グラさま
うーん、もっと簡単に言ってしまうと、真の「健康」には、心身や社会的な良好な状態だけではなく、「愛し愛されているという動的な良好な状態」が意識されているかどうかということでしょうね。
心身や社会的状態とは無関係なところでの愛し愛されている感、それは神からの愛でもいいし、親からの絶対肯定でもいいし、ペットからの信頼と愛の関係でもいいし。
そしてそういう「無償の愛」が成立するには形や数値では判断できない「超越への感性」が開けている場所が必要で、逆にそれを感じている人はもう心身の健康状態や社会的承認などをチェックする地平とは別の所とつながっているのでしょう。
それを意識していかないと、心身や社会的な良好な状態を前提とする「健康」なんて不安定なものですから、みんなが健康どころか「生きる」ことに疲れるような状態にも陥るのではと思います。
年を重ねていくとますます「幸福」は別の変数を持っているのだなあと、感じます。
心身や社会的状態とは無関係なところでの愛し愛されている感、それは神からの愛でもいいし、親からの絶対肯定でもいいし、ペットからの信頼と愛の関係でもいいし。
そしてそういう「無償の愛」が成立するには形や数値では判断できない「超越への感性」が開けている場所が必要で、逆にそれを感じている人はもう心身の健康状態や社会的承認などをチェックする地平とは別の所とつながっているのでしょう。
それを意識していかないと、心身や社会的な良好な状態を前提とする「健康」なんて不安定なものですから、みんなが健康どころか「生きる」ことに疲れるような状態にも陥るのではと思います。
年を重ねていくとますます「幸福」は別の変数を持っているのだなあと、感じます。