LGBTと普遍的価値
竹下先生と「スイス鉄道のように」様のやりとりに割って入るようですが、竹下先生の7月26日のお返事の内容に関して気になったので書き込みます。
>LGBTについても、そもそもこういうくくり方をすることに違和感を覚えます。
>性的マイノリティを包括したつもりで実は抜け落ちているものが多いし、なんといってもグラデーションであるし、生活の一部や一時期であってもすべてではないし
同様のことを以前にもお書きになっていましたが、ちょっと誤解なさっているかもしれません。
「LGBT」という呼称は、現在では「性的マイノリティー」という意味で世界的に定着しています。国連人権高等弁務官事務所などの国際機関でも、また、カトリック教会を性的マイノリティーに開かれたものにするために活動しているカトリック信者団体が世界各地に幾つもありますが、そこでもLGBTという名称を、性的指向や性別自認にグラデーションがあることを認識した上で、社会における性的少数派の「総称」として使っています。
LGBTという名称は、四文字が指すレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの4種類だけにカテゴリー分けとするというよりは、さまざまな特徴をもつ複数の少数派をまとめる言葉になっています。実際には、性的指向がないアセクシャルの人、性別自認がわからないXジェンダーの人、ETC・・・も含んでいます。団体の中にはLGBTQやLGBTIのように名前に織り込んでいるところもありますが、それをやりだすとエンドレスだし、完全に網羅することなど不可能なので、便宜上LGBTとなっているのが現状だと思います。
アメリカで進歩派からの支持、信頼を集めているJames Martin師(イエズス会司祭)による、カトリック教会とLGBTコミュニティーのあいだに「橋をかけよう」と呼びかける本のフランス語版が発売されましたが、「LGBT」という言葉が使われています。同師は本書で「ゲイ」や「LGBT」という言葉を使うことの意義についても説明しています(当事者が自分たちを呼ぶ名称を採用するのは、その存在を認識すること)。
https://www.amazon.fr/B%C3%A2tir-pont-LEglise-communaut%C3%A9-LGBT/dp/2204127493/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1532861094&sr=1-1&keywords=james+martin
私はLGBTコミュニティーと関わりがあるのですが、特に、普段からトランスジェンダーの問題に真剣に関心をよせているゲイ・レズビアンはあまりいないという印象をもっているので、「LGBT」というくくりに違和感をお感じになる、というのは分からないではありません。
実際、ゲイ男性だけの団体とか、(フェミニスト傾向の強い)レズビアンだけの団体とか、(ゲイ・レズビアンから疑惑の目でみられがちな)バイセクシャルだけの団体とか、そして当然ながら、トランスジェンダーだけの団体が存在し、それぞれに他の性的マイノリティーとは共有しない問題に取り組むといった特徴的な活動をしています。
これは、竹下先生のアナロジーを用いると、近視、遠視、弱視、老眼の人々がそれぞれ別々に集まるようなことです。それでもこの人たちには、視力の問題がある、という高次の共通項があります。性的マイノリティーの人たちにも、「男/女なら性的にはこうであるべき」という多数派の価値観(偏見)のために差別されやすい、という高次の共通項があります。
私は直接には知りませんが、LGBT当事者にも、この言葉に納得がいかないと言っている人はいるそうです。それでも、LBGT問題を語ろうというときに、呼称についてだけで、本題に入らなかったら、あれ、話題そらした?と思ってしまうかも・・・
LGBT問題は、少数派の人権問題です。人権こそ普遍的価値だと思います。
>LGBTについても、そもそもこういうくくり方をすることに違和感を覚えます。
>性的マイノリティを包括したつもりで実は抜け落ちているものが多いし、なんといってもグラデーションであるし、生活の一部や一時期であってもすべてではないし
同様のことを以前にもお書きになっていましたが、ちょっと誤解なさっているかもしれません。
「LGBT」という呼称は、現在では「性的マイノリティー」という意味で世界的に定着しています。国連人権高等弁務官事務所などの国際機関でも、また、カトリック教会を性的マイノリティーに開かれたものにするために活動しているカトリック信者団体が世界各地に幾つもありますが、そこでもLGBTという名称を、性的指向や性別自認にグラデーションがあることを認識した上で、社会における性的少数派の「総称」として使っています。
LGBTという名称は、四文字が指すレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの4種類だけにカテゴリー分けとするというよりは、さまざまな特徴をもつ複数の少数派をまとめる言葉になっています。実際には、性的指向がないアセクシャルの人、性別自認がわからないXジェンダーの人、ETC・・・も含んでいます。団体の中にはLGBTQやLGBTIのように名前に織り込んでいるところもありますが、それをやりだすとエンドレスだし、完全に網羅することなど不可能なので、便宜上LGBTとなっているのが現状だと思います。
アメリカで進歩派からの支持、信頼を集めているJames Martin師(イエズス会司祭)による、カトリック教会とLGBTコミュニティーのあいだに「橋をかけよう」と呼びかける本のフランス語版が発売されましたが、「LGBT」という言葉が使われています。同師は本書で「ゲイ」や「LGBT」という言葉を使うことの意義についても説明しています(当事者が自分たちを呼ぶ名称を採用するのは、その存在を認識すること)。
https://www.amazon.fr/B%C3%A2tir-pont-LEglise-communaut%C3%A9-LGBT/dp/2204127493/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1532861094&sr=1-1&keywords=james+martin
私はLGBTコミュニティーと関わりがあるのですが、特に、普段からトランスジェンダーの問題に真剣に関心をよせているゲイ・レズビアンはあまりいないという印象をもっているので、「LGBT」というくくりに違和感をお感じになる、というのは分からないではありません。
実際、ゲイ男性だけの団体とか、(フェミニスト傾向の強い)レズビアンだけの団体とか、(ゲイ・レズビアンから疑惑の目でみられがちな)バイセクシャルだけの団体とか、そして当然ながら、トランスジェンダーだけの団体が存在し、それぞれに他の性的マイノリティーとは共有しない問題に取り組むといった特徴的な活動をしています。
これは、竹下先生のアナロジーを用いると、近視、遠視、弱視、老眼の人々がそれぞれ別々に集まるようなことです。それでもこの人たちには、視力の問題がある、という高次の共通項があります。性的マイノリティーの人たちにも、「男/女なら性的にはこうであるべき」という多数派の価値観(偏見)のために差別されやすい、という高次の共通項があります。
私は直接には知りませんが、LGBT当事者にも、この言葉に納得がいかないと言っている人はいるそうです。それでも、LBGT問題を語ろうというときに、呼称についてだけで、本題に入らなかったら、あれ、話題そらした?と思ってしまうかも・・・
LGBT問題は、少数派の人権問題です。人権こそ普遍的価値だと思います。