現象学について

現象学について

Sekko · 2011-04-11 07:53:42 UTC+9 · 投稿 #564

エクリチュール千代丸さまへ

哲学質問箱と言った言葉で検索してここにたどり着かれたのかとお察ししますが、申し訳ありませんが、ここは一般的なあるいは教科書的なお答えをする場所でないので、別の質問サイトや、あるいはキイワードの検索でお調べください。

ここを見ていらっしゃる私の読者のみなさんのためにひとこと付け加えておきますと、私は、カトリック神学と現象学の関係に非常に興味を持っています。

フッサールの弟子だったエデイット・シュタインが現象学を捨てて神学に向かったのとは反対に、後にヨハネ=パウロ2世となるカロル・ヴォイティラ(以下JP2)は、神学と現象学(これもシュタインと同じくフッサールの弟子でユダヤ系でカトリックに改宗したマックス・シェーラーの価値倫理学がJP2の学位論文)を統合しました。スコラ哲学のトマス・アクィナス神学を現象学によって読み替えたのです。トマス神学では、神にのみ絶対の権利を認め、人間同士の権利や義務は相対的な関係性にあるという立場でしたが、JP2は、倫理や価値は人間の外にあるのではなく人間の自己像という意識化と切り離せないものだと考えました。
私が行動を起こす、という能動と、何かが私の中で起こる、という受動の二つが、内在性と超越性というものが同時に作用しあうという意味で、自己表現に結実すると考えたのです。(Personne et Acte)

まあ簡単には説明できませんが、結論から言うと、現象学的倫理学に依拠するカトリック神学を模索した結果、JP2は「基本的人権は共同体に優先する」という方針に至ったわけです。それまでのカトリック教会は、そこのところが曖昧というか、自分たちも共同体優先だったので、20世紀の全体主義や全体主義的共産主義に対して明確な弾劾ができなかったのです。
ところがJP2はトーミズムの現象学的再考によって、むしろ福音書のイエスに近いラディカルな平等主義、個人の尊重、共同体の縛りからの解放、自律としての自由を志向したので、あれほど徹底した社会主義陣営との戦いを展開できたわけです。

これらについては今準備中の本でもう少し分かりやすく解説するつもりです。

ここではこのテーマは打ち切りですのでよろしく。