(無題)
Sekko様、お忙しいでしょうからお返事は2,3週間後だろうとチェックしていなかったので、すぐのご返事に驚きました。ありがとうございました。
聖霊付与まで人間(司祭)がコントロールし得るものとされて、ある意味で制度化されていることを知って、少々驚きました。聖霊はおのれの欲するところに吹く、というような言葉があったような気がしますので。私は若い頃から聖書は好きで新約は繰り返し読みましたし、旧約も通読いたしましたが、キリスト教のドグマのため、また形骸化したとしか思われないため、教会には足を踏み入れたことがなく、そんなことも知りませんでした。
(なお、私は若い頃、一種の宇宙意識的な見神体験 ― W.ジェームスの「宗教経験の諸相」の分類では突発的回心と言われるようなもの ― をいたしましたが、それはどんな準備もなしに突然訪れ、どのような宗教教義とも結びついていませんでした。)
聖霊体験がほんものかどうかを簡単に識別する客観的手段がない以上、おっしゃるとおり、果実を見てその木を知る、のが最も確実な方法と言えるでしょうし、その際「神の力は人々を結びつけ、悪魔的な力は人々を分かつ」というのが一つの基準になるだろうという考えには、私もまったく同感です。(なお私は感情を刺激するなどの人間的手段によって生じる、いわゆるエクスタシー体験は信用していません。)その意味で、たとえばマザー・テレサは、間違いなく聖霊の働きを受けていたのだろうと感じます。彼女は宗教によって人々を分けませんでしたから。
ところで、ご返事がいただけたので、もうひとつまったく別の質問をさせてください。
最近、トマス福音書や、マリア福音書などに関する研究の書物を興味ふかく読んでいますが、最近の報道では、「イエスの墓」(イエスに子供がいたという推測を示唆するらしい)に関するテレビ番組が米国で近く放映されるらしく、インターネット上に、早速それに関するサイトがつくられています。
キリスト教教会は(カトリックもプロテスタントも)もちろんこれらの報道や、教会のドグマの正当性をおびやかしかねない学問的研究に対して、(中世のように弾圧はできないでしょうから)完全無視の態度をとり続けるのではないかと私は思いますが、Sekkoさんはどう予想されますか? また最近の研究の進捗状況から考えると、これらの説に対していつまでも反発や無視ではすまされなくなり、(決定的な証拠はなかなかでないでしょうから)時間はかかるかもしれませんが、かたくなな態度だけでは、将来ガリレオの天動説に対して地動説を守り続けようとした教会のような立場におかれる危険があるのではないかと思いますが、どう思われますか? もちろん個人的なお考えで結構です。
聖霊付与まで人間(司祭)がコントロールし得るものとされて、ある意味で制度化されていることを知って、少々驚きました。聖霊はおのれの欲するところに吹く、というような言葉があったような気がしますので。私は若い頃から聖書は好きで新約は繰り返し読みましたし、旧約も通読いたしましたが、キリスト教のドグマのため、また形骸化したとしか思われないため、教会には足を踏み入れたことがなく、そんなことも知りませんでした。
(なお、私は若い頃、一種の宇宙意識的な見神体験 ― W.ジェームスの「宗教経験の諸相」の分類では突発的回心と言われるようなもの ― をいたしましたが、それはどんな準備もなしに突然訪れ、どのような宗教教義とも結びついていませんでした。)
聖霊体験がほんものかどうかを簡単に識別する客観的手段がない以上、おっしゃるとおり、果実を見てその木を知る、のが最も確実な方法と言えるでしょうし、その際「神の力は人々を結びつけ、悪魔的な力は人々を分かつ」というのが一つの基準になるだろうという考えには、私もまったく同感です。(なお私は感情を刺激するなどの人間的手段によって生じる、いわゆるエクスタシー体験は信用していません。)その意味で、たとえばマザー・テレサは、間違いなく聖霊の働きを受けていたのだろうと感じます。彼女は宗教によって人々を分けませんでしたから。
ところで、ご返事がいただけたので、もうひとつまったく別の質問をさせてください。
最近、トマス福音書や、マリア福音書などに関する研究の書物を興味ふかく読んでいますが、最近の報道では、「イエスの墓」(イエスに子供がいたという推測を示唆するらしい)に関するテレビ番組が米国で近く放映されるらしく、インターネット上に、早速それに関するサイトがつくられています。
キリスト教教会は(カトリックもプロテスタントも)もちろんこれらの報道や、教会のドグマの正当性をおびやかしかねない学問的研究に対して、(中世のように弾圧はできないでしょうから)完全無視の態度をとり続けるのではないかと私は思いますが、Sekkoさんはどう予想されますか? また最近の研究の進捗状況から考えると、これらの説に対していつまでも反発や無視ではすまされなくなり、(決定的な証拠はなかなかでないでしょうから)時間はかかるかもしれませんが、かたくなな態度だけでは、将来ガリレオの天動説に対して地動説を守り続けようとした教会のような立場におかれる危険があるのではないかと思いますが、どう思われますか? もちろん個人的なお考えで結構です。