2020年の投稿

(無題)

テレサ · 2020-07-10 12:18:16 UTC+9 · 投稿 #1132

『犬の帝国と猫の共和国』は、子ども向け小説のタイトルのようで可愛いですね。
可愛らしさは全くありませんが「アメリカにNOと言える国」の方は、竹下先生の著書を普段は手に取らないような方が、興味を惹かれるタイトルなのでは~と思いました。本についてた帯には、「日本は、今こそフランスを見よ?」と本のタイトルよりも大きい字で書かれてあり、さらに「日本が生き延びるための第三の道を探る」とワンちゃんとネコちゃんという雰囲気とはかけ離れた激しい言葉で書かれていました。2006年初版の本ですが、日本に対して、まだ間に合うぞ!と思いたいです。


私は決して動物好きではありませんが、唯一、関わった犬が一匹だけいます。知人から頼まれ飼うことになり、その後マンションに引越したため飼えなくなり、押し付ける形で実家に世話を頼み、やはり14年ぐらい生きてその犬は、そこで亡くなりました。私の実家は、もともと動物を飼うような家ではありませんでした。でも父がその犬を最後まで世話をしてくれました。まさに父とその犬は“一対一の関係性”でした。家族みんな動物を飼うことに慣れていないので、老衰で亡くなる間近の様子を思い出すと、もっとこんなことしてあげればよかったとか、今でも思います。そして、その犬が亡くなってしばらくすると、私が小学生の時からあった毎年実をつけていた栗の木をはじめ庭にあった数本の木が枯れてしまいました。狛犬のように家を守ってくれていたのかと不思議な感じがしました。たとえ動物でもご縁があって出合うのだと思っています。

“バロック音楽の本(音楽之友社)、『聖女の条件』(中公)に続く、ユニヴァーサリズム擁護の三部作”という貴重な言葉をありがとうございます。
参考にさせていただき、先生の著書を読み進めたいと思います。


テレサさま

Sekko · 2020-07-07 19:02:44 UTC+9 · 投稿 #1131

ご愛読ありがとうございます。

『アメリカにNO…』は私のつけたのは『犬の帝国と猫の共和国』というタイトルだったんですよ。
犬型のストラクチャーが必要だというのもよく分かります。でも私は相変わらず猫たちに教えられています。

犬はやはり「一対一の関係性」で、私の犬はバレエの友達にもらってきてから15年も生きてくれた犬だけ。タクシーの中で私の膝にのせていたカゴの中のあの子を忘れません。

愛するペットが、子供から大人になって年取って死んでしまうというサイクルを見るということは子供にとって、代え難い体験になるとつくづく思います。

あの本は、その前に書いたバロック音楽の本(音楽之友社)、『聖女の条件』(中公)に続く、゜ユニヴァーサリズム擁護の三部作なのです。フランスの状況はその後どんどんとネオリベ資本主義の功利主義へと突き進んでいきましたが、私の立場は変わりません。

私の伝えるメッセージを必要としてくれている人に届くといいのですが。
何を書く時も、できるだけ誠実に、嘘をつかないことを心がけているので、自分でも、いろいろ読み返してみて変な話ですが、「同志の書いた本だなあ」と思ってしまいます。

「コロナ後のミサ」については最近すごく面白いエピソードを知りました。ブログで紹介するか、『カトリック・サプリ』の連載で紹介するか迷っています。

まあ結論を言えば、ミサに行くとか行かないかをストレスの種にしないで、自分が周りの誰かに役に立てることがあれば少しでもやっていきましょう、ということにつきますが。

(無題)

テレサ · 2020-07-06 16:58:35 UTC+9 · 投稿 #1130

日本国内だけでなく、子どもにひどいことをする大人は世界中に存在していますね。

>子供のひどい虐待などの記事を読んだりすると頭の中で「この親、死ねば」というフレーズが浮かぶことに自分で驚いたことがあります。

私は20年ぐらい前に、子どもの商業的性搾取根絶を目指すNGO(https://www.ecpat.org/)の活動に日本で10年ぐらい関わった時期があります。
このNGO設立のきっかけになった国際会議がタイのチェンマイで90年代初期にあったのですが、この会議を主催した団体がプロテスタント系の団体であったこともあり、この会議の報告書の最初のページに“幼い者に悪を行う者は、石臼を付けて海に沈める”という聖書の言葉が書いてありました。この活動に関わっている間、国内外問わず、打ちのめされるぐらい本当にひどい話を聞く機会がありましたが、いつもこの言葉を心に留めて気持ちを支えていました。

私はカトリックなのですが、いつもミサの前に唱える「お告げの祈り」の言葉が好きです。「み言葉は、人となり私たちのうちに住まわれた」というフレーズがありますが、言葉は、その人のなかに住むものなのでしょうね。

先生が、フランスでのミサの状況を伝えてくださいますが、東京(私が行ってる麹町教会)では、ずっとミサは中止でしたが、6月以降、各自で7人以上100人以下のグループを作って申請すれば、ミサが受けられるようになりましたが、実際には当面のあいだ通常のミサはできないんだな~と思っています。

それでも図書館はところどころ再開し、返却や予約で借りることができるようになっているので、「さようならノストラダムス」と「アメリカにNOと言える国」を借りて読みました。「アメリカに~」はもう一度しっかり読みたいと思い、ネットで(書店では購入不可でしたので)購入し、併せて「聖者の宇宙」(中央文庫)も購入しました。(以前、青土社の方は図書館で借りて読みました)

竹下先生の著書は、コロナで時間がある間に少しでも多く読みたいと思っています。次は何を読もうかと公式サイトの「Sekkoの本」と「おたより」のページを参考にさせていただいています。
「アメリカにNOと言える国」は、「女のキリスト教史」とは切り口が違いますが、根底に流れているものはと同じものを感じました。
とにかくもう一度「アメリカにNOと言える国」をじっくり読みます!










テレサさま

Sekko · 2020-07-06 07:14:14 UTC+9 · 投稿 #1129

そうですね。あの「日本、死ね」の時も私はショックでしたが、ネット上のコメントなどで、「死ね」とか「死ねば」とか「終わってる」などの言葉のハードルが低いのは知っていたので、「目で見る」限りは、なんとなく慣れてしまって、子供のひどい虐待などの記事を読んだりすると頭の中で「この親、死ねば」というフレーズが浮かぶことに自分で驚いたことがあります。

それこそブログに書いたように、子供のころは禁句だったので今でも口にはしませんが、今の人って、いろんなゲームで「死んだ、殺された」など、と口にするのも普通みたいなので、親のコントロールも難しいでしょうね。私の母は空襲を体験した人で、目の前で死んでいく人を見たトラウマがあったので、ほんとに「死ぬ」という言葉が嫌だったんだろうと思います。

私は中学生から社会人まで、時々頼まれて日本語の個人レッスンをしているのですが、みんな、マンガで日本語を覚えるので、マンガの口語は私よりよく知っている人もいます。
でも、ネイティヴでない日本人が日本人と話すには、完全に「仲間」の関係でなければ、やはり敬語を使うのが大切だよ、と教えています。

それにしても、確かに、変な言葉でも目で見るだけでも慣れてしまうのに、テレビで大声で女の子キャラに叫ばせるなんてあんまりだと思いますが、あれも「慣れてしまう」んでしょうね。

どうせなら、バランスをとるために、「ぼーっと生きててもいいんだよ」って言葉も耳にしたいですね。

ともかく、子供たちに接する親世代、祖父母世代が、意識してきれいな言葉、思いやりの伝わる言葉を使い続けることが大切だと思います。

私は今も親に感謝していますから。

7月5日ブログについて

テレサ · 2020-07-05 15:40:29 UTC+9 · 投稿 #1128

お久しぶりでです。2回目の投稿になります
5月、初めての投稿に、先生から丁寧な返答を頂き、大変嬉しく思っていました。

さて今回は、7月5日のブログに書かれていた内容、大変共感しました。
日本語に対する日本人の感性がおかしくなってる事、私も日々感じます。
以前国会で取り上げられた、ある母親からのツイートが話題になりました。保育園不足で自分の子どもが入園できない事に怒った発言で「日本、死ね」と言うものでした。この掲示板をご覧になってる方々も、記憶にあるかと思います。

私がまずビックリしたのは、「死ね」と言う言葉を、母親という子どもを育てる立場にある大人が、しかもオフィシャルな場で、使用していたことでした。さらにそれを取り上げたのが女性議員で、議論の方向は、保育園不足に関することで、誰もこの母親の言葉の表現について指摘しない。

私は、幼い子どもを持つ母親が、このような言葉遣いをしてる事がショックでした。
また、怒りの言葉だから当然のことのような取り上げ方をしたのが女性議員であったことも、ショックでした。政府を批判する事ばかで、“日本の将来を担う子どもを育ててる親がこのような言葉遣いである事は我が国の将来的に問題だ”と、一言ぐらい言ったらと思ってしまいました。
親が、もっと子どもとゆっくり向き合える家庭環境を目指すべきぐらい言ってもよかったのではと、国会そのものに対しても失望しました。
今幼稚園児の姉妹を育ててる私の娘も、「チコちゃん」はみせたくないと言ってましたが、せめて語尾を、「じゃねーよー」ではなく、「ないよ~」ぐらいにとか思うのですが、そもそも抵抗を感じない人から、どう違うのかという質問が返ってきそうです。我が家では、語尾を後者に言い換えて言ってます。

いつも竹下先生のブログは、専門的なことから些細な事まで、勉強にもなり面白いので読ませていただいてますが、今回のご指摘は、学校であれ家庭であれ教育の現場はもちろんですが、子ども達にとって、とても大切な事だと思い、共感の思いを投稿させて頂きました。

マスク舞踏会

岡村久 · 2020-06-20 23:28:58 UTC+9 · 投稿 #1127

なるほど。昔、会社の編集の手引という小冊子に、人は目を隠すと誰だか分からないという説明があって、顔写真の目のところが黒線で隠されていたので、確かに目を隠すと誰だか分からないと納得しましたね。フランス人は目ではなくで口と鼻を隠すと誰だか分からなくなってしまうのかと思ってしまったので。

日本では新しい生活様式という名のもとに人間らしい暮らしが否定されているのに、ほとんどの人はそのことに不満を表明していないようなのです。それをおかしいと思う人はほとんどいないみたいです。それ、変と思っているのは私と私の同志、その関係者のごく少数だけみたいですね。

今日も午後に新宿駅に行きましたが、マスク一色です。不気味ですよ。仮面舞踏会に一人だけ仮面なしで乗り込んでいったような。

中国のマスク

Sekko · 2020-06-20 06:21:49 UTC+9 · 投稿 #1126

それは、今の生徒や生徒の親なら分かってしまいます。
でも、私は町の中心部に住んでいるので、久しぶりにすれ違う人もたまにいるのです。
こちらはとっさに相手の名前が分からなくて焦ることもあるので。

で、マスクをしていると、私の方が、人の顔を見ないように、会っても気づかないふりができるので楽だということです。にっこり微笑み合う必要もないし。

なるほど、日本はやっぱり武漢のニュースが深刻だったのですね。フランスではそうはいっても、遠い国の話という感じでした。まさかお隣のイタリアに上陸するとは思ってもみませんでした。

で、今は北京の「第二派」の映像でやはり全員マスクの様子ばかり映されていますが、暑さとかはどうなんでしょうね。もともと大気汚染がすごかったところだから、マスクをつけなれているのかしら。

今週からレストランが解禁になったので、今夜3ヶ月ぶりに練習の後で近くのレストランに仲間と出かけました。客は私達だけで後はすべてテイクアウトやデリバリーの注文でした。

日本ではレストランでも向かい合わないであまり話をせずに食べるのに集中して、なんて言われているようですね。フランスのレストランではさすがにそんなこと言ったらアイデンティティの崩壊です。向かい合って2h30おしゃべりしまくりました。4月の日本公演に行くはずだった仲間との3ヶ月ぶりの練習と食事でした。もちろん往復もマスクなしでしたよ。

フランスのマスク

岡村久 · 2020-06-19 22:56:31 UTC+9 · 投稿 #1125

昔の生徒さんや生徒の親御さんと出会っても、マスクされてると認識できないから、挨拶しなくて済むということなのでしょうか。今日はスーパーで家内のママ友を見かけ、帰宅途中に斜め上にお住いの若い奥さんとすれ違ったけど、誰だか直ぐに分かりましたよ。挨拶したし。お二人ともマスクしてましたけど。

新コロは感染したその日に発症し、重篤化し、亡くなることはないでしょうが、熱中症はその日のうちに亡くなることがあるので、新コロよりも怖い病気です。暑いと思ったらマスクを外す。政府が何と言おうと、自主的にそうしていかないと。

武漢の1月の映像を見ていて、2ヵ月後の日本もこうなると身構えていましたが、そんなことはなかったですね。歩いている人が突然倒れて亡くなってしまう映像とか、あれは本当にあったことなのかどうか、今となっては疑問です。



日本のマスク

Sekko · 2020-06-19 02:39:16 UTC+9 · 投稿 #1124

そうですね。日本のマスク同調圧力って、もうこれからの季節は熱中症のリスクの方が高くなりますね。でも、新型コロナに関わらず、何らかの感染症がある人が咳やくしゃみをすると飛沫感染のリスクはあるのですから、気持ちはなんとなくわかります。
私も、人がたくさんいるところでは「私以外のすべての人がマスクをしててほしい」って内心思ってしまうことがあるので…。

その一方、今はフランスでも堂々とマスクを着けて外出できるので、どこかにも書きましたが、匿名性が高くなって、近所で昔の生徒や生徒の親とかに出会っていちいちあいさつしなくても済む、なんていう利点も感じてしまいます。

だから、つい近所を歩くときはマスクをしますが、そしてメトロなどでは今のところ「義務」ですが、他の場所では、みんな適当な感じです。

今は北京での「第二派」がフランスでも話題ですが、北京の人口の三倍しかないフランス全土の今の「アンダーコントロール」での感染者数と比べると、比率で言うと今でもフランスは北京の倍以上の新規感染者が出ていますし、もう「中国発の恐怖煽り映像」には影響されたくない、という感じです。新規感染者ゼロじゃないとだめなんて思わせるのはそもそもどこかおかしいんじゃないかって感じです。

特に子供たちへのマスク着用圧力は問題ですね。

私はもうだいぶ前にこのブログを読んでなるほどだと思いました。

http://natrom.hatenablog.com/entry/2020/03/27/111040

子供がいなくて、また小学校の教師とかでなくてよかった、とつくづく思います。

日本の「鎖国」ぶりもいつまで続くのか気になります。
でも、こうやって、マスクなしでネットでやり取りもできる時代ですから、まずは「様子見」しかありません。

ストレスが免疫力を落とすのは確かみたいですから、リラックスしていきましょう。




(無題)

岡村久 · 2020-06-18 22:31:42 UTC+9 · 投稿 #1123

パソコンって勝手にいろいろなことをしてくれるので、困ることあります。付き合っていくしかありません。読んでいて、おかしいと思ったことがあれば連絡します。もうすぐ68歳になる暇人年金生活者ですから、時間はたっぷりあるので7。

日本はマスク、マスクですが、私はマスクはせずに日々の買い物に出かけています。ウィルスはとても小さくて、マスクの網目を軽々と通り抜けるから、マスクしても感染防止にはならないと思っているので。マスク警察が来た時のために、「マスクでウィルスは防げない」という写真L版の資料を自作し、スーパーの人や近所の人に配っています。そのことは知っているけど、他人の視線が恐くて夜に犬の散歩に行く時もマスクをしているという同年代の女性もいます。マスクしないという同年代の女性もいます。その方のご主人は通勤電車でもマスクをしないので、周りから白眼視されるけど、それが快感だとか。

岡村久さま

Sekko · 2020-06-18 20:08:46 UTC+9 · 投稿 #1122

ご指摘ありがとうございます。

さっそく直しました。

編集のミスというより、一時期から、書いていてどこかに何かを挿入したりすると突然大量のコピーが勝手に起きたりするようになりました。気がつくと消しますが、エラーのロジックが分からず、何がどうコピーされたのかをチェックするのに時間がかかることも。

メールでもこういうことがあり、他の方からいただくメールでもたまにあるので、どういうメカニズムか分かりません。漢字の変換も、ちゃんと変換したはずなのに別の漢字どころか関係のない語句になっていたりして、そのスピードがどんどん速くなり、昔より面倒になりました。

すべて予約投稿なので、アップされる前に一度読み直せばいいと思うのですが、時間がなくて放置していました。

実はこういうミスはあちこちにあるのではないかと思います。
すごく読みにくくなるので、すぐにご指摘いただけて助かりました。

今後こういうことのないように、ちゃんと読み返します、と言いたいところですが、書下ろしを進めたいのでブログのチェックは無理かもしれません。

凡ミス以外でも何かお気づきのことがあればコメントいただければ嬉しいです。

凡ミス

岡村久 · 2020-06-18 18:46:24 UTC+9 · 投稿 #1121

シャルル・ド・フーコーの「奇跡」、編集ミスで消し忘れ箇所があります。修正してください。最近、また見始めました。

竹下節子様

キネマ旬報社 青木眞弥 · 2020-05-18 18:07:52 UTC+9 · 投稿 #1120

竹下節子様
初めてご連絡差し上げます。私は映画雑誌『キネマ旬報』などを発行している出版社、キネマ旬報社の青木と申します。
こちらのフォームからしかご連絡の手段が分からず、趣旨違いの投稿で申し訳ございません。
実は竹下様に、ある映画をめぐっての原稿をお願いいたしたくご連絡さしあげた次第です。
詳細についてご連絡できればと思っておりますので、よろしければ下記にメール頂けませんでしょうか。
aoki(アットマーク)kinejun.com
趣旨違いの投稿を重ねてお詫びいたします。

M さま

Sekko · 2020-05-07 19:56:12 UTC+9 · 投稿 #1119

Mさま

メールでここへの書き込み通知をいただき拝読しましたが、その後ご自分で削除なさったようでもう表示されていませんでした。

でもお返事したくて書きます。

「審判夢」悩まされているとのこと、「罪と不作為、多くのひとを傷つけた咎で、人生行路が隘路になると生前私審判」を感じてお悩みのようですが、すでにカウンセラーの方などにご相談なさっていますか?

その夢の中の糾弾者に対して、起きている時にじっくり反論を考えてスタンバイしてみてはどうかなあと思います。その時は、真摯な反省のスタンスでなくて、「有罪」であろうとなかろうと、徹底的に自分を弁護正当化するスタイルでやります。
「あの人のせい、あのことのせい」と、自分以外に「責任転嫁」しまくるのも一時的ではありますが精神衛生によく、リスタートにつながるかもしれません。

どちらにしても、こうした夢を見るのも、それに苦しむことも、これまでMさんが誠実に生きていらっしゃったことの一部であり証です。私も存じ上げているMさんのお仕事に触発された人、Mさんによって機会を与えてもらった人たち(私も含めて)も、(たとえ潜在的だったとしても)Mさんに感謝しています。
その「気づき」の連鎖はそれこそ伝播再生産されて広がっています。

もし、発想の転換や自己弁護、自己正当化がうまく行かなかったら別の考え方もあります。

「人生行路が隘路になる」とおっしゃっていますが、「地獄への道は善意で敷き詰められている」って言葉もありますよね。

今の状態は、夢の中の糾弾者の「悪意」で道が敷き詰められているようなもので、それでも進んでいけば天国につながっているかもしれません。

大切なものは得てして狭き道、狭き門の向こうにしか見えてこないとは、苦労してきた多くの人が言っています。

道幅は関係なく、向こうに光が見えていて、その見えるところが善いものであることは、これまでにMさんがたどってきた道で多くの方に「善いもの」をくださったのだから確かです。

あらためて、ありがとうございました。

テレサさま

Sekko · 2020-05-05 01:29:33 UTC+9 · 投稿 #1118

まず、ありがとうございます。

この4月に日本に行く予定もキャンセルとなり、外出規制のフランスで、日本が何か遠いもののように思われ、心もとない状態にあるところに、このようなコメントをいただいて感激です。しかも、昨年の最新刊と四半世紀も前の『聖女伝』の両方を読んでいただけたなど著者冥利に尽きます。

思わず私も、『聖女伝』のマダム・Rを読み返して、確かに、今の感染症パニックの中で気づきをもらえるような気がしました。今日の私のブログ
https://spinou.exblog.jp/31140113/
でコロナとフランス・カトリックについて少し書いていますが、あらためて病気や死とのぎりぎりの向き合いにおいては政治や経済原理はもちろん医学ですら拠り所にならないと痛感します。

『「女」のキリスト教史』は、アングロサクソン的フェミニズムが主流である日本ではまだまだちゃんと伝わらない、と言われたのですが、テレサさまにど真ん中で受け止めていただけたので、それだけでもこれを書いた甲斐があったと嬉しく思います。


>>マリアのエリザベト訪問について、天使ガブリエルの情報が正しかったのかを確かめに行ったという文章の表現に、「そういうことだったんだ~」と聖母マリアの新な一面を見た思いでした。<<

ほんとにそうですよね。確認できる部分は確認して納得し、その上で、避けられないものは受け入れる、というのが大切だと思います。

>>さらには、この本の中で書かれている感性が、日本の女性をとりまく労働環境にも反映されたら、もっと女性たちは生きやすくなるのではとも思いました。<<

これもつくづくそう思います。ネットを通して、日本の女性の暮らしを取り巻く情報が広く読めるようになって以来、実は正直言ってあまりのひどさにショックを受けることがあります。でも、巷にあるような「おフランスでは全然違います」というタイプの言説と受け取られるのが嫌なので封印しています。これからの世代には男女とも「フェミニズム」を超えた別のステージで生きてほしいですね。テレサさんのようなおかあさまが次代の子供を育てていらしたことに希望をもらえる思いです。

今は「キリスト教と感染症」というテーマで準備中です。考えてみたら、「フクシマ」の事故の後でさえすべての人が共有できなかった危機意識を、やはり目には見えない「ウィルス」が地球規模で明確化してくれたという稀有な体験を私たちは分かち合っているわけです。

ウィルス自体はただ自己複製に向かっているだけなのに、原爆や原発事故も伝染病も、被爆者や感染者という「生身の人間」を、悪や不幸の表象のように厭う部外者の防衛反応をどう制御していけるのかが課題だとあらためて思います。

テレサさまのおかげで「やる気」をいただけました。

もう一度、ありがとうございます。


「女のキリスト教史」読みました!

テレサ · 2020-05-04 17:00:56 UTC+9 · 投稿 #1117

竹下先生

初めて書かせていただきます。
昨年、たまたま立ち寄った本屋さんで、この本と出合いました。大変申し訳ありませんが、それまで先生の事を存じ上げませんでした。

私にとって何年かぶりに衝撃的な本に出合ったという感じでした。
読み終えて感じたのは、「爽快感」でした。たとえるなら、“セクハラ”という言葉が出来て、長年女性たちが感じていた悶々とした気持ちをはっきりと表現できるようになった感じに似ています。

なぜならこれまでフェミニズムとか女性解放運動とかに女性である私は、女性の立場で違和感を持っていのですが、自分でもそれが何故なのかわからなかったからです。この本の中で書かれている内容はもちろんですが先生の文章の表現が的確で、いままで自分の中で上手く説明できず、言い表せなかった気持ちを言い当ててくれてて、読みながら、「そうなのよ~、そういうことよ~」と言いながら読んでる感じでした。
特に私のお気に入りの文章は、修道女について「彼女らを導いたのは、男たちへの対抗意識でも、自分たちの能力への承認欲求でもなく聖霊だった」とか、ピザンについての言葉で「男に優越したいフェミニストではなかった」とかです。(他にもありますが割愛します)
また、マリアのエリザベト訪問について、天使ガブリエルの情報が正しかったのかを確かめに行ったという文章の表現に、「そういうことだったんだ~」と聖母マリアの新な一面を見た思いでした。
さらには、この本の中で書かれている感性が、日本の女性をとりまく労働環境にも反映されたら、もっと女性たちは生きやすくなるのではとも思いました。

さてこの本から始まり、先生の著書を何冊か読ませていただきました。その中でも「聖女伝」は、子育てと家事に追われる家庭生活をベースに過ごしてきた私にとっては、大きな支えとなりました。またこの本のあとがきのなかにある、手紙をくださった方々への“聖女からの返事として書いた”という文章は、一方通行ではない先生の執筆活動への思いを感じ先生へメッセージを送りたいと思いました。

さらに今のコロナの現状の中でこの本を読むと、マダム.Rの箇所で医療について書かれている言葉は、色々考えさせられます。この世界的な現状の分析・解決ではなく、この出来事の意味を私たちは、ちゃんと考える必要に迫られているということでしょうか。自粛が正しいかどうかは別として、コロナで亡くなった場合、葬儀をすることもできずに埋葬しなければならないということを考えると、私は、「尊厳死」について語れる立場ではありませんが、感染は避けるべきと願っています。結果的には自粛生活で、何度も先生の本を読み返しています。本当に有意義な時間を過ごせています。

おしゃべりのつもりで、たらたらと書かせていただきました。乱文で申し訳ありません。
皆様どうぞご自愛ください。
先生のヒルデガルドの論考、楽しみにしています。