1 2 小寄道 · 2020-12-18 19:58:42 UTC+9 · 投稿 #1158
ネットでアルメニアを色々とサーフィンしました。 シルヴィー・ヴァルタンの世界的ヒット曲「アイドルを探せ」の作詞は、アズナブールだったんですね。 アルメニアつながりだったとは! 映画も見ました。共演していたし、ジョニ・アリディも出てましたね。モノクロフィルムだけど、独特なスピード感のある映画で、とても印象的です。仏映画も当時の人気は凄かった。 遺跡はどれも素晴らしく、一度は行ってみたく思いました。 ありがとうございました。
Sekko · 2020-12-17 02:29:26 UTC+9 · 投稿 #1157
小寄道さま、 日本でもそういう出会いがあるのですね。 今のフランスには75万人といわれるアルメニア系の人がいて、いろんな人と混ざっています。 だから普通に出会えます。 日本で有名なのはキャビアのペトロシアン、作家のアンリ・トロワイヤ、メガネブランドのアラン・ミクリとか、母親がアルメニア人というのは映画監督のフランシス・ヴェベール、音楽家のミッシェル・ルブラン、父がアルメニア人はシルヴィー・ヴァルタン、同じく歌手のパトリック・フィオリなど。ミッテラン時代の首相エドアール・バラデュールもカトリックに改宗した古いアルメニア人の家系の人でした。 フランス風に改姓している人も少なくないし、それぞれ出身地も時代によってトルコとかソ連とかになっているので分かりにくいですが、アルメニア・アイデンティティははっきりしています。 フランスのアルメニア系著名人のリストもネットに出ています。 宗教遺跡はすばらしいものがたくさんあって、「アルメニアの世界遺産」「アルメニアの観光」で検索すれば日本語でもいろいろ出てきます。やはり地政学的事情によって、アルメニア教会の貴重な遺跡が今のトルコやイランにもあります。 イラクやシリアもそうでしたが、これらのすばらしい文化遺産を戦争や宗教イデオロギーによって破壊するなんて野蛮の極みだとショックです。今回の戦争でも、教会を去る人の辛そうな様子が気の毒でした。 信仰篤いというより、なんというか大昔からキリスト教一択で文化のアイデンティティなのだと思います。 私は行ったことがありません。 知人もいるしいつでも行けると思っていた場所の多くが、戦争や災害で破壊されたり、今のように急に渡航規制ができたりして、後悔することしばしばです。 どんな国でも、ある一人との出会いを通して共感が生まれるのはすてきですね。 来年はぜひ日本に戻って皆さんと再会したいです。
小寄道 · 2020-12-17 00:19:25 UTC+9 · 投稿 #1156
アルメニアのことで想い出したことがあります。 もう、30年以上の前になりますが、飲みの席で或るアメリカ青年と意気投合したことがあります。 白人なのにソウルとかブルースが好きで、当時では珍しい真面目なタイプでした。 金がないので家に泊めてあげたのですが、詳しく色々話をきくと、親がアルメニアからの移民でした。 何州だったか忘れましたが、アメリカでもプアホワイトであり、彼は黒人たちへの共感をもっていました。 姉が二人いて医療関係の会社で働いているらしいのですが、たいへん生命に危険をともなう仕事だとのこと。 親戚もふくめてみな貧困であり、アルメニア人は3Kの仕事しかないのだ嘆いていた、彼の切ない顔を思い出します。 ところで、本国アルメニアは今もなおキリスト教国としてありますが、地政的にたいへん困難な場所にあります。 現在も様々な問題、紛争もありますが、人々はあつい信仰心を絶やさない。 かつて、(今もですか?)トルコはホロコーストの対象としても迫害した歴史があることも承知しています。 さて、アルメニアには、キリスト教として強い信仰を持続させる聖地とか遺跡があるのでしょうか。もっと強い信仰の源泉があるのでしょうか? 場所的には、ギリシャ正教だと思いますが、エチオピアのように独自のカトリック教徒がいるんでしょうか。 また、フランスで活躍しているアルメニア系の移民って、アズナブール以外にどういう人を思いえがいたらいいでしょうか。 職業でいえば、どんな種類の仕事についているのでしょうか? 思いつくまま、アルメニア系のアメリカ青年を思い出して書いてしまいました。 よろしくお願いいたします。
Sekko · 2020-11-23 01:03:06 UTC+9 · 投稿 #1155
そうなんですよね。日本にいた時は、アメリカから来たものは何でも漠然と「欧米」というカテゴリーに入れていたような。でも、たとえばヨーロッパから見た「中国と日本」がアジアとひとくくりにされるくらいの違和感なのです。 儒教文化の影響は受けているし、「欧米」はキリスト教文化に影響を受けているけれど、枝分かれや変異は複雑です。キリスト教は中東にルーツがあるし、アジアも、インドにルーツがある仏教と習合しているし、ケルト文化ゲルマン文化のように中国には道教があり、日本にも自然神道があったわけです。 ついこの前までは、そんな昔のこと、もうグローバリゼーションの世の中にはインパクトがないかもと思っていましたが、実は世界の事象を読み解く補助線として立派に役立つ知識だなあ、とあらためて思っています。こういう雑学をまとめた本をいつか出してみたいです。 ガレットはスイーツではないですね。肉を巻いたりするヴァリエーションもありです。クレープレストランではガレットがメインでデザートがクレープです。 「ブレッツカフェ クレープリー 表参道店/【旧店名】ル・ブルターニュ」はギャルソンがレンヌの人で、シードルもおいしいので、東京にいる時に友達を誘ったりします。 今度日本で楽しく会食できる日はいつになるのか、とつい考えてしまいました。
小寄道 · 2020-11-22 14:19:03 UTC+9 · 投稿 #1154
「シリアル、パンケーキ、バゲットの文化史?」読みました。 私たちの食文化も、やはりアメリカ起点(起原)のプロテスタント文化の影響を色濃くうけていると感じました。 肉食は自然に反する、何かしら後ろめたいものがある? 人類と宗教を考えるうえで、けっこう見逃すというか疎かになりやすいテーマなんでしょうか。 いやー、合点がいくことが多い内容でした。シリアル食品、四角の食パンは確かに日本の食卓に定着しています。 ガレットって、そば粉ですよね。これはスイーツなんででしょうか? 春巻きみたいに肉をくるんで食べるのもOKですか? ヴェジタリアンやヴィーガン専門のレストランは、いまや都会の先端であり、女性たちの人気・お洒落スポットです。 日本にいる外国人モデルの多くがヴィーガンらしく、イタリア人・フランス人もふくめて禁欲的なライフスタイルを実践している印象があります。 面白いですね、食習慣が生き方を左右するという事実。まあ、仏教がどこまで浸透しているか分かりませんが、いい加減な日本人は精進料理も焼肉も愉しむ胃袋をもっています。 Sekkoさまには珍しい食に関するテーマでしたが、いろいろ想像力をかき立てられました。 乱文にて失礼します。思いつくまま書いてしまいました。
Sekko · 2020-10-25 19:26:50 UTC+9 · 投稿 #1153
ご指摘の私のブログ二つ目にはこうも書いています。 >>>思想家は、自分の思想を表現、思考の成果を世に問うものだろうけれど、本人の生き方がその思想に忠実であるかはまた別の話だ。それでも私は今までも、この人の話を聞いたり書いたものを読んだりした時に、「他者にどう見えるか、どう見せるか」の「忖度」や演出が少ないことを感じていた。時々の逸脱や脇の甘さも、本質的な自由さの持つ脆弱な部分だという気がしたのだ。<<< 彼の逸脱や脇の甘さも分かっています。 それでも、彼に共感できるのは、やはり「教養」です。 教養には、第三共和政が採用したイデオロギーとしての共和国理念だけではなく、フランス革命以前からの「フランス文化」におけるユニヴァーサリズムの伝統があります。 そのフランス文化における「教養」の中で私がフランス・バロック演奏者として最も共感できるのが「フレンチ・エレガンス」です。つまり、「マキシマムを表には出さない」という美学です。 フィンケルクロートの「教養」の深さと、「アングロサクソン的コミュニタリアニズム、ピューリタリニズム」への忌避感は大いに関係がありますが、それにユダヤ人としての出自と、68年世代としての「共和国原理主義」の持つ「自由」の危うさ、などが加わり、背景は複雑です。 でも、自分自身が危機に瀕した時に彼が発した言葉や態度には共感できます。 私は「共和国理念」のもとになりそれを形作ったユニヴァーサリズムと、それを求める表現の一つだったフランス・バロックのエレガンスに魅せられているので、共和国理念の体現者「様」の「おことば」を個人的にあげつらうことは私には不毛なのでしません。 でも彼の世代の人々の言辞は「逸脱」も含めて興味深いと思います。 ご教示ありがとうございました。
tualkleiknf · 2020-10-24 14:44:18 UTC+9 · 投稿 #1152
2005年、Haaretzで
Les gens disent que l'équipe nationale française est admirée par tous parce qu'elle est black-blanc-beur. En fait, l'équipe de France est aujourd'hui black-black-black, ce qui provoque des ricanements dans toute l'Europe.
2009年、フランス・インターで
Polanski n'est pas le violeur de l'Essonne. Polanski n'est pas pédophile. Sa victime […] n'était pas une fillette, une petite fille, une enfant, au moment des faits. C'était une adolescente qui posait dénudée pour Vogue homme. Et Vogue homme n'est pas un journal pédophile. C'est quand même une chose à prendre en considération.
2019年、La Grande Confrontationで
Violez, violez, violez. Voilà ! Je dis aux hommes : violez les femmes. D'ailleurs, je viole la mienne tous les soirs ! mais tous les soirs. Elle en a marre, hein, elle en a marre
https://spinou.exblog.jp/30110720/ フィンケルクロートは本当に、共和国理念の体現者だなあと思う。
https://spinou.exblog.jp/30662374/ 私は彼の著書は一冊しか読んだことがないのだけれど、多くの記事を読んだし、メディア露出の多い人なので、雰囲気はわかる。全体に誠実で好感を持っていた。
今ではフランスでさえ、「教養がある」こと自体が何だか「保守的」「反動的」とみなされる時代になってきたのはおそろしい。
岡村久 · 2020-10-16 09:27:42 UTC+9 · 投稿 #1151
今日はこの二つ。 ユダヤ人は飢饉のときにエジプトに移民して奴隷化された後でモーセに連れられて「約束の地」に戻ってきた入力 高所から遠方で繰り広げられる悲劇を見てアクションを起こすのはBLMのような「高等遊民」の特権で
Sekko · 2020-10-15 23:36:44 UTC+9 · 投稿 #1150
このシリーズを興味深く見てくださった方々がいるのを知って嬉しいです。
フランスは「六角形」と言われるのですが、よく見ると、五角形+ブルターニュだよなあと思います。気候的にも。
前にも、ブルターニュの別のパノラマ風巡礼地の記事を書いたことがあります。
今見たら、5年前で、写真を入れていませんでした。ブログに写真を入れるようになったのは、ファティマくらいからで、今思うと、おもしろい写真がたくさんあるので、もっと紹介すればよかったかなあと残念です。もともと自分の覚書ブログなのでサービス精神はゼロでした。
で、今、その5年前の記事をもう一度編集して、写真を挿入してみました。
https://spinou.exblog.jp/24979650/ その年の夏のフィレンツェの写真もたくさんあるので写真入りにしておけばよかったなあと思います。
聖者の谷の写真でも他の写真でも、出典を書いていただければ自由にお使いください。
レンヌの教会巡りの記事と写真もずっとおあずけにしてあるので、そのうちまとめようと思っています。
でも、今は、つい、ブログに写真を挿入することで、視覚記憶までが「覚書」になってしまって、頭には入っていないような危険も感じています。観光に来て自分の目で見ないでスマホで写真ばかり撮っている観光客の気分が分からないでもありません。
今年はコロナ禍で、4月の徳島や沖縄、5月のカナダ、7月のクラクフでのコンサートや旅行などがすべてキャンセルになった年でした。だから聖者の谷には本当に救われました。
ブログでは分かりませんが、どの像も、360度の角度から見ることができるわけで、その度に借景も、周りの像との関係も変わってくるし、野外彫刻美術館として屈指のものだと思います。
ぜひぜひ一度ブルターニュにどうぞ。
小寄道 · 2020-10-15 00:36:54 UTC+9 · 投稿 #1149
ブルターニュを地図でみると、半島のような、たんなる辺境の一地方にみえます。 フランス全体でみると、日本本州の下北半島のような位置づけとして見ることはできる。 私にとって、ブルターニュ地方とは、ケルト・ミュージックのフランス版として親しみがありました(残念ですが、過去形です)。 一時期、アラン・スティーベルにぞっこんでした。もう30年ほど前です。 ゼロ年代に入ってケルト音楽をあまり聴かなくなり、ブルターニュという土地のイメージは彼方に遠のきました。 それから、今から2年ほどまえになります。カズオイシグロの『忘れられた巨人』を読んで、再びブルターニュが浮上しました。 ケルトの人々がアングル人やゲルマン人にウェールズ地方に追いやられ、さらに海を渡りフランスに逃れた。その史実と物語に魅了され、人々のありよう大切だけど、土地、大地の在り様に想像力が掻き立てられました。 そこがブルターニュだった。ノルマンジーよりも距離はあるけど、なんとか海を越えてフランスに行ける。 アーサー王伝説の時代を思い浮かべながら、初期のキリストを信奉したケルトの人々の生き様を想像しました。 彼らにとっての聖人は、個人の信仰や想像力と同じくらいに豊かで多様だったのでしょうね。 ブルターニュに現在暮らしているケルトの人々の末裔のなかから、選りすぐりの彫刻家が何人も生まれたのですね。 伝説の聖人をカタチに表わすのは、偶像化には違いないが、穢すものでも損なうものでもない。なぜ今までなかったのが不思議なくらいです。 「聖者の谷」が終わりました。6、7世紀(?)の時代に、かくもケルトの聖者がいたのか! 初回からどうなるのかと驚きと愉しみが、ない交ぜになりながら注目してきました。 19回で終わりとのこと。 淋しくもあり、感謝の気持ちもあり、自分でも死ぬまでには訪れてみたい、などと複雑な気持ちです。 Sekkoさまの写真で個人的にダウンロードしたものがあります。 将来的にシェアさせていただき、自分の拙ブログに使わせていただくかもしれません。 そのための了承をえるためだけの、この掲示板の書き込みではありません。、 ブルターニュという広大な丘陵地帯に驚くほどの彫刻が、まさに乱立している不思議さ、あるいは奇蹟。 そう、「ここ」を紹介してくださったSekkoさまの慧眼への敬意と御礼と受けとめてください。 写真の転用などに問題があれば、いかようにも致します。 ありがとうございました。
岡村久 · 2020-10-14 12:50:42 UTC+9 · 投稿 #1148
「聖者の谷」終わってしまいました。毎日楽しみにしていたのに残念です。 聖者の谷のことを何も知らずに多くの石像を見たら、誰が何のために制作したのか、誰がモデルなのか、モデルはどこの国の人なのかと思うでしょうね。石像の顔を見ると何となく北に住んでいる人というイメージをもっていました。色々な顔が見られて、良いバーチャルツアーが楽しめました。竹下さん、感謝です。 「日本が大陸文化を輸入するためにが人を派遣する 」 「あらためてて感慨を覚える」 「4m52のかなり背の高い像だ」
岡村久 · 2020-10-12 09:04:03 UTC+9 · 投稿 #1147
毎回楽しく写真を見ています。今回は久々に以下。 コナンはローマ帝国の治世下でぷるたーにょのアルモニク公となりやがて最初のブルターニュ王としてナントに住んだ 。
岡村久 · 2020-09-29 08:36:20 UTC+9 · 投稿 #1146
「ピンが頭を上にをして流れたら」。このパターン、出やすいのですね。 ソフト自体は経年変化はしないけど、環境が変わることで影響を受けることはあり得ます。入力中の文章を記憶しておくメモリーは長い間使っているうちに、どこかにゴミが溜まって、それが悪さをするとか。メモリー内を初期化するとか、そういうことができれば、出なくなるかもしれません。
岡村久 · 2020-09-23 23:07:44 UTC+9 · 投稿 #1144
「2008 以来、北ブルターニュを見渡すカルノエの丘の上には」。12月に入るとあちこちで「年」忘れ何とやらですが、コロナ禍の今年はどうなるのでしょう。私は隠居老人でそういうイベントは何もないから、あまり関心はないのですが。?
Sekko · 2020-09-22 17:33:52 UTC+9 · 投稿 #1143
ああ、これは近頃よくあるタイプです。 元は「この映画でユペール演じる」とあったのを、今はミスを防ぐために読み直しているのですが、その時に、「ユペールが」と「が」を入れた方が分かりやすいかなと思って、「が」を挿入したのです。そしたら、自動的に、ユペールの前にある「で」がくっついてきたのです。 以前はそんなことはありませんでした。 こちらとしては読み直して添削した箇所なので、もう一度確認するのを怠っていました。 岡村さまのおかげで完璧?な記事が続くかも。ありがとうございます。 ああ、パンチ入力ってありましたね。 私も、ガリ版刷りなんていうのを思い出してしまいました。鉄筆の感触も覚えています。 ともかく、ワープロ、パソコン、ネットなどができなければ私は海外から執筆活動などできなかったので、テクノロジーの発展に感謝です。
岡村久 · 2020-09-22 16:36:12 UTC+9 · 投稿 #1142
ここ数日、何もなかったけど、今日はひとつ。「この映画でユペールでが演じるシャルマン判事」の「で」。余計な出しゃばり。 キーボードを使い始めたのは大学4年のとき。自作のプログラムを1行ごとカード1枚にパンチ入力して、電算センターに処理を依頼すると数日で結果が出てくるという時代だ、一ヵ所でもパンチミスがあると自作プログラムを走らせてはくれず、エラーだけで戻ってくる。ひとつのミスで数日を失ってしまう。だから、とても慎重にパンチ入力していた。その習性が今でも残っているのかもしれません。
Sekko · 2020-09-16 16:58:55 UTC+9 · 投稿 #1141
岡村さんはさすがに徹底していますね。だからご家族の理解も得られるのですね。 マスクのせいで二酸化炭素を吸う量が増えることで、健康上のリスクのある人は58%もいるとフランスのどの雑誌かで読みました。本当だろうなあ、と思いました。「周りの人に不安を与えない」という理由だけでの着用なら体にいいわけないですね。 亡くすというのをひらがなに訂正しました。 これもソフトの不思議な機能で、私はもともと「無くす」など書かないので、たぶん前に漢字を使ったのが「亡くす」というもので、それが優先的に変換されたのだと思いますが、そもそも変換キーとか押していないので、気づきませんでした。変換キーを押して選択してクリックしても、私の選んだものとは違うものに変換されていることもよくあります。これらは昔は起こらなかったものです。 フランス語なら単語そのものが別のものになるケースがありますが、日本語の場合は、私がかな入力をしているからかもしれないとも思いました。iPadやフランス語キーボードのPCではローマ字入力しているので、今度比較してみようかと思います。 執筆はすべて日本仕様のラップトップでしています。そのキーボードでフランス語入力に切り替えても、英語とは配列が違いますが、英語もフランス語もブラインドで打てるので困りません。 卒論をフランス語で書くために英文タイプの学校に通った世代です。 でも、初めてワープロを買ったその日から、かな入力を覚えることにしました。ローマ字入力より1.5倍速く打てます。特に私のようにカタカナ語を使う頻度が多い場合は絶対に楽です。前にもどこかに書きましたが、「フランス」と書く時、ローマ字ならついFranceと打ってしまうし、それをfurannsuと打つよりカタカナで思い浮かべて「ふらんす」と打てばタイピング4度ですみますから。 この頃は、岡村さんに毎回お手数をかけるのも申し訳ないので、一応読み直していますが、それでも見落としが多々あります。 2度校正をして出版した本ですらミスは残るので、ウィルスと同じで根絶は無理なのかも…。
岡村久 · 2020-09-16 11:39:31 UTC+9 · 投稿 #1140
降ろされた男性は健康上の理由があったようですね。プライバシーにかかわることを伝えるのが嫌だったとか。現場の詳しい状況が分からないので何とも言えませんが、私だったらマスクをしない理由を説明した簡単なメモ(A4一枚)を用意しておき、搭乗時に渡して説明しておきます。私は赤血球数が少なくて、下限ギリギリのためか、酸素不足に弱い体質です。混んだデパートや電車では、すぐに気持ちが悪くなる。こういうことを採血データとともに示したメモを作成するでしょう。飛行機や新幹線などに乗る時には。 ミスが発生する状況よく分かりました。書き上げたつもりのものと公開したものが、使用しているソフトの不具合のために不一致個所がところどころあるというのはストレスが溜まりますね。ソフトの見直しも一案かと。 ところで、「先日、新作映画を久しぶりに観に行こうかと思っていたのに、上映時間が限られていて、行く気を亡くした」の「亡くした」は普通は「無くした」と書きますが、「亡くした」と書きたい何か強い思いでもあったのでしょうか。
Sekko · 2020-09-15 16:57:02 UTC+9 · 投稿 #1139
訂正しました。なぜこういうミスが発生するのか謎です。私の入力凡ミスではなく、書いた文に修正を加えると誤作動に近いものが現れるのです。例えば、ある部分に言葉を挿入しようとしてその場所をクリックすると、その後ろにあった言葉が前の部分にも勝手にコピーされることが最近よくあるようになりました。それが一文全体のコピーである時もあります。自分では覚えがないので、気づかないこともよくあります。カギ括弧が勝手にコピーされるのはほとんどデフォルトで、前はこんなことがなかったのに、不思議です。 まあ勝手に消えるよりはましですし、そのようなひょっとして勝手に進化した機能をブロックする方法があるのかもしれませんが、調べている暇がないので、やはり「読み返し」してチェックするか、岡村さんに頼る?かということになります。 書下ろしの一つが一段落したのでもう少し丁寧にやっていこうと思います。 友人たちとのメールやLineは、日本語もフランス語も「勝手に誤変換」ばかりで笑えます。笑えない場合もありますが…。 岡村さんは、ピーチ航空のマスク拒否で途中で降ろされた人のことどう思いますか?
岡村久 · 2020-09-15 09:17:25 UTC+9 · 投稿 #1138
今回も凡ミスです。校閲をしているつもりはありませんが、気づいてしまうので。 今回も、つくづく思ったのは、別に黒人奴隷の悲劇を相対化する意味ではなくて、人間はいかに、相対的に強い者が弱いもの者の生殺与奪の権を握って ? →「もの」不要 ジブチでは、16世紀初めを除いて、白人」に売るために奴隷を確保 →」は不要
岡村久 · 2020-09-08 09:07:57 UTC+9 · 投稿 #1137
マスク圧は相変わらずです。でも最近は顎マスク、鼻だしマスク、マスク外して手マスクやポケットマスク、店内&電車だけマスク、どこでもノーマスク(私はこれ)も増えていますね。先週末、マスク着用で炎天下を歩いて気分が悪くなり、ベンチに座って奥さんに水筒から冷たいものを飲ませてもらっている男性を見かけました。70代半ばでしょう。涼しいところに移動するのを手伝い、一息ついたところで写真用紙L判にプリントした自作のメモ「暑いですね、そのマスク外しませんか」を渡し、読んでもらいました。新コロナより熱中症の方が危険、マスクしてると血中酸素濃度が下がるので健康によくない、といったことを書いてあります。この方は真面目マスクだったのでしょう。
Sekko · 2020-09-07 17:28:43 UTC+9 · 投稿 #1136
岡村さま、おお、信頼できるマイ「校閲」さま、と勝手に感謝させていただいてます。 今、ブログ予約稿もぎりぎりで、書下ろし『疫病と神』を今週中に脱稿予定なので、ブログの読み直しできてません。でもすぐ訂正しました。 今週末からアンサンブルの練習も始まり、来週からバロックバレーや生徒のレッスンも始まるのでこの2,3日が一番タイトです。 その後、日本のマスク圧はいかがですか? フランスは都市部で、もう至る所マスク着用義務になってて、みんな顎マスクして歩いてたりします。メトロの中とかスーパーの中ではまあ安心感もあるのでいいですが、外を歩くときにこれって、どう考えても納得できませんが、ドイツみたいな抗議はなくて、「なんちゃって」マスクで適当にやってるのがフランスっぽいかも。 ドイツだとみんなちゃんと規則を守るというのがデフォルトだからこそ抵抗も激しいんでしょうか。 ともあれ、バレーのレッスン中はマスクフリーだというので復帰します。 これからもよろしくお願いします。
岡村久 · 2020-09-07 08:49:59 UTC+9 · 投稿 #1135
やっとバカンスへ。テンプル騎士団司令部 若い友人らと違って、マスクをしながら飛行機に乗る気も列車に乗る気も、最初にクラクフを予定していたような都市部を観光する気も起らなくて、ひたすら来るまで行けて海も見て、戸外の広いところ、というプログラムを組む。 「来るま」→「車」
Sekko · 2020-09-03 17:44:29 UTC+9 · 投稿 #1134
こういう感想を書いていただけて幸せです。 ひとりの方のお役に立てたているということだけで、これからも発信続ける力をいただけた思いです。 当然ながらフランスの知人友人たちには読んでもらえないので、時々、自分が閉鎖空間でつぶやいているような気がすることがあります。今日は元気に仕事ができます。 もともと王族出身で80歳で敬われながら涅槃となったお釈迦さまと違って、キリスト教はイエスの刑死、その後ももっとひどい殉教者続出の中で育まれていったので「危機」がDNAの中に入っているのだから打たれ強い、というのを読んだことがありますが、ほんとだなあと思います。 日本のミッションスクールとか「欧米」舶来のイメージはもちろん、フランスにいても、膨大なキリスト教文化の蓄積のせいで、出発点の深刻な危機もアート化され儀式化されてしまって薄れてしまうんですよね。 ありがとうございました。
テレサ · 2020-09-03 12:33:13 UTC+9 · 投稿 #1133
お久しぶりです。ブログはいつも読ませていただいています。 先日、カトリック生活9月号の「カトリック・サプリ」を読みました。 実は、先月、私も久々に主日のミサに行きました。日曜夕方のミサは、連絡先の記帳が求められますが、一般公開になったからです。で、久しぶりのミサは、ご聖体拝領もオルガン演奏もありましたが、入祭も閉祭もその他の典礼も全く歌はありませんでした。セシルほどの絶望感はありませんでしたが、不完全燃焼な感じでした。 私としては、せっかく行ったのに~と、少し残念な気持ちになりました。歌うことは3倍の祈りの効果がると教えられてきたし、今こそ祈るときなのにと思うと、祈るという行動に規制をかけられ、ミサが終わった後も、さっさと追い出される感じで、何とも言えない気持ちでした。 でも、「カトリック・サプリ」を読んで、“最初で最後のミサ”は、完璧ではなかったことを思うと、今のこの状況禍ということだけでなく日ごろのミサに対しても、また日々の生活の中でも、不完全さを受け入れていこうと改めて思いました。 ミサに行って、がっかりした気持ちになってしまい、どうしたらいいんだろ~と思っていましたが、私が今、まさに受けるべきメッセージはこういうことなんだと、気付きを与えていただきました。ありがとうございました。
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