para と trans など
ええと、ブログで書いたことは文脈を省略した断片なので、言葉が足らなかったと思いますが、ハイデッガーのことは全く頭にありませんでした。
ちょうど扱っていたところが、Martin Rees と Richard Dawkins の無神論だったので、ああいう言い方になったのです。ハイデッガーは全然別物だと思っていますし、私はむしろ、ハイデッガーは、ポストモダンというより、形を変えたモダンの系譜じゃないかと感じています。フランス実存主義の哲学者たちも、反教権主義は別としても、ニヒリズムと背中合わせの無神論とは違うんじゃないかと。まあ、この辺は、長くなるんで、いつかちゃんとまとめてみたいですが・・
実は、Martin Rees なんかのこの考え方は、solipsisme historique 批判なんです。「今ここ」だけ主義の批判なんで、「今ここ」だけ主義というものが、「永遠に死ぬ=つまり生まれ変わりとか復活とか死後の世界がない」ことに対する恐怖から生まれていると見ているんで、結果的に「永遠の否定」にもなってるのが逆説的なんでおもしろいんですが。分りにくいかもしれませんが・・・
私個人は、「死=しょうがない」という感慨しかないんですけど。
個体には、終わりは確かにあって有限だけど、初めはどこが最初か確実には遡れないので、始まりの方が無限だ、って言ってる遺伝学者がいましたが、それもなあ、別に慰めにはなんないです。若い時に無神論者でも死が近づくと不可知論者っていうのは、若い時の革命家が中年になってブルジョワ左派になるように、多分、イデオロギーの一種なのかも。
私は「今ここ」の管理すらも上手くいかないんで、procrastination、神とか死とか偉そうに言えません。
パラとトランスの訳ですが、確かに、パラは「併行」とかのニュアンスを出すべきだと思ったのですが、ご指摘のように、パラプシコロジーが超心理学と通常訳されているのを知っていたので、語感もいいし、あがるまさんがおっしゃってくださったように、transcendance をイメージしたかったのです。その意味では、成功したかと思います。でも例えば、paramedecine なんかは明らかに「代替医療」なんですよね。alterとかじゃなくても。後、metanoia という時のメタというのも、しっくりきません。まあ、パラエレジーもそうでししたが、カタカナを示すことで、ある程度類推してもらえると思っていますが。
ちょうど扱っていたところが、Martin Rees と Richard Dawkins の無神論だったので、ああいう言い方になったのです。ハイデッガーは全然別物だと思っていますし、私はむしろ、ハイデッガーは、ポストモダンというより、形を変えたモダンの系譜じゃないかと感じています。フランス実存主義の哲学者たちも、反教権主義は別としても、ニヒリズムと背中合わせの無神論とは違うんじゃないかと。まあ、この辺は、長くなるんで、いつかちゃんとまとめてみたいですが・・
実は、Martin Rees なんかのこの考え方は、solipsisme historique 批判なんです。「今ここ」だけ主義の批判なんで、「今ここ」だけ主義というものが、「永遠に死ぬ=つまり生まれ変わりとか復活とか死後の世界がない」ことに対する恐怖から生まれていると見ているんで、結果的に「永遠の否定」にもなってるのが逆説的なんでおもしろいんですが。分りにくいかもしれませんが・・・
私個人は、「死=しょうがない」という感慨しかないんですけど。
個体には、終わりは確かにあって有限だけど、初めはどこが最初か確実には遡れないので、始まりの方が無限だ、って言ってる遺伝学者がいましたが、それもなあ、別に慰めにはなんないです。若い時に無神論者でも死が近づくと不可知論者っていうのは、若い時の革命家が中年になってブルジョワ左派になるように、多分、イデオロギーの一種なのかも。
私は「今ここ」の管理すらも上手くいかないんで、procrastination、神とか死とか偉そうに言えません。
パラとトランスの訳ですが、確かに、パラは「併行」とかのニュアンスを出すべきだと思ったのですが、ご指摘のように、パラプシコロジーが超心理学と通常訳されているのを知っていたので、語感もいいし、あがるまさんがおっしゃってくださったように、transcendance をイメージしたかったのです。その意味では、成功したかと思います。でも例えば、paramedecine なんかは明らかに「代替医療」なんですよね。alterとかじゃなくても。後、metanoia という時のメタというのも、しっくりきません。まあ、パラエレジーもそうでししたが、カタカナを示すことで、ある程度類推してもらえると思っていますが。