オコジョさまへ

オコジョさまへ

Sekko · 2019-12-31 00:31:58 UTC+9 · 投稿 #1116

ありがとうございます。

>>>特に印象に残ったのは、現世利益的土俗宗教から普遍的世界宗教への、超越性に向けての飛躍の契機に、マイノリティとしての「女」を見ておられることです。一般的には、ここに「死」あるいは「来世(天国)」の概念を置くところなのでしょうが、ここに「マイノリティとしての「女」」を入れ込むことで、普遍性・超越性の問題だけでなく、逆に「マイノリティ」や「女」をも再考に付すものを読み取ります(それが最終章に繋がるのでしょう)。<<<

「全体」に対していろいろな分け方をして社会的なマイノリティ、弱者をつくっていく支配構造のイデオロギーが、人間が本来備えている普遍性、超越性への感性を閉塞している気がします。あげくは、「死」や「来生」のイメージにまで、等級をつける文化もあります。だからこそ、マイノリティの側や、社会から可視化されていない側に立つことで、普遍性への扉が開いてくる、と感じます。
といっても、実際に、大局から見ると、今の時点では(戦争がなくモノがあふれている国に暮らすという)「強者」に属する自分の居場所からはなかなか見えてこないものが多く、情報収集と共感力とが必要だと感じます。

>>>ただ私としては、先日の東京・真生会館でのお話、すなわち「マイノリティ=女」をさらに環境問題と結び付けることの方に、いかにも先生らしい、腕力で強引に捩じ伏せるような、そしてそれゆえある種のロマンを感じさせられるような論理的展望に、より大きな快感を感じるのではありますが、、、。近い将来にその問題を前景化した本を出されることと思っています。<<<

真生会館では、ここのところ、ちょうど私が日本に行く時に開講される講座のテーマを割り当てられるので、できるだけひれに即したものを考えます。でも、今回は教皇来日で、ローマ教皇そのものがテーマでしたから、他の方が十分お話になるだろうと思ったので、視点を少しずらすことにしたのです。そしてちょうど「神と女」(女のキリスト教史)を書いているところだったので、女とエコロジーにしました。

普遍主義のとっかかりになるのは弱者への視点であり、それをせずに強者の共同体主義が地球も動植物も女子供も障碍者も支配しようとした結果がエコロジー危機だという点では、二つの見方はつながっています。

>>>また、特に最終章で強調される、俗流フェミニズムに対する批判、先生と同じくパリ在住で作家活動をしておられる中島さおりさんなんかも、形こそ違え、基本的に同じ主張をしていると認識しているのですが、これほど(キリスト教史と結びつけつつ)論理的に明快に論じておられることに、(肉食系男子の私としては)胸の梳くような快感すら覚えます。俗流フェミニズムは「他者」というものを認めようとしていないと、私には思われるのですね。そしてその姿勢は、結局アメリカ的金融資本主義に加担するものでしかない、ということに意識的ではないと思うのですね。絶望的にまで掛け離れた「他者」、それに敢えて係わろう働き掛けることこそが「隣人愛」であるはずなのに、そしてそれがあってこそ人間が人間であるはずなのに、「女」を解放するつもりの主張が実はその前提である「人間」を抹殺するものであることに、あの人たちはどうして気付かないのでしょうか? ホモソーシャルな世界というのは、男にせよ女にせよ、どこか気持ち悪い? フランスでもgalanterieという言葉はすでに死語になったと聞いたことがあり、悲しくなりました。 faire la cour àとはまさに宮廷人の振る舞い、『源氏物語』の世界、、、。
(中島さんと共に)「パリに住む女」の面目躍如という思いです。しばらく前に親しく付き合っていたあるフランス人女性が、「アメリカでは、地下鉄の中で男が女を見つめると、女はポリスに電話をする。これはアメリカで女性の地位が低い証拠だ。」と憤っていたことを思い出します。<<<<

「私」の反対は「あなた」や「あなたたち」てなく「私たち」だという視点で、男と女の場合も、「女」の反対は「男」ではなくて、「男と女、の人間全体」という視点で連帯するのが大切だということです。
でも、実際に、自然界では普通にあるはずの「女の気を惹く努力」なしの、女性への暴力や支配が蔓延しているのだとしたら、やはり、個々のケースで無条件に弱い方に寄り添うこと、そのような傾向を促す社会潮流を見直すこと、そして何よりも、未来を担う子供たちの正しい教育、という三つを実践するべきだと思います。

中島さおりさんのことは存じ上げず、検索しましたが、学齢のお子さんもいらっしゃるようで、イギリスのブレディみか子さんのように、子供の教育を通してもこれからいろいろな発見をして紹介してくれるのでしょう。思えば、子供を含めた「家族関係」のレベルが、国民性や伝統の違いが、最も顕著な気がします。さまざまなブログのおかげで、私は近頃はじめて、日本の家庭や親子関係、夫婦関係の実態?を発見しつつあります。(私個人としては日本でもフランスでもまったく「世間」とずれていることを認めざるを得ません。違いは、日本では「ずれている」ことを隠しておいた方が無難で、フランスではずれていても無視してもらえることです。)