tualkleiknf さま
ご指摘の私のブログ二つ目にはこうも書いています。
>>>思想家は、自分の思想を表現、思考の成果を世に問うものだろうけれど、本人の生き方がその思想に忠実であるかはまた別の話だ。それでも私は今までも、この人の話を聞いたり書いたものを読んだりした時に、「他者にどう見えるか、どう見せるか」の「忖度」や演出が少ないことを感じていた。時々の逸脱や脇の甘さも、本質的な自由さの持つ脆弱な部分だという気がしたのだ。<<<
彼の逸脱や脇の甘さも分かっています。
それでも、彼に共感できるのは、やはり「教養」です。
教養には、第三共和政が採用したイデオロギーとしての共和国理念だけではなく、フランス革命以前からの「フランス文化」におけるユニヴァーサリズムの伝統があります。
そのフランス文化における「教養」の中で私がフランス・バロック演奏者として最も共感できるのが「フレンチ・エレガンス」です。つまり、「マキシマムを表には出さない」という美学です。
フィンケルクロートの「教養」の深さと、「アングロサクソン的コミュニタリアニズム、ピューリタリニズム」への忌避感は大いに関係がありますが、それにユダヤ人としての出自と、68年世代としての「共和国原理主義」の持つ「自由」の危うさ、などが加わり、背景は複雑です。
でも、自分自身が危機に瀕した時に彼が発した言葉や態度には共感できます。
私は「共和国理念」のもとになりそれを形作ったユニヴァーサリズムと、それを求める表現の一つだったフランス・バロックのエレガンスに魅せられているので、共和国理念の体現者「様」の「おことば」を個人的にあげつらうことは私には不毛なのでしません。
でも彼の世代の人々の言辞は「逸脱」も含めて興味深いと思います。
ご教示ありがとうございました。
>>>思想家は、自分の思想を表現、思考の成果を世に問うものだろうけれど、本人の生き方がその思想に忠実であるかはまた別の話だ。それでも私は今までも、この人の話を聞いたり書いたものを読んだりした時に、「他者にどう見えるか、どう見せるか」の「忖度」や演出が少ないことを感じていた。時々の逸脱や脇の甘さも、本質的な自由さの持つ脆弱な部分だという気がしたのだ。<<<
彼の逸脱や脇の甘さも分かっています。
それでも、彼に共感できるのは、やはり「教養」です。
教養には、第三共和政が採用したイデオロギーとしての共和国理念だけではなく、フランス革命以前からの「フランス文化」におけるユニヴァーサリズムの伝統があります。
そのフランス文化における「教養」の中で私がフランス・バロック演奏者として最も共感できるのが「フレンチ・エレガンス」です。つまり、「マキシマムを表には出さない」という美学です。
フィンケルクロートの「教養」の深さと、「アングロサクソン的コミュニタリアニズム、ピューリタリニズム」への忌避感は大いに関係がありますが、それにユダヤ人としての出自と、68年世代としての「共和国原理主義」の持つ「自由」の危うさ、などが加わり、背景は複雑です。
でも、自分自身が危機に瀕した時に彼が発した言葉や態度には共感できます。
私は「共和国理念」のもとになりそれを形作ったユニヴァーサリズムと、それを求める表現の一つだったフランス・バロックのエレガンスに魅せられているので、共和国理念の体現者「様」の「おことば」を個人的にあげつらうことは私には不毛なのでしません。
でも彼の世代の人々の言辞は「逸脱」も含めて興味深いと思います。
ご教示ありがとうございました。