迷える大羊さま
この掲示板を昔から見ている人はご存知かもしれませんが、迷える大羊さんは、今の奥様とご結婚なさる前にすでに、奥様のキリスト教との熱心な関わりについて不安を抱いていらっしゃって、ここでご相談されていました。
私は大羊さんも奥様もリアルには存じ上げませんが、その頃、そのテーマをいっしょに考えてコメントしてくださったリアルの友人がいます。
実は、あの頃、その彼女と会った時、大羊さんの話題が出て、「後から難しくなることが見え見えだから、やめておいた方がいいのに」とか、「もし私の息子なら考え直しなさいとアドヴァイスするのに」とかいう話になりました。
あの時そういう「本音」を言わなかったのは、もちろん、大羊さんが宗教について誠実に考えていらっしゃること、当時フィアンセだった奥様を真剣に愛していることなどを理解したからですが、もう一つ、私の方針というか指針があって、それに従ったからです。
それは、
イエスを不和の原因にしない、イエスの名において人と争わない、
ということです。
これは、イエスだけでなく、神さまでも仏さまでもアッラ―でも同じです。
多くの人の「救い主」として信仰の対象になっているシンボルを不和、争い、戦争などの原因にするのは常に人間の愚かさや弱さ、頑迷さや卑怯さからくることだと思います。救い主として崇められているような存在が、自分の名のもとで人々が不和になったり不幸になったりすることを望むとは思えません。
で、私は、大羊さんが今でも「迷える」大羊でありながら、その一線を守っていることを、頼もしく思います。
こういうことって、日常の小さな不満の積み重ねがいつしか、
「君はぼくとイエスとどっちが大切なんだ」とか
「ぼくをとるのかイエスをとるのか」というような短絡的なフレーズとなって口から滑りだし、
「もちろんイエスさまよ、最初から言ってるじゃない」とか
「そんな問題の立て方をする人なんて信じられない」とかいう応酬と共に、
愛だの絆だのがあえなく消えたり切れたりすることが往々にしてあるからです。
もちろんそのような問題の立て方は「イエスを不和の原因に巻き込む」ことであり、なすべきことではありません。たとえ、ある種の人が、自分でも気づかずに、神さま大事、教会第一で家庭の不和を招いているようなことがあったとしても、それに対して宗教の言葉で返すのは正しいやり方ではないと私は思っています。
大羊さんは、共同体の縛りの強い信者や信念を前にしていろいろフラストレーションもあると思いますが、一度、それらを宗教の地平から切り離して、どうすればお二人の生活で互いの力や思いやりをつなげていくことができるか工夫してみてください。大羊さんが奥様をリスペクトし抜く決意はどんな神さまだって肯定してくれますよ。
以上、なんだか、大羊さんの一連の質問の陰にもやもやしたものを勝手に感じたので書いてみました。的外れならスルーしてください。
私は大羊さんも奥様もリアルには存じ上げませんが、その頃、そのテーマをいっしょに考えてコメントしてくださったリアルの友人がいます。
実は、あの頃、その彼女と会った時、大羊さんの話題が出て、「後から難しくなることが見え見えだから、やめておいた方がいいのに」とか、「もし私の息子なら考え直しなさいとアドヴァイスするのに」とかいう話になりました。
あの時そういう「本音」を言わなかったのは、もちろん、大羊さんが宗教について誠実に考えていらっしゃること、当時フィアンセだった奥様を真剣に愛していることなどを理解したからですが、もう一つ、私の方針というか指針があって、それに従ったからです。
それは、
イエスを不和の原因にしない、イエスの名において人と争わない、
ということです。
これは、イエスだけでなく、神さまでも仏さまでもアッラ―でも同じです。
多くの人の「救い主」として信仰の対象になっているシンボルを不和、争い、戦争などの原因にするのは常に人間の愚かさや弱さ、頑迷さや卑怯さからくることだと思います。救い主として崇められているような存在が、自分の名のもとで人々が不和になったり不幸になったりすることを望むとは思えません。
で、私は、大羊さんが今でも「迷える」大羊でありながら、その一線を守っていることを、頼もしく思います。
こういうことって、日常の小さな不満の積み重ねがいつしか、
「君はぼくとイエスとどっちが大切なんだ」とか
「ぼくをとるのかイエスをとるのか」というような短絡的なフレーズとなって口から滑りだし、
「もちろんイエスさまよ、最初から言ってるじゃない」とか
「そんな問題の立て方をする人なんて信じられない」とかいう応酬と共に、
愛だの絆だのがあえなく消えたり切れたりすることが往々にしてあるからです。
もちろんそのような問題の立て方は「イエスを不和の原因に巻き込む」ことであり、なすべきことではありません。たとえ、ある種の人が、自分でも気づかずに、神さま大事、教会第一で家庭の不和を招いているようなことがあったとしても、それに対して宗教の言葉で返すのは正しいやり方ではないと私は思っています。
大羊さんは、共同体の縛りの強い信者や信念を前にしていろいろフラストレーションもあると思いますが、一度、それらを宗教の地平から切り離して、どうすればお二人の生活で互いの力や思いやりをつなげていくことができるか工夫してみてください。大羊さんが奥様をリスペクトし抜く決意はどんな神さまだって肯定してくれますよ。
以上、なんだか、大羊さんの一連の質問の陰にもやもやしたものを勝手に感じたので書いてみました。的外れならスルーしてください。