2019年の投稿

オコジョさまへ

Sekko · 2019-12-31 00:31:58 UTC+9 · 投稿 #1116

ありがとうございます。

>>>特に印象に残ったのは、現世利益的土俗宗教から普遍的世界宗教への、超越性に向けての飛躍の契機に、マイノリティとしての「女」を見ておられることです。一般的には、ここに「死」あるいは「来世(天国)」の概念を置くところなのでしょうが、ここに「マイノリティとしての「女」」を入れ込むことで、普遍性・超越性の問題だけでなく、逆に「マイノリティ」や「女」をも再考に付すものを読み取ります(それが最終章に繋がるのでしょう)。<<<

「全体」に対していろいろな分け方をして社会的なマイノリティ、弱者をつくっていく支配構造のイデオロギーが、人間が本来備えている普遍性、超越性への感性を閉塞している気がします。あげくは、「死」や「来生」のイメージにまで、等級をつける文化もあります。だからこそ、マイノリティの側や、社会から可視化されていない側に立つことで、普遍性への扉が開いてくる、と感じます。
といっても、実際に、大局から見ると、今の時点では(戦争がなくモノがあふれている国に暮らすという)「強者」に属する自分の居場所からはなかなか見えてこないものが多く、情報収集と共感力とが必要だと感じます。

>>>ただ私としては、先日の東京・真生会館でのお話、すなわち「マイノリティ=女」をさらに環境問題と結び付けることの方に、いかにも先生らしい、腕力で強引に捩じ伏せるような、そしてそれゆえある種のロマンを感じさせられるような論理的展望に、より大きな快感を感じるのではありますが、、、。近い将来にその問題を前景化した本を出されることと思っています。<<<

真生会館では、ここのところ、ちょうど私が日本に行く時に開講される講座のテーマを割り当てられるので、できるだけひれに即したものを考えます。でも、今回は教皇来日で、ローマ教皇そのものがテーマでしたから、他の方が十分お話になるだろうと思ったので、視点を少しずらすことにしたのです。そしてちょうど「神と女」(女のキリスト教史)を書いているところだったので、女とエコロジーにしました。

普遍主義のとっかかりになるのは弱者への視点であり、それをせずに強者の共同体主義が地球も動植物も女子供も障碍者も支配しようとした結果がエコロジー危機だという点では、二つの見方はつながっています。

>>>また、特に最終章で強調される、俗流フェミニズムに対する批判、先生と同じくパリ在住で作家活動をしておられる中島さおりさんなんかも、形こそ違え、基本的に同じ主張をしていると認識しているのですが、これほど(キリスト教史と結びつけつつ)論理的に明快に論じておられることに、(肉食系男子の私としては)胸の梳くような快感すら覚えます。俗流フェミニズムは「他者」というものを認めようとしていないと、私には思われるのですね。そしてその姿勢は、結局アメリカ的金融資本主義に加担するものでしかない、ということに意識的ではないと思うのですね。絶望的にまで掛け離れた「他者」、それに敢えて係わろう働き掛けることこそが「隣人愛」であるはずなのに、そしてそれがあってこそ人間が人間であるはずなのに、「女」を解放するつもりの主張が実はその前提である「人間」を抹殺するものであることに、あの人たちはどうして気付かないのでしょうか? ホモソーシャルな世界というのは、男にせよ女にせよ、どこか気持ち悪い? フランスでもgalanterieという言葉はすでに死語になったと聞いたことがあり、悲しくなりました。 faire la cour àとはまさに宮廷人の振る舞い、『源氏物語』の世界、、、。
(中島さんと共に)「パリに住む女」の面目躍如という思いです。しばらく前に親しく付き合っていたあるフランス人女性が、「アメリカでは、地下鉄の中で男が女を見つめると、女はポリスに電話をする。これはアメリカで女性の地位が低い証拠だ。」と憤っていたことを思い出します。<<<<

「私」の反対は「あなた」や「あなたたち」てなく「私たち」だという視点で、男と女の場合も、「女」の反対は「男」ではなくて、「男と女、の人間全体」という視点で連帯するのが大切だということです。
でも、実際に、自然界では普通にあるはずの「女の気を惹く努力」なしの、女性への暴力や支配が蔓延しているのだとしたら、やはり、個々のケースで無条件に弱い方に寄り添うこと、そのような傾向を促す社会潮流を見直すこと、そして何よりも、未来を担う子供たちの正しい教育、という三つを実践するべきだと思います。

中島さおりさんのことは存じ上げず、検索しましたが、学齢のお子さんもいらっしゃるようで、イギリスのブレディみか子さんのように、子供の教育を通してもこれからいろいろな発見をして紹介してくれるのでしょう。思えば、子供を含めた「家族関係」のレベルが、国民性や伝統の違いが、最も顕著な気がします。さまざまなブログのおかげで、私は近頃はじめて、日本の家庭や親子関係、夫婦関係の実態?を発見しつつあります。(私個人としては日本でもフランスでもまったく「世間」とずれていることを認めざるを得ません。違いは、日本では「ずれている」ことを隠しておいた方が無難で、フランスではずれていても無視してもらえることです。)

Dieu n’est pas féministe.

オコジョ · 2019-12-30 06:31:17 UTC+9 · 投稿 #1115

竹下先生

ご著書『女のキリスト教史』、拝読しました。新書本という体裁ながら、マリアからスタートしてマリアに辿り着くという意味で、先生の今までのお仕事の集大成(の骨格)と言っても良いものであると認識しています。「À Notre-Dame de la Médaille miraculeuse」という扉の言葉がそれを象徴しているように思います。
特に印象に残ったのは、現世利益的土俗宗教から普遍的世界宗教への、超越性に向けての飛躍の契機に、マイノリティとしての「女」を見ておられることです。一般的には、ここに「死」あるいは「来世(天国)」の概念を置くところなのでしょうが、ここに「マイノリティとしての「女」」を入れ込むことで、普遍性・超越性の問題だけでなく、逆に「マイノリティ」や「女」をも再考に付すものを読み取ります(それが最終章に繋がるのでしょう)。ただ私としては、先日の東京・真生会館でのお話、すなわち「マイノリティ=女」をさらに環境問題と結び付けることの方に、いかにも先生らしい、腕力で強引に捩じ伏せるような、そしてそれゆえある種のロマンを感じさせられるような論理的展望に、より大きな快感を感じるのではありますが、、、。近い将来にその問題を前景化した本を出されることと思っています。

また、特に最終章で強調される、俗流フェミニズムに対する批判、先生と同じくパリ在住で作家活動をしておられる中島さおりさんなんかも、形こそ違え、基本的に同じ主張をしていると認識しているのですが、これほど(キリスト教史と結びつけつつ)論理的に明快に論じておられることに、(肉食系男子の私としては)胸の梳くような快感すら覚えます。俗流フェミニズムは「他者」というものを認めようとしていないと、私には思われるのですね。そしてその姿勢は、結局アメリカ的金融資本主義に加担するものでしかない、ということに意識的ではないと思うのですね。絶望的にまで掛け離れた「他者」、それに敢えて係わろう働き掛けることこそが「隣人愛」であるはずなのに、そしてそれがあってこそ人間が人間であるはずなのに、「女」を解放するつもりの主張が実はその前提である「人間」を抹殺するものであることに、あの人たちはどうして気付かないのでしょうか? ホモソーシャルな世界というのは、男にせよ女にせよ、どこか気持ち悪い? フランスでもgalanterieという言葉はすでに死語になったと聞いたことがあり、悲しくなりました。 faire la cour àとはまさに宮廷人の振る舞い、『源氏物語』の世界、、、。

(中島さんと共に)「パリに住む女」の面目躍如という思いです。しばらく前に親しく付き合っていたあるフランス人女性が、「アメリカでは、地下鉄の中で男が女を見つめると、女はポリスに電話をする。これはアメリカで女性の地位が低い証拠だ。」と憤っていたことを思い出します。

Marche avec nous, Marie, sur nos chemins de foi,
Ils sont chemins vers Dieu, ils sont chemins vers Dieu.

小寄道さま

Sekko · 2019-11-12 11:40:55 UTC+9 · 投稿 #1114

ありがとうございます。

前日に最首さんの講座があったことを知り、それについてのブログ記事のupに感謝しています。

最首さん、なつかしいです。 知っていたらそちらを聞きに行っていたかも。

その日は東大の公開講座に行っていました。それはそれで得るところもあり、またブログに書くことにします。

しかし今の最首さんご夫妻って、何かすぐれた宗教者みたいで、近寄りがたい感じもします。80代で 自然体でダウン症の娘さんのお世話をし続けること、それこそ、聖霊が働いているんだろうな、と感嘆します。

弱者に対する人間の「共感能力」というのは、その芽はあるにせよ、たえず、学び、育てていく必要があるのだと改めて思います。

環境もそうですが、やはり教育の力は大きく、「共感能力」は「知」の一種というか、それを欠く「知」はむなしいものになると感じます。

羨望、嫉妬、侮蔑、偏見、差別の言説に加担してしまう誘惑はなんと強大なのだろう、といつも思います。でも、この世には、最首さんだけではなく、そのような誘惑に負けぬどころか、弱者を守るために徹底して戦ってくれる人も確実に存在するので、彼らに感謝する心だけは失いたくない、とは心から思います。

Sekkoさま

小寄道 · 2019-11-11 22:49:49 UTC+9 · 投稿 #1113

真生会館での講座はたいへん面白く、刺激的なものでした。
忘れないように、さっそくブログに書きました。
ご高覧いただけたら幸いです。
しかしながら、自己本位に解釈して記事にしたもので、
竹下さんは、「こんなこと言っていない!」という点があるでしょうね、たぶん。

修正もしくは削除する箇所がありましたらご指摘ください。
素人の拙い作文ゆえ、不愉快な点があるかと存じます。
なにとぞご海容のほど、よろしくお願いします。

お話ができて幸いでした。
竹下さんに、小生の不養生ゆえの体を気づかってくださり、至福の思いにいたりました。
ありがとうございました。

小寄道さま

Sekko · 2019-08-20 05:53:56 UTC+9 · 投稿 #1112

猫が好きなのは猛獣を愛撫する喜びが得られるからってユゴーが言ってましたが、怖そうな顔が膝に乗ってるのも実はかわいくって‥。

緑のはスモモの一種でreine claude(クロード王妃)というこちらではすごく普通の果物です。でも日本で見たことないので、そうだ、今はネットがあるから日本でなんて言うのか調べようと思いましたが、見つかりませんでした。緑のスモモで検索したらアメリカ産のケルシーというのが出てきて、これは別物です。

フランス語で調べたら、元はアジア産でフランソワ一世に献上されたもので、フランソワ一世の妃がクロードということで名付けられたのだと、はじめて知りました。

猫は果物は苦手なので、唯一テーブルに置いておけます。
後はもう、大好きなお花も飾れません。みんなかじられてしまうので。
特にナルくんはネコじゃなくウサギだと言われています。

今日はマクロンとプーチンが大統領の夏の別荘で会見しました。プーチンは小走りにやってきて花束をブリジットさんに渡してました。

イギリスも、ロシアも、予測できません…

Sekkoさま

小寄道 · 2019-08-20 02:27:28 UTC+9 · 投稿 #1111

久々のイズーくんの登場。
元気そうだし、立派な寝姿です。怖いだなんて・・。立派で若々しい、お髭のピンとした張り具合、まさに「生きている実感」ありです。

これはオリーブの実なんですか? なんでしょうか?
なんか渋すぎる。だとしたらリスペクトしよかな、イズーに。

「転落しても最後は必ず足から着地する」なんて、なんか「腐っても鯛」みたいな、ほんとかな・・。
イギリスはいま、北朝鮮より未来を予測できない国だと思います。

妄言多謝。

元気ですか?

菱刈直子 · 2019-08-13 09:03:52 UTC+9 · 投稿 #1110

お送ってみたものの迷惑メールと判断されたようです。
どうすれば良いのか分からないのでもう一度連絡先をURLとして送ってみます。
節子の目にこのメールが触れることを祈って。
直子

Sekkoさま

小寄道 · 2019-07-22 05:55:29 UTC+9 · 投稿 #1108

ご鄭重なるコメントをいただき恐縮しております。
まず、れいわ新選組の重度障碍者の二議席獲得は、ほんとうに画期的であり、今後様々な議論を呼ぶこと必至です。
障碍者、性的マイノリティの方々への差別意識、その日本人の意識構造に必ずや一石を投ずるでしょう。
この点では「れいわ新選組」の存在は、社会的・政治的な意味合いが大きいですし、小生は期待してやみません。
注目するところですが、党首が衆議院選挙で敗退したら、ちょっと危うい・・この辺にしておきます。
個人的には「れいわ」の安冨歩さんを押していたんですけど・・。

今回の参院選は事前に予測し、個人的に、その結果の趨勢は分かっていました。
もしかしたら、憲法改正を改悪する2/3議席を与党が占める勢いが見込められ、小生はすこし不貞腐れてもいました。ブログでは、そんな心情を吐露しました。
(自衛隊の明記ばかりではありません、事の次第では?)

ともかく、この国では、寄らば大樹の陰で生活することを望んでいる人ばかりなんですよ。
自分たちの暮らしが、世界的にみれば相対的な貧困は進むばかりであり、それぞれに何かを犠牲にしていることに気づかない。
若い人は特に謙虚というか、考え方そのものが大人しいです。
欲望が薄いのは、目標や目的を見失っているんじゃないか、と小生は勘繰ってしまうほどです。


故ヴァンサン・ランベールについてですが、竹下さんのブログを子細に読んでいなかったようです。
大変失礼なことであり、勝手な解釈で自分が好ましいと思うイメージを思い浮かべ、いわば「和解」という概念をいわば牽強付会のごとく使っていたかもしれません。謹んで陳謝いたします。
奥さんと母親(父も)との間で相克があり、しかも法廷の場においても長い間争われていたのでしたね。

「尊厳死」という評価も、ある種の宗教かつ政治的な力関係が及んだ争われ方の結果の、曖昧な要素を含んだものだった気がします。

ランベール氏が肉体的に健康体であったこと、この点を小生は重視していなかった。胃ろうしていた母のことを思い出し、変にイメージをダブらせて考えたかもしれません、今となれば。

生来の粗忽もので、筆が走り過ぎのところがあり、乱文がさらに読む方の誤解を招くことがあります。
(プラセボ効果のこと、他意はありません。卑下もしていません、正直なことを書いただけです)

拙ブログを読んでいただいていること、このくだりには嬉しくて感激の極みです。
ありがとうございます。
もし、谷中にいらしたときは、よろしかったらお声をかけていただきたいと存じます。
ぜひご案内したいと、その時は遠慮なくご一報ください。、心待ちにしております。

この度は、ご執筆の忙しいなか、小生のことでいろいろお気遣いくださり、まことに申しわけない気持ちでいっぱいです。いろいろと有難うございました。

毎度の乱文、重ねて申し訳なく存じ上げますと同時に、ご執筆に励まらんことを祈ります。
小寄道拝

小寄道さま

Sekko · 2019-07-22 02:46:01 UTC+9 · 投稿 #1107

仕事が詰まっているのに、参院選の結果をずっとフォローしていて後悔しているところです。
れいわ新選組から重度障碍者を二議席という奇策は、実現すると、確かに「画期」的だなあと思います。
「生産性」議論はおろか、「尊厳」議論にも大きな問いを投げかけることでしょう。

ヴァンサン・ランベールの個々のケースについては、私としてはブログに書いたように、自分を愛してくれている人たちが和解できることを優先するという選択に落ち着きます。(今回のヴァンサンの場合は和解したのではなく、母親側が諦めて受け入れたというだけです。だから遺恨は残ったでしょうし、残念ながら彼が悦びに満ちて天に召された、とは思えません。)

フランスは尊厳死の認められ方は曖昧で、今回も、栄養を断って衰弱死させたことで、苦しませた、医療麻薬か何かによる安楽死なら安らかに逝けたのに、という議論もありました。
尊厳は生命そのものに宿るもので、障碍の有無だとか自立度とは関係がないと私は思います。(といっても、例えばある種の医学者が自分たちのパフォーマンスのために、本来なら生きていけないものを無理やりに延命するというのは問題外ですが。)(そして私個人の場合は、尊厳も生産性も関係なく、私に近く私を愛してくれる人たちが互いに納得してくれるならどうしてくれてもいいですよ、途中で方針を変えてもいいですよ、という感じです。何かもう魂が体から抜けて別のことを始めている気がします。)

最近のブログで「プラセボ効果さえ無知なる小生」などと卑下なされていましたが、私の勝手な言葉遣いのせいでそんなことおっしゃらないでください。マダガスカルにまつわる話で、若者との関係などの考えを深めさせてくださったのは小寄道さんです。ブログも楽しみに読ませていただいています。

秋には朝倉彫塑館に行こうと楽しみにしているんですよ。(谷中には知り合いの「谷中猫町カフェ29」(今は閉店したそうです)に行ったのがもう6年くらい前です。その前はパントマイムのヨネヤマママコさんとお食事に行き、久しぶりに見た和式トイレのあまりにもの清潔さに驚いたのを覚えていますが、朝倉彫塑館のこととか全然知りませんでした。小寄道さんのおかげです。)どんどん発信をお続けください!!

ヴァンサンの死

小寄道 · 2019-07-21 05:03:10 UTC+9 · 投稿 #1106

眠れない夜にふと、Sekkoさんの記事を拝読しました。
なんというか、ある種の思考停止というか、「死」を考える回路がいったんリセットされたように感じました。
フランスもやはり、「尊厳死」は法的に認められているのですね。

ブログを拝読するだけで、何も語る資格がない身ですが、ヴァンサン・ランベールの死は、現代の死の、或る到達点を見る思いです。

まず、私は「彼の御心のままにしたがう」ことをイメージしました。
次に、それを引き継ぐものは、彼を最も愛した人にゆだねるべきだと思いました。
それは、伴侶か母親なのか・・。

Sekkoさまは「和解」というキー・フレーズをあげていますね。
それがあったのでしょうね。
志賀直哉の小説にもありましたが、実はもっともエネルギーを要するパッシブな力です。

ヴァンサンも悦びに満ちて、天に召された思います。

他者の死と、自分の死を・・。
言葉の選択が不適切ですが、「比較考量」するように死を考えました。
思考停止のちに深い思索が訪れる、そんな不思議な感慨をおぼえた次第です。

ありがとうございました。想念のままに、書き込みました。乱筆失礼。

偽薬

sekko · 2019-07-16 15:36:12 UTC+9 · 投稿 #1105

yahoo の検索で
偽薬wiki
と入れてください。
下のリンクはなぜかバグってるようなので。

プラセボとノセボ

sekko · 2019-07-16 15:28:23 UTC+9 · 投稿 #1104

すみません。ごく普通に使われている言葉だと思っていました。
英語ならプラシーボで、一応日本語でどう書かれているかネットで検索してから書いたのですが…
このwikiの項目にノセボも載っています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/偽薬

あれ?

小寄道 · 2019-07-16 14:06:54 UTC+9 · 投稿 #1103

プラセボ効果、ノセボ効果とは何ぞや?
で、貼り付けてあるリンク先をクリックすると、Sekkoさまのトップページにしか行きません。
該当する頁のアドレス?っていいましたっけ、そのリンク先をコピペしてください。

ノセーボ効果

sekko · 2019-07-16 05:17:57 UTC+9 · 投稿 #1102

「幼子と神」というのは聖書の次の部分を念頭に置いたものです。

イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。
しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」( ルカによる福音書18, 15-17)

知識や経験が役に立たないような環境に急に置かれた時、パニックになって、引きこもって自滅するか、子供のように、そばにいる人を信頼してともに進もうとするか、それによって運命は変わってくるなあと思います。Bちゃんにそれが素直にできたのは、幸せな家庭環境に恵まれている子供だからでもあるでしょう。世には、虐待の連鎖、家庭内暴力の連鎖というものもありますが、そういう不幸を経験した人はそれこそ、大人として、それを断ち切る意思を持って実行できるように、周囲も社会も見守り支えていける世界でありたいですね。

「トラウマの逆」を考える時、プラセボ効果の逆のノセボ効果のことを考えてしまいます。偽薬でも副作用が出たり、また本当に効くはずの薬でも、効かないと信じて飲めば、効果がブロックされるという現象です。

まあ、どんな経験もあまりにもいい方に編集してしまうと、いざ、その美化に耐えられない現実に出会うとそれを否認してしまうというねじれも起きるのでは、と懸念してしまう老婆心も沸き起こる素直でない私ですが…。(神の国にはとてもはいれません…)

Sekkoさま

小寄道 · 2019-07-16 03:24:15 UTC+9 · 投稿 #1101

{新生児が傍で助けてくれるはずの母親やそれに類する人に全てをゆだねるしかサバイバルの方法はないのと同じような気がします。}

人間は自然の一部であるとして、「新生児」が本来そなわっている庇護される力、先験的に持っているサバイバルの本能!
このSekkoさまが提示したコンセプトから、小生の頭の中で、めくるめくイメージが噴出してきました。

まず狼が人間の赤ちゃんを育てる話が蘇ってきましたし、対立関係にあった民族同士でも、敵の赤ん坊を大切に育てるストーリーとか・・。
経験・知識もない新生児は、その存在が庇護されるように自然のシステムに組み込まれているのだろうか。
など、様々な想念が浮かび、人間の存在というものが、なにか自然の脅威や得体のしれない邪悪さから守られる。そんなイメージに収斂できました。
「幼子と神」の関係については、小生詳らかにしませんが、乳幼児は本能的に生き抜いていく力が備わっていると信じていいのでしょう。(ここでは虐待についてはふれません)

Sekkoさまの文章を読みながら、なにか心が満たされていく、幸せな気分にもなっています。

{「トラウマ」の逆方向で、「幸運な体験をプラスのバイアスとして心に刻む」という感じで前に進むのです。}

これって凄い精神医学的な概念だと思います。アメリカの脳科学者に研究してほしい、新たな分野だと思いますね。
「素敵な啓示」とは、あまり適切でない言葉の使い方かもしれませんが、とにかく上質な文学の短編を読んだ気分に浸れました。

Bちゃんさんは、そうですね、あまり深く訊くのはやめて、彼女自身の経験として、自ら考えてもらいましょう。
長い人生の中で、少しずつ少しずつ、「トラウマ」の逆方向で醸成してほしいと思います。
ありがとうございました。

小寄道さま

Sekko · 2019-07-15 19:40:30 UTC+9 · 投稿 #1100

小寄道さまの共感能力の高さに脱帽です。

今週末にもBちゃんのレッスンがあるので、ではもう少し聞いてみようかな、とも一瞬思いましたが、多分、今の彼女には、このブログの記事で私が書いたもの以上の言語化は難しいのではないかと思います。

で、私があらためて思うのは、普通、私たちが目の前にいる知らない人を信頼するかどうかは、その時の状況を把握して、知識と経験から割り出すということです。

けれども、マダガスカルのBちゃんのような状況では、それに対応できるような知識も経験もないので、一人では完全に無力だから、生き延びるには全面的な信頼しかありません。
いってみれば、新生児が傍で助けてくれるはずの母親やそれに類する人に全てをゆだねるしかサバイバルの方法はないのと同じような気がします。

そして、信じなければ即、死の危険。
信じれば、危険もあるけれど助けてもらうチャンスもある。

また、多分、助けてくれる信頼に足る人に会う確率の方が絶対に高いという社会進化論的な面が期待できるでしょう。
自然そのものに脅威のある世界では、人間に対して「悪意」を抱くようなタイプの人は長い間に淘汰されて、助け合うタイプの人が、地元民、移民にかかわらず多く住んでいることになると思うからです。

先進国の都会の方が、他人を出し抜いたり騙したりして生き残る人がずっと多くなっているでしょうから、「無条件な信頼」は「理想」か「お花畑」になるのでしょう。

で、Bちゃんは、都会で身につけた「誰を信頼すべきか」という知識や経験が完全に無化され、また一人でやっていくことも不可能な環境で、「幼子と神」の関係のような体験をして、それが「運よく」「成功」したわけです。

私のような素直でない人間なら、
「それでも次も必ずうまくいくとは限らない、もうこんな冒険はこりごりだ」
とか
「他の人が私のようなチャンスに恵まれるとは保証できないから、気軽にお勧めするのは責任問題にもなるから慎もう」
とか考えるかもしれません。

でも、やはり素直でない見方をするなら、Bちゃんには一種の心理的な防衛機制が働いて、自分の選択と成功体験を普遍化するという肯定的な見方になっているのでしょう。
いわゆる「トラウマ」の逆方向で、「幸運な体験をプラスのバイアスとして心に刻む」という感じで前に進むのです。

実際、今の彼女はもうすっかり、パリでのバイト生活とピアノの新曲の練習に夢中になって、8月末の数回目のロンドン行きや新学期のことで期待を膨らませているようで、その「若さ」からこちらも力をもらえます。、

私の方は知識や経験や思考の試行錯誤の脳内ネットワークがもうぐだぐたに繋がり合ってしまっているので、その坩堝にこのマダガスカルの貴重な情報を投入して、別の意味で若い彼女らの信頼に応えることにつなげたいと思っています。
小寄道さまのご指摘がそれをひと押ししてくれました。

ありがとうございます。


マダガスカルのB

小寄道 · 2019-07-15 03:38:22 UTC+9 · 投稿 #1099

待ちに待った、マダガスカルのBちゃんの報告がアップされました。
「Bちゃんの感想というか反応というか、私には予測できないものだった」と、
Sekko様は驚いていました。

同感です。まさしく、小生にとっても、今年はじめての感動的な驚天動地。
以下、語録のコピペですが・・。ふたたび確認したくて再録します。

●人を100パーセント信頼するしかなかった。そういう関係が築けるとは思わなかった。
●マダガスカルの中でもレッドゾーンに指定されている危険地帯だった。
●マダガスカルではゼブ牛(マダガスカルのコブ牛)を通貨にしている部族がいる。
●ゼブ牛をめぐる戦いの犠牲者はここ5年で4000人に上り、問題になっている。
●目の前の人を信頼する以外の選択はなかった。またマダガスカルに行きたい。みんなにも勧めたい。
●それって運が良かっただけでは? と思わずツッコンだら「そう、神さま、ありがとう」と、屈託がない。

まだ、小生にはBちゃんの「人を100パーセント信頼するしかなかった」、という境地に至った心理が理解できません。
それは小生が愚かであるからだ、と深く感じ入った次第です。
もうすこし、内実を知りたい、Bちゃんの話をききたい。そう思い、直ちにここに書き込みました。

直情的コメントですみません。



Sekkoさま

小寄道 · 2019-07-06 16:01:03 UTC+9 · 投稿 #1098

早速、レスポンスくださり感激です。
望月さんの記事、まだ読んでいませんが、まずはお礼のコメントを書きこみます。
この歳になって恥かしいですが、とても親しみのある方から予想外のことをされると、当方すぐに心が折れるんです。
まるで、小鹿のバンビみたいな心性なんです(笑)。
だから望月さんのことで、どうやってもアクセスできないので、小生はファンとして認められていないのだと・・。
そのときに、助けてお願い、ファンにしてください、そんな一途な気持ちをここに書きこめばよかった。
なんか気持ちわるい爺ですね、書いててイヒヒと自分をわらっています。なーんだそんなことだったのか、と。

最後に、Bちゃんには感謝です。なぜなら、件のマダガスカルで、「ショック」をSekkoさまと共有し、そのショックが旧聞ですが望月さんの記事を思い出させた。
日本もマダガスカルも「島」ですが、そのことと文化や性習慣などの独自性、後進性は関係づけられるんでしょうか。
マダガスカルは、動物・植物の「種の宝庫」ぐらいの感じで日本では知られています。
あ、ながくなりそうなので、この辺で。
Sekkoさま、ありがとうございました。これからも末永く・・よろしく。

小寄道さま

Sekko · 2019-07-06 06:42:52 UTC+9 · 投稿 #1097

まず、望月さんの記事のご指摘ありがとうございました。

何のことかわからず、チェックしてみたら、確かにハートのマークがついていて、それが限定公開、というマークだったようです。純然たるアクシデントで、まったく覚えがありません。というかそんな限定をどうやってするのかすら考えたこともありませんでした。編集ページを見て、ようやく見つけて解除しました。旧聞に属してしまいますがどうぞお読みください。ブログでもお知らせしておきます。

https://spinou.exblog.jp/30254878/


ファンにしか公開しないなんていう発想はありません。
公開したくない話なら友人にだけメールします。
小寄道さんは貴重な読者なのに、がっかりさせて申し訳ありませんでした。
(すぐにクレームを入れてくださればよかったのに…。というか、次にこんなことがあればお知らせください。予約投稿で量産しているので目が行き届いていなくてすみません。)

マダガスカルの実態、やはり驚きですよね。
人間の性衝動って、ほおっておけば動物よりひどいですね。だからこそ神話でも宗教でもイデオロギーでもなんでも、共同体内で何らかの規制をずっと設けているわけなんでしょう。そのたがが外れるシーンはいくらでもあるわけですが、たががはじめからはめられていない世界もあるとは‥。

マルチニクやタヒチはフランス海外県とフランス領なので、基本的にはフランス本土と同じです。むしろ本土から移住する人たちが差別されている感じもあります。もちろん「観光」する分には歓迎されますが。「旧植民地」にも旅行したことはもちろんありますが、やはり優雅で安全なところにしか行かないし見ていないし、フランスからの「客」にはみな親切ですから、シスターたちやBちゃんのような視点はなかったです。
曽野綾子さんがよく宣教者活動援助後援会での活動を書いていらっしゃったのを読んだことはありますが、あまりすなおに読めていなくて共感していなかったのですが、今回はBちゃんショックで、目が開かれました。誰からどういう風に情報が入るのかによって受け取り方が変わります。

新しいテーマが私の中で醸成しつつあります。





マダガスカルのこと

小寄道 · 2019-07-06 03:46:06 UTC+9 · 投稿 #1096

ご無沙汰しておりました。
連日の、Bちゃんのマダガスカル体験、そのSekkoさま経由レポート。関心をもって拝読させていただいております。
マダガスカルというとほとんど知識がなく、テレビからの様々な「動物の楽園」が流布されています。
ワオキツネザルの横っ飛びとか、カメレオンの多種多様な生態とか・・。バオバブの植生も印象的。
でも、自然のいいとこ、そんなのばっかり。

いや、アフリカ大陸とインドの移動、そのプレートの動き。その特徴の一つとして、マダガスカルは、科学番組ではよく紹介されていたかと思います。
マスコミの人間も大勢行っているし、それぞれに見聞しているはずなんですが・・。

仏蘭西の旧植民地って、小生は「自由、平等、博愛」の精神が、なんらかでも浸透しているかと思いきや、まさかの実態で驚きました。
女性がかくも性の対象としてしか認められない社会、国の在りかた、・・。
女性は男をどうみているのか。それを真剣に、科学的に、数量的に考察する必要がある。マスコミに、それが求められる。そんな感慨をもちました。

先進国にまで伏流している、いまだになくならない女性蔑視、性的対象としてしか認知できない男の脳科学とは何ぞや。だからMe,tooもあるのだ・・。

「マイノリティの権利の拡大、とか言っている世界と遠く離れて、マイノリティであるとか支配されているとか、まして権利を侵害されているとかなどという発想を奪われている世界があって、そこではキツネザルがのんびり昼寝し「先進国」の人々が豪華ホテルに泊まっている、という事実に慄然とさせられました。」(「マダガスカル その5 子供たち」から)

ちょっとショックが大きいし、Bちゃんの受け止め方と、Sekkoさまの対応、フォローの難しさについて考えるべきこと多々ありました。

蛇足の追記。以前、東京新聞の望月衣塑子さんの記事だったと思いますが、「私のブログのファンだけに公開します」という記事がありました。
望月氏は公人であるのに、なんで限定公開なのか。
まして、小生がSekkoさまのブログのファンでないと認定されている。そうか小生は、排除されているのか・・(ひがみそのもの)。
だから記事が読めないのかと、二重のショックを受けた次第です。他意はありません。

ともかく、Bちゃん経由のマダガスカルの記事、期待しています。
ところで、マルチニークとか、タヒチ、旧フランス植民地を、Sekkoさまは来訪したことあるのか。体験していなくとも、どう感じているのか・・。
そんなことも、今後記事にしていただきたく、一ファンとして要望して、筆をおきます。




(無題)

グラ · 2019-06-24 11:18:29 UTC+9 · 投稿 #1095

その通りだと思います。
ありがとうございます。

言わば、「絶対的な居場所」が必要なんだと思います。
カトリックは、色々な問題があったとしても、原理的に、原則的に、そのような場所を準備しているのではないでしょうか。
ところが、プロテスタントも、私たちのような福音派のグループは、制度的な疲労を起こしており、牧師による教会の私物化と自己保身の結果、信徒の居場所が無くなってしまったというのが現実なのです。
その意味でも、「渡り鳥の見たキリスト教」は、示唆に富んでおりました。
ありがとうございました。

グラさま

Sekko · 2019-06-23 17:21:11 UTC+9 · 投稿 #1094

うーん、もっと簡単に言ってしまうと、真の「健康」には、心身や社会的な良好な状態だけではなく、「愛し愛されているという動的な良好な状態」が意識されているかどうかということでしょうね。
心身や社会的状態とは無関係なところでの愛し愛されている感、それは神からの愛でもいいし、親からの絶対肯定でもいいし、ペットからの信頼と愛の関係でもいいし。

そしてそういう「無償の愛」が成立するには形や数値では判断できない「超越への感性」が開けている場所が必要で、逆にそれを感じている人はもう心身の健康状態や社会的承認などをチェックする地平とは別の所とつながっているのでしょう。

それを意識していかないと、心身や社会的な良好な状態を前提とする「健康」なんて不安定なものですから、みんなが健康どころか「生きる」ことに疲れるような状態にも陥るのではと思います。

年を重ねていくとますます「幸福」は別の変数を持っているのだなあと、感じます。

(無題)

グラ · 2019-06-23 16:39:10 UTC+9 · 投稿 #1093

ご返信をありがとうございます。
「渡り鳥の見たキリスト教」は、語り口は平易な印象なのですが、内容は非常に重く、深く、考えさせられました。

「超越への感性を失わない霊的に良好な動的状態」
これも、語り口は平易な印象を受けますが、これだけで、一冊の本になりそうですし、WHOが問題にしている時代認識であり、日本に無い、もしくは、「薄れている」テーマのような気がします。
ありがとうございました。

グラさま

Sekko · 2019-06-23 06:35:38 UTC+9 · 投稿 #1092

ご愛読ありがとうございます。

WHOの健康の定義についてはいろいろなところで書いたり話したりしてきました。

霊性について、諸文化、宗教の指揮者が招かれて発表をしたことがあって、日本から、仏教における霊性について、当時龍谷大学教授だった数学者の山口昌哉先生(京大名誉教授)が発表なさいました。
先生は私のファンだと自称なさっていて講演に呼ばれたことがあります。

で、彼が日本の仏教の霊性についてWHOで話したのは、人間には精神と肉体の二つがあるが、ばらばらにもなり得るその二つを統合するものが霊性だという説明だったそうです。

でも、たしか日本の厚生省が難色を示したこともあって、結局この改定案は通らず、事務総長の年頭所感だったかに表明されることに終わったのだと記憶しています。

ある神学者は、胎児が臍の緒から栄養と酸素をもらって生きているように、人間は、イエスと聖霊をもらって生きている、死ぬときはこの臍の緒が切れて霊性を返すけれど今度は神に永遠につながるのだ、と形容していました。

霊性とは静的なものではなくて私たちを生かし続けるために絶えず注ぎ込まれている息吹のようなものなのでしょう。

この世に生まれる時と死ぬ時の境界領域なしには体も心も健康も成り立たないのですから、超越への感性を失わない霊的に良好な動的状態というのは絶対に視野に入れるべきですね。

その感性が薄れているのが日本だとしたら、残念です。

新刊を拝読させていただきました

グラ · 2019-06-22 22:30:59 UTC+9 · 投稿 #1091

「渡り鳥の見たキリスト教」を読みました。
時代ばかりではなく、宗教的な可能性についても、閉塞感が漂っている中で、悪戦苦闘する、カトリックの立ち位置と竹下先生の視座に共鳴しております。

「『排除しない』という姿勢を保つのに不断の努力が必要」
「『辺境へ進め』という限り、希望はあるのかもしれない」
「聖霊ネットワーク」
どれもが、私には響く言葉となっております。
どれもが、私たちのグループでは喪ったか、見失った、言葉のようです。

この本でも触れられておりますが、P126 「スピリチュアリティ(霊性)」について、お伺いします。
WHO(世界保健機関)の1999年総会で、健康の定義に、「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。」と提案されております。
「霊的」、すなわちスピリチュアリティという言葉を挿入するということのようです。
このスピリチュアリティの訳語について、日本政府は「霊的」では宗教的過ぎるということで、躊躇しているということを聞いております。
個人的には、スピリチュアリティは、「聖霊ネットワーク」に実質があると思っておりますが、それだと、キリスト教原理主義でしかありません。
比較文化的な定義がされると説明しやすくなるかな、とも思っております。
先生は、どのようにお考えになりますか。
ご教授いただけると幸いです。