず生き方にポリシーを持っとくべきだなあ、とか思ってます。
今、聖ヨセフについての本を書いているんですが、聖ヨセフはカトリックで早いうちから「善き死」の守護聖人だったんですよ。死のシーンは福音書には出てこないんですが、聖書外典などを通してすごく有名だったんですね。イエスは彼の実子じゃなさそうだし、妻ともセックスレスの関係だったとされていて、普通に考えたら味気ない人生にも思えるんですが、血縁とか結婚じゃなくても、他者(聖母子)の人生に親密にかかわって他者の命の役に立てたということで、生と死が充実して完結したのかもしれません。イエスの生と死はそれをさらに先鋭化したと言えるのかも。血を分けた子を得て自分の財産を継承させたいなんていう願いの方がよくあることですが、そんな基準をぶっとばしている彼らが「聖家族」としてキリスト教社会のモデルになっていたことって、なんか新鮮だなあとこのごろ思ってます。
いかに生きるかといかに死ぬかは一続きなんでしょうけど、そしてキリスト教の伝統の中には善き死の準備みたいなのがずっとありましたが、事故とか天災で死ぬこともあるし、終わり方はなかなかコントロールできないと思うので、とりあえず生き方にポリシーを持っとくべきだなあ、とか思ってます。