無神論』を通読しました。

無神論』を通読しました。

あがるま · 2010-09-07 20:27:59 UTC+9 · 投稿 #385

<書くのは刺激的だつたが隘路に嵌り込むことが多かつた>さうですがフランスの晩近の状況など殆ど知らないことばかりで色々教へられました。
日本人の人文系論文は、色々丁寧に細かく調べてあるが常に何かとんでもない誤解が根底にあるので、世界の学界では相手にされないさうですが。
その無理解の一が超越範疇transcendentalisとそれに付随した、神の直観的認識と人間の概念的認識(ディスクール)の違ひの認知だと私は思つてゐます。
神が『あれ』と言へば即座に対象として何物かが存立し、その逆過程である認識も神の直観がそのまま普遍的な認識になる。人間の思惟や意志には対象を把握するのにも、個物の知覚が普遍や本質の認識に結び付くやうな(知的)直観がなく、互ひにバラバラで分散的で離接的discreteでしかあり得ない概念を使つた時間的・空間的に迂回する認識しかない。
こんな当り前なことは大学で教へることではなく、欧米の学生は高等学校までに自然に理解してゐるはずですが、そんな常識も日本にはないらしい。
更に付加すれば
命題の主語になるのは(眼の前にある)個物haec resで、それだけが実体ousiaであり、それをsubstrat被担者porteurとして述語が付加される。
超越範疇には一者(或は神)、真、善、美、存在などが挙げられ、それより上位の類概念(カテゴリー)は存在しないので、通常の定義のやうにそれに種差differentiaを加へて思考することが出来ずに、アナロジーだけが可能で、またそれらは互ひに述語として交換可能である。これらの対象には本来人間の知的直観はない - しかし善と美に関してはある、と云ふのがカント。
アリストテレスの形而上学は
①第一学問proto philosofia②本質=実体論ousiologia③存在論ontologia④一者に関する学henologia(神学theologia)である。

他にも細かな点で気になることがある - 勿論私が正しいと言ふ意味ではないが ― 例へば、西ローマ帝国はキリスト教のために直ぐに滅んでしまひ、金髪の野獣たる北方の野蛮人しか継承しなかつたのに、それ以後千年も続いたオルトドクスについて一言も言及されないのか、アヴェロエスの二重真理説がイスラムではそのまま受入れられた - 故にイスラムには無神論が存在しない - 様に書いてあるが、そんなことがあるのか?
アリストテリコ・トミズムの優れた点は古代には区別がなかつたし、実際区別のし様がない(多様なる)存在者と(単一の)存在を統一的に把握しようとしたことにあることは慥かでせう。
エゾテリスムは『救済(して別の場所に保管する)』sozeinと云ふギリシア語(第二アオリスト受動形)から来るとばかり思つてゐたが、wiki にも内側esoterikosが語源だとあるが、これは正しいのか?英語版には誰も名前も知らないJacque Matterの他に、古代ではルキアノス、1701年に一番最初に哲学史を書いたThomas Stanleyの名前が出典として挙がつてゐた。
デフォルト(缺点)としてのキリスト教より無神論も含めたデ・ファクトとしてのキリスト教の方が重要だと思ふのですが。