ジャンヌ・ダルクと聖母マリア
興味深いコメントをありがとうございます。
ジャンヌ・ダルクが圧倒的に意味があると思うのは、あの本にも書きましたように、異端審問と復権裁判によって徹底的にその肉声から生い立ちその他に至るまでの記録が残されて発掘されているところです。
それに比べて、大きな声では言いませんが、聖母がイエスを神殿に連れて行った時にシメオンが言った言葉など、誰が聞いていたのか、書き留めたのか、マリアが自分で言ったのか、「記録」の実証性からいうと、ジャンヌ・ダルクとは全く別の次元のことだと思ってしまいます。もちろんルカに出てくる聖母にまつわるいろいろな情景がその後のキリスト教の信仰や文化において大きな役割を果たしたことは確かなことだし看過できないことですが。
ジャンヌに対してすべての人が一種の「負い目」を持っているという見方はおもしろいですね。確かにその負い目はナザレのイエスへの負い目みたいなものと共通しているのでしょう。
ジャンヌ・ダルクが圧倒的に意味があると思うのは、あの本にも書きましたように、異端審問と復権裁判によって徹底的にその肉声から生い立ちその他に至るまでの記録が残されて発掘されているところです。
それに比べて、大きな声では言いませんが、聖母がイエスを神殿に連れて行った時にシメオンが言った言葉など、誰が聞いていたのか、書き留めたのか、マリアが自分で言ったのか、「記録」の実証性からいうと、ジャンヌ・ダルクとは全く別の次元のことだと思ってしまいます。もちろんルカに出てくる聖母にまつわるいろいろな情景がその後のキリスト教の信仰や文化において大きな役割を果たしたことは確かなことだし看過できないことですが。
ジャンヌに対してすべての人が一種の「負い目」を持っているという見方はおもしろいですね。確かにその負い目はナザレのイエスへの負い目みたいなものと共通しているのでしょう。