不信感

不信感

迷える大羊 · 2011-01-09 12:41:06 UTC+9 · 投稿 #543

>不信感

ああ、これはですね。まあ、以前から抜けない疑問、でこちらでも何度かお話しさせていただいてはおりますが、キリスト教やクリスチャンの世界では、聖書にどんなに理不尽な話、明らかにひどい話があっても、「これは何か意味があるに違いない」「いや、聖書は侵略、略奪行為を正当化などしていない」なんて無理やり思いこまなければいけないんですかねぇ・・ってことですね。

正直、私、旧約聖書にはどうにもついていけないものを感じることが多くって。ダビデの話なんてまだいいんです。どうにも個人的に「これは問題だ」と思わざるえないのは、ヨシュア記。

神様はイスラエルの民に「足の裏が踏むところすべてをあなたたちに与える」と約束。しかし、そこにはすでに異民族が居住。で、主はどうしたか、っていうと、城門を閉じて抵抗する(当たり前ですね)現地人(異民族)への攻略方法をイスラエル人に指南した上、略奪行為に「お墨付き」を与えているのですから恐れ入ります。
とにかく、イスラエル人に占領された異民族の街は男も女も若者から老人に至るまですべて抹殺されたのだからすさまじい限り。

これ読むと、「ああ、道理でパレスチナ問題は解決しないはずだ・・」とため息が出てきますね。第三者や非ユダヤ教徒、非クリスチャンからすると「超勝手」「自己中」、としか言いようがない理屈、所業でも、イスラエルの民、ユダヤ教徒からすれば「主のご命令」だし、占領地は「約束の地」なのですから、話がかみ合うわけないですし。

でも、私がわけあって関わっている教会(プロテスタント)の牧師さんなんかは「聖書は侵略、略奪行為を決して正当化していない」って言い張るんですよね。察しが悪く、素直でもない私などは「ええ??どこをどう読んだらそんな風に解釈できるんだ~??」と頭を抱えざるえないんですが・・・。
ていうか、クリスチャンの世界じゃ、たとえ聖書でもおかしい個所はおかしい、っていったり考えたりしたらいかんのかなぁ、という疑問と、何か必死に自分の理論を正当化しようとして、歪曲に歪曲を重ねている姿が見えてくるようで、白けてしまいました。

どうも、聖書の過剰な神聖化は考えものだなって思うのと、別にカトリック関係者のサイトだからいうわけではないのですが、聖書に対する接し方とか距離の取り方はカトリックの方が「健全」かもなぁ、と思った次第です。

あと、私のイエスやキリスト教についての考え方っていうのは、時に過激なこと、首を傾げたくなるようなことも言ったりやったりする、胡散臭いところもあるけれど、でも、その教えや生きる姿勢には共鳴するし、この社会において様々な良き部分を担ってきた、特にあまり目に見えない部分での良き部分を担ってきた、その存在が世の中や自分を良い方向に変える可能性を信じます、といったもの。

しかし、「この程度」ではクリスチャン失格みたいなんですね。「それじゃ、ガンジーなど、一般の偉人と同じなんです、信仰にはならないんです」のだそうです。さらに「イエス様がこの世に来られたのは人が虫けらになったことに匹敵するすごいことなんです」なんて熱く語られてしまいました。
キリスト教にシンパシーはこれでもあるんですが、そこまで「強烈」に「信じる」ことを求められるんじゃ、厳しいな、と思った次第。

ところで、うまく言葉で言えないんですが、先生やこちらに集う皆さんの信仰の「度合い」ってどの程度のものなのでしょうか?やはり、私程度の「信仰」は「甘すぎる」「生ぬるすぎる」ものなんですかね?