ludensは現在分詞ですから

ludensは現在分詞ですから

あがるま · 2009-10-28 15:10:22 UTC+9 · 投稿 #342

遊戯者といふ名詞より、遊んで居る状態(例へばシャッターボタンの遊び)を表すのでせう - 主体、対象、働きが三位一体である志向性のやうなもの?
それが現象世界(或いは世界といふ現象)の実態で同時に認識主体とその対象の外部にある(思考の)可能性の全体だと云ふのなら、トマス(E.ジルソン)的な存在論的差異、存在(物)と存在させる力(神の働き)actus purusの区別を指して居るのかも知れません。
でもこれはキリスト教的といふより古代的ギリシア的分別(節度)だと思ひます。
遊戯の存在論ならE.フィンクやK.アクセロスが思ひ出されますが。

Sekkoさんの考へる『自由』が
<一般的な意味での自我的な「存在」と、非特異的な無との2極に拡散される間の微小な地点に「具体的特異的な私の存在」がある。>であるならば
非特異的な無とは具体的特異的な有(個体・実体)であり、両者を統合しながら対象を取込むのが自己意識であり、その基体Substance/Traeger/porteurは自我的な存在で、その媒介活動の微分的現在が自由だと言ふのと何処が違ふのか?

彼の思想はego cogitansから出発するドイツ観念論の変種であり、カント、ショペンハウアー或いはニーチェとどう変りがあるのか分かりません。少し現代的になつて居るとは思ひますが。28.10.09