(無題)
日本国内だけでなく、子どもにひどいことをする大人は世界中に存在していますね。
>子供のひどい虐待などの記事を読んだりすると頭の中で「この親、死ねば」というフレーズが浮かぶことに自分で驚いたことがあります。
私は20年ぐらい前に、子どもの商業的性搾取根絶を目指すNGO(https://www.ecpat.org/)の活動に日本で10年ぐらい関わった時期があります。
このNGO設立のきっかけになった国際会議がタイのチェンマイで90年代初期にあったのですが、この会議を主催した団体がプロテスタント系の団体であったこともあり、この会議の報告書の最初のページに“幼い者に悪を行う者は、石臼を付けて海に沈める”という聖書の言葉が書いてありました。この活動に関わっている間、国内外問わず、打ちのめされるぐらい本当にひどい話を聞く機会がありましたが、いつもこの言葉を心に留めて気持ちを支えていました。
私はカトリックなのですが、いつもミサの前に唱える「お告げの祈り」の言葉が好きです。「み言葉は、人となり私たちのうちに住まわれた」というフレーズがありますが、言葉は、その人のなかに住むものなのでしょうね。
先生が、フランスでのミサの状況を伝えてくださいますが、東京(私が行ってる麹町教会)では、ずっとミサは中止でしたが、6月以降、各自で7人以上100人以下のグループを作って申請すれば、ミサが受けられるようになりましたが、実際には当面のあいだ通常のミサはできないんだな~と思っています。
それでも図書館はところどころ再開し、返却や予約で借りることができるようになっているので、「さようならノストラダムス」と「アメリカにNOと言える国」を借りて読みました。「アメリカに~」はもう一度しっかり読みたいと思い、ネットで(書店では購入不可でしたので)購入し、併せて「聖者の宇宙」(中央文庫)も購入しました。(以前、青土社の方は図書館で借りて読みました)
竹下先生の著書は、コロナで時間がある間に少しでも多く読みたいと思っています。次は何を読もうかと公式サイトの「Sekkoの本」と「おたより」のページを参考にさせていただいています。
「アメリカにNOと言える国」は、「女のキリスト教史」とは切り口が違いますが、根底に流れているものはと同じものを感じました。
とにかくもう一度「アメリカにNOと言える国」をじっくり読みます!
>子供のひどい虐待などの記事を読んだりすると頭の中で「この親、死ねば」というフレーズが浮かぶことに自分で驚いたことがあります。
私は20年ぐらい前に、子どもの商業的性搾取根絶を目指すNGO(https://www.ecpat.org/)の活動に日本で10年ぐらい関わった時期があります。
このNGO設立のきっかけになった国際会議がタイのチェンマイで90年代初期にあったのですが、この会議を主催した団体がプロテスタント系の団体であったこともあり、この会議の報告書の最初のページに“幼い者に悪を行う者は、石臼を付けて海に沈める”という聖書の言葉が書いてありました。この活動に関わっている間、国内外問わず、打ちのめされるぐらい本当にひどい話を聞く機会がありましたが、いつもこの言葉を心に留めて気持ちを支えていました。
私はカトリックなのですが、いつもミサの前に唱える「お告げの祈り」の言葉が好きです。「み言葉は、人となり私たちのうちに住まわれた」というフレーズがありますが、言葉は、その人のなかに住むものなのでしょうね。
先生が、フランスでのミサの状況を伝えてくださいますが、東京(私が行ってる麹町教会)では、ずっとミサは中止でしたが、6月以降、各自で7人以上100人以下のグループを作って申請すれば、ミサが受けられるようになりましたが、実際には当面のあいだ通常のミサはできないんだな~と思っています。
それでも図書館はところどころ再開し、返却や予約で借りることができるようになっているので、「さようならノストラダムス」と「アメリカにNOと言える国」を借りて読みました。「アメリカに~」はもう一度しっかり読みたいと思い、ネットで(書店では購入不可でしたので)購入し、併せて「聖者の宇宙」(中央文庫)も購入しました。(以前、青土社の方は図書館で借りて読みました)
竹下先生の著書は、コロナで時間がある間に少しでも多く読みたいと思っています。次は何を読もうかと公式サイトの「Sekkoの本」と「おたより」のページを参考にさせていただいています。
「アメリカにNOと言える国」は、「女のキリスト教史」とは切り口が違いますが、根底に流れているものはと同じものを感じました。
とにかくもう一度「アメリカにNOと言える国」をじっくり読みます!