大羊さま
まず最初に、これは、「善意の近所のおばさん」程度のスタンスでのお答えなんで、それ以上のものではないことをお断りします。
大羊さんが、もし、そんなに、
「聖書についてみんなと同じように考えるのでなくてはうちの共同体の仲間に入れてやらないよ」
だとか
「うちの仲間になるのなら、うちの考え方に完全に合意しなくてはならないよ」
というタイプの共同体と関わっているとしたら、大羊さんが向こうを変えることは絶対にできないと思うし、よほど洗脳されない限り納得できることもないと思うので、細部にこだわって悩むのは時間の無駄だと思いますよ。
キリスト教は旧約部分を聖典に取り入れることでキリスト教が歴史的にどう位置付けられてユダヤ教を普遍宗教として仕上げるに至ったかを明らかにしているわけですが、
民族宗教であるユダヤ教の文脈では神さまは明らかに民族神であり、氏神みたいなものですから、他民族の利益なんて眼中になくても自然な感じがします。
でも、多神教が一般だった世界から、「私だけを拝め」とオンリーワンの方向に進化したユダヤ教の一神教体質のおかげで、地縁血縁を超えたすべての人がキリストの名のもとで救われるという普遍宗教が誕生したのだから、普遍主義擁護の私の立場としては感謝です。
イエスもユダヤ人によるバイアスのかかりまくっていたユダヤ教を普遍的な隣人愛に敷衍ししてくれましたし、神との契約や律法を解釈する人々の恣意性を批判しました。それに続く人たちも、人種民族性別立場の差を超えて誰もがキリストの体の一部として永遠に生きる有機体を構成しうるというイメージを与えてくれたので、その連帯生命力の可能性の前では、旧約のヘンなところのごり押し正当化など、無意味というよりマイナスととられても無理ないですね。
普通のキリスト教シンパの人は、ただ、自分より弱い者や小さい者を気づかう、大きくて強いものより小さくて弱いものを優先する、という教えだけ、実践をできるだけ心がけるだけでよく、キリストやキリスト教の名のもとにそういうことを実践している人を助けたりリスペクトするだけでいいと思います。
もちろん他の宗教でも同じような利他の勧めはありますし、それは結局、あまりもの極端なエゴイストは人間の歴史の中で結局自然淘汰されて、ある程度の利他に価値を認める遺伝子が生き伸びて社会を構成してきたからだと思います。そういう意味で利他には普遍性があります。
もちろん、強いものが弱いものを縛り支配するという社会もいつの世にもあるわけですが、そんな時に、いつも勇敢で身を賭しても弱い人を救ってきた宗教者や信仰者は出ましたし、その価値は測りきれません。
キリスト教の場合、イエスを偉人として見ているだけではなく、その復活と聖霊降臨の場面で何かが起こったことによる信仰が核になっているので、それに関しては、その意味がインスパイアされるかどうか、または「回心」に至る歩み方は、人それぞれだと思います。
大羊さんの場合、大切な奥さまの関わる共同体ということで、どうしても「理解したい」と思われるのかもしれませんが、
じつは、最近ついブログ http://spinou.exblog.jp/15742118/
に書いちゃったんですが、他宗教とのすごく楽で平和な共存方法は、その共同体のことを宗教だと思わずにカルチャーだと思えばいいのではないでしょうか。
もちろん、信じている人たちにとっては宗教であるのですから、それを否定するわけではありません。でも大羊さん自身はまだ宗教を求める心になっていないし帰属欲求もない、だからその共同体を「大羊さんにとっての宗教」として吟味する必要もないということで、カルチャーとしてリスペクトすればいいのでは?
夫婦に別々の愛読書があったり、別ジャンルの音楽が好きでも、互いにけなしたり強要したりしなければ、理解をしあって棲み分けたり、たまに相手の好きなコンサートにつきあったりと、平和で豊かな関係が築けるのと基本的には同じだと思います。
本当に内面的な神との関係などは別でしょうが、所詮人間が集まって作る共同体には、その時々の組み合わせで特殊な展開をすることは大いにあると思います。
大羊さんのように健全な批判精神と奥さまを思いやる心があれば、きっといい方向に行くと思いますよ。今年がいい年でありますように。
大羊さんが、もし、そんなに、
「聖書についてみんなと同じように考えるのでなくてはうちの共同体の仲間に入れてやらないよ」
だとか
「うちの仲間になるのなら、うちの考え方に完全に合意しなくてはならないよ」
というタイプの共同体と関わっているとしたら、大羊さんが向こうを変えることは絶対にできないと思うし、よほど洗脳されない限り納得できることもないと思うので、細部にこだわって悩むのは時間の無駄だと思いますよ。
キリスト教は旧約部分を聖典に取り入れることでキリスト教が歴史的にどう位置付けられてユダヤ教を普遍宗教として仕上げるに至ったかを明らかにしているわけですが、
民族宗教であるユダヤ教の文脈では神さまは明らかに民族神であり、氏神みたいなものですから、他民族の利益なんて眼中になくても自然な感じがします。
でも、多神教が一般だった世界から、「私だけを拝め」とオンリーワンの方向に進化したユダヤ教の一神教体質のおかげで、地縁血縁を超えたすべての人がキリストの名のもとで救われるという普遍宗教が誕生したのだから、普遍主義擁護の私の立場としては感謝です。
イエスもユダヤ人によるバイアスのかかりまくっていたユダヤ教を普遍的な隣人愛に敷衍ししてくれましたし、神との契約や律法を解釈する人々の恣意性を批判しました。それに続く人たちも、人種民族性別立場の差を超えて誰もがキリストの体の一部として永遠に生きる有機体を構成しうるというイメージを与えてくれたので、その連帯生命力の可能性の前では、旧約のヘンなところのごり押し正当化など、無意味というよりマイナスととられても無理ないですね。
普通のキリスト教シンパの人は、ただ、自分より弱い者や小さい者を気づかう、大きくて強いものより小さくて弱いものを優先する、という教えだけ、実践をできるだけ心がけるだけでよく、キリストやキリスト教の名のもとにそういうことを実践している人を助けたりリスペクトするだけでいいと思います。
もちろん他の宗教でも同じような利他の勧めはありますし、それは結局、あまりもの極端なエゴイストは人間の歴史の中で結局自然淘汰されて、ある程度の利他に価値を認める遺伝子が生き伸びて社会を構成してきたからだと思います。そういう意味で利他には普遍性があります。
もちろん、強いものが弱いものを縛り支配するという社会もいつの世にもあるわけですが、そんな時に、いつも勇敢で身を賭しても弱い人を救ってきた宗教者や信仰者は出ましたし、その価値は測りきれません。
キリスト教の場合、イエスを偉人として見ているだけではなく、その復活と聖霊降臨の場面で何かが起こったことによる信仰が核になっているので、それに関しては、その意味がインスパイアされるかどうか、または「回心」に至る歩み方は、人それぞれだと思います。
大羊さんの場合、大切な奥さまの関わる共同体ということで、どうしても「理解したい」と思われるのかもしれませんが、
じつは、最近ついブログ http://spinou.exblog.jp/15742118/
に書いちゃったんですが、他宗教とのすごく楽で平和な共存方法は、その共同体のことを宗教だと思わずにカルチャーだと思えばいいのではないでしょうか。
もちろん、信じている人たちにとっては宗教であるのですから、それを否定するわけではありません。でも大羊さん自身はまだ宗教を求める心になっていないし帰属欲求もない、だからその共同体を「大羊さんにとっての宗教」として吟味する必要もないということで、カルチャーとしてリスペクトすればいいのでは?
夫婦に別々の愛読書があったり、別ジャンルの音楽が好きでも、互いにけなしたり強要したりしなければ、理解をしあって棲み分けたり、たまに相手の好きなコンサートにつきあったりと、平和で豊かな関係が築けるのと基本的には同じだと思います。
本当に内面的な神との関係などは別でしょうが、所詮人間が集まって作る共同体には、その時々の組み合わせで特殊な展開をすることは大いにあると思います。
大羊さんのように健全な批判精神と奥さまを思いやる心があれば、きっといい方向に行くと思いますよ。今年がいい年でありますように。