聖書のヘンテコな点について
題名の件について、どう考えるか?とある教会の神父さんにあれこれ聞いてみました。いろいろ話しましたが、答えとして一口にまとめると聖書は一人で勝手に読んで解釈するものではない、とのことでした。
私がここであれこれあげた他にも、背景や前後関係をよく吟味した上でよく考えないとトンでもない誤解や事態を招きかねない箇所は他にもいくらでもある、だから教会、少なくともカトリック教会の場合、一人で勝手に聖書を解釈することは許さなかったんです、とのことでした。
これは納得いきました。解釈を教会が監督、コントロールというとなんだか言論、思想の自由の妨害って感じがしますが、聖書を読むとこれを字義どおり勝手に解釈すると大変だ、って部分は確かに多かったりしますし、現にその過激な部分(イエスの「家族を棄てろ」発言とか)を「利用」しているカルト団体もあるわけで。聖書に関する限り、ある程度のコントロールはやむえないかも、と思います。
思うに聖書って「良いも悪いも読む人次第」な部分がたぶんにあるな、と思うのですが、どうでしょうか。
学校なんかで習う世界史だと、聖書を一般信者から遠ざけ、腐敗の限りを極めていたカトリック教会に対して、ルターをはじめとするプロテスタントたちが敢然と立ち上がり、なんて図式で描かれることが多く、それはそれで間違いではないとは思うものの、ある程度、キリスト教の事情がわかる今となっては「聖書に帰れ」とか「信仰は聖書のみ」って本当に手放しでいいことなのか?と思うようになりましたね。
原理主義についてあれこれここで述べましたけど、実は教派云々ではなくプロテスタント成り立ち、存在自体が一種の原理主義なのかも、と思ったりします。実際、聖書を「字義どおり」信じる人ってプロテスタントの人の方が割合的に圧倒的に高いし。
私がここであれこれあげた他にも、背景や前後関係をよく吟味した上でよく考えないとトンでもない誤解や事態を招きかねない箇所は他にもいくらでもある、だから教会、少なくともカトリック教会の場合、一人で勝手に聖書を解釈することは許さなかったんです、とのことでした。
これは納得いきました。解釈を教会が監督、コントロールというとなんだか言論、思想の自由の妨害って感じがしますが、聖書を読むとこれを字義どおり勝手に解釈すると大変だ、って部分は確かに多かったりしますし、現にその過激な部分(イエスの「家族を棄てろ」発言とか)を「利用」しているカルト団体もあるわけで。聖書に関する限り、ある程度のコントロールはやむえないかも、と思います。
思うに聖書って「良いも悪いも読む人次第」な部分がたぶんにあるな、と思うのですが、どうでしょうか。
学校なんかで習う世界史だと、聖書を一般信者から遠ざけ、腐敗の限りを極めていたカトリック教会に対して、ルターをはじめとするプロテスタントたちが敢然と立ち上がり、なんて図式で描かれることが多く、それはそれで間違いではないとは思うものの、ある程度、キリスト教の事情がわかる今となっては「聖書に帰れ」とか「信仰は聖書のみ」って本当に手放しでいいことなのか?と思うようになりましたね。
原理主義についてあれこれここで述べましたけど、実は教派云々ではなくプロテスタント成り立ち、存在自体が一種の原理主義なのかも、と思ったりします。実際、聖書を「字義どおり」信じる人ってプロテスタントの人の方が割合的に圧倒的に高いし。