エビデンス

エビデンス

Sekko · 2007-09-27 17:48:13 UTC+9 · 投稿 #411

Ppickyさま いつもお世話になってます。

ほんとにエビデンスってなんでしょうね。

治験による一定の基準がないと何も提供できなくなるので数値に基づいたエビデンスが必要なのは分かりますけれど。
例えば90%効くと言われても、自分が残りの10%だったら、ゼロってことだし、自分の病気が「90%治る」とか、「90%生きて10%死ぬ」って状態なんてないんだし。みんな自分の信仰、マイ・エビデンスを信じていくしかないのでしょうか。

でも、きっと、生きるには、エビデンスに拠る期待を捨てるべきかもしれません。何につけ自分の信じていることに「確たる根拠がある」と思った瞬間から、それは思い込みとなり、リアリティがもう見えなくなったり、見えたときは裏切られたという感覚や挫折の感覚につぶされそうです。

これという根拠のないユルイ希望の種火を絶やさないようにしながら、いろんな「相対的エビデンス」の声を聞く、というのが大事ではないでしょうか。
それは現代における、いわゆる「宗教間対話」の必要性と同じです。

エビデンスに拠っている人はすでに「答え」が出ているのですから、対話とは相手を説得することの別名になってたりします。

対話とは、異なるエビデンスに拠っている人が同じ場所で互いに聞くという同じ体験を経ながら、共通のプロセスを構築するという経過自体に意味があるんで、「答え」が分かっている予定調和的なのは対話の意味を成さないと思います。

模索自体が多分人生なんで、ただ、不毛な相対主義に陥らないようにしなくては、と思います。たとえ正解はない、あるいは正解は一つでない、としたって、あきらかに「間違っている答え」というのはあると思うんですよ。対話の中でそれが明らかになっていけば大成功です。

あきらかな間違いを取り除いていく、易しいようでこれも難しいことです。私たちは誰でも小さなテロリズム、小さな絶対主義、小さな覇権主義の誘惑にいつもさらされているんですから。