佐藤さま

佐藤さま

Sekko · 2021-03-03 03:06:27 UTC+9 · 投稿 #1171

ご愛読ありがとうございます。

そうですね。いわゆる「西洋音楽」って、キリスト教文化と切っても切り離せないものがありますね。典礼音楽などが、霊的文脈や共同体の文脈から離れても、普遍性を持ちうるのかというのは演奏者にとっても永遠の課題です。

「葦の棒」を「王笏」としてイエスに持たせた、というのは、その通りなんですが、新約聖書の時代に後の「王笏」というものが想定されていたかどうかは分かりません。西洋絵画ではダビデがソロモンに王笏を渡すシーンとか、天に上ったイエスが王笏を持っているというのがありますが、元はただの長い棒で、それに、金箔、装飾、紋章などがついて比較的短いものになったのは10世紀以降という感じのようです。

「権威」を示す「棒」そのものは、羊飼いが羊を従わせるために持っていたものから来たようなので、セプターという言葉抜きで「葦の棒」を手に持たせた、ということ自体は間違いではないと思います。フランス語の聖書でこのシーンに「王笏として」と入ったものは私は見たことがありません。

その葦の棒が節のある長いものだったと、種類を特定する研究はあります。

詩編(110編 2節)にも

あなたの力強い杖を主はシオンから伸ばされる。/「敵のただ中で支配せよ。」

とあるので、ともかく「天から」もらうレガリアだという感覚はずっとあったのでしょうね。

モーセの杖、アロンの杖などはレガリアというより「奇跡をおこなうツール」で、「魔法使いの杖」の系譜に繋がったのでしょう。

佐藤さまのおかげで、なんだか、「杖」の比較文化論を書きたくなってきました。
ありがとうございました。