信じること

信じること

Sekko · 2010-03-18 06:56:07 UTC+9 · 投稿 #488

信じることとは、何かを字義どおりに刷り込むことではなくて、それによって生き方の変容になるとか世界の見方が変わるとか行動の指針になることだと思うんですよね。変な例えですが、小さい子供がいる家族がクリスマスにサンタクロースがプレゼントをくれると思ってわくわくしているのを見る両親が、サンタクロースなんていないんじゃないか、とか、一家で初詣とかお宮詣りに行く人が、ひょっとしてここに神様なんていないかも、と疑問に思う必要はないと思うんですね。ま、クリスマス禁止とか神社参拝禁止って宗派もありますけど。

何かを自由意思で信じることによって、自分が他者に対しての公正だとかやさしさだとかに迎えるのなら、真偽なんて優先しないこともありますし、逆に、「何々」を頭から信じるかどうかによって人を裁いたり排除したりするようなシステならは、それはただの「何々」への偶像崇拝じゃないかと私は思います。

大羊さんが今抵抗を覚えているということは、その「何々」を信じる、認めることが第一義かのようにふるまう人がいるからじゃないでしょうか。

イエスは、天国に行けるのは洗礼を受けた人だとか自分を信じる者だとか言わず、飢えた人に食べさせ、渇いたいた人に飲ませた人だと行ってるし、何よりも偽善や形式主義を嫌ってたと思います。

今の時代にキリスト教のドグマをどう考えるかということについて、4月10日発売のカトリック生活5月号で私の考えを書いてますので、チャンスがあればお読みください。