信仰と現実

信仰と現実

迷える大羊 · 2012-05-16 13:34:57 UTC+9 · 投稿 #603

>過去の迫害のされ方の歴史の見つもりの実態なんて関係ないと

これなんですが、もしかすると、「事実関係調べたら、日本でキリスト教は当のキリスト教会が主張するほどにはいじめられてないじゃん、だから、問題なし」という風に思われた?だとすると困ったなぁと思ったりします。

うまく説明できず困ってますが、これは自分の性格とか経歴の問題かもしれませんが、私、初めにストーリーありきで、情緒優先な話の仕方が体質的に受付ないのです。
弱者保護とか寄り添うことは、もちろん、とても大切だと思ってます。ただ、本当の「弱者」がそういう、情緒優先、初めにストーリーありきの発想ではわからなくなってしまうのではないの?世の中、そんなに単純なの?という疑問がわいたからです。

あと、日本のキリスト教、特に戦前期についていえば、確かに個人単位で偏見を持つ人間もいたでしょうが、理解者だって多かったはずです。例えば、聖公会系の知的障害者の福祉施設「滝乃川学園」の理事長は、あの渋沢栄一が勤めていますし、勝海舟の支援も受けてます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E4%B9%83%E5%B7%9D%E5%AD%A6%E5%9C%92

そんな面を全く無視して、あるいは知らずに、情緒とストーリー優先で1945年まで迫害と偏見に晒され、未だにクリスチャンは増えず・・みたいな話をされると、「そんなメンタリティだから、キリスト教は日本で普及しないんじゃないの?」っていいたくなります。第一、キリスト教への理解者、シンパだった日本人に対し失礼以外何ものでもないし、「感謝」という念を知らんのか?と思ってしまいますし。

あと、こちらで書くのはどうなのかな?と思う話なんですが、日本カトリック司教団が「原発の即時廃止を」という主張をしています。個人単位でこういう主張をすることは一向に構わないですし、私だって原発は安全、未来のエネルギーなんて夢にも思ってないですし、不信感はいっぱいあります。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm

しかし、キリスト教会の名義で、信仰の名において、そういうことを主張するのは、それは一体どうなのよ?と思ってしまいます。単に清貧の生活をすればいい、なんて個人単位でどうこうなる話じゃないでしょってことで。
合法的に営業していた企業が、電力不足で突然自社の生産設備の半分を「廃棄しろ!!」などと言われたら、どうするのか?
最悪、生産縮小、他地域への移転などなどで、地元の雇用が無くなり・・なんてこともあり得るわけで、そうなったら「弱者」に寄り添うとか、救済どころじゃなくなるぞ、ってことですし。
第一、原発の立地自治体は原発の運用で財政収入とか雇用を得ているところが多いんだし、そういったところの住民、自治体をどうこうする策でもあるのか?実際、関西電力大飯原発の地元、大飯町は原発再稼働を求めてますし。

http://www.asahi.com/national/update/0514/OSK201205140063.html

単純に原発即時廃止=正義、再稼働、存続=悪という問題じゃないだろ、そんなところに信仰とか神を安直に絡ませてどうする?そんな、学生とかその辺のオジサン、オバサンレベルの、わかりやすい「正義」をキリスト教会で聞きたいんじゃない、むしろ、そういう、あちら立てればこちら立たず、本当の弱者救済とは?という悩みとか矛盾にキリスト教はどうこたえるのかが知りたいのに・・。と思ってしまうのです。
それどころか、自分は「安全地帯」(物理的にという意味ではなく立場的に)にいて、何「御花畑」を語ってんの?いい子ぶってんの?と反発すら感じてしまいます。

いささか、不愉快な話があれば、申し訳ありません。でも、どうも、ここのところ、キリスト教会で話を聞いていて、イラッとすることがしばしばあるもので。
やはり、私はキリスト教には向いていないのかなぁ?と思ってしまう今日この頃です。