Dialogues des Carmelites
Dialogues des Carmelites は、好きですよ。オペラでも見ましたし、映画でも見ましたし、ベルナノスの原作も読みました。そう、私にとっては、あれはベルナノスの作品で、彼がインスパイアされたという von Le Fort のものは読んでません。
このサイトのアート評論のところで、「モンテルラン・シリーズ その2 『ポール・ロワイヤル』」というところに、この、修道女たちの迫害というテーマについてちょっと書いてます。
大きな時代の変動があって、それまでの自分の立場をラディカルに変更するように、転向するようにと、要求されるという境遇に私は出会ったことがありません。また、本当の意味では、自分が日頃原則としている価値観についてぎりぎりの場で試されるという立場に陥ったこともありません。また、一つの規則や服従を誓わされるようなコミュニティに全面的に関わった経験もありません。
だから、自分の信念と生命を測りにかけるといったような危機的状況にもあわなかったので、自分がどのようにピュアなのか、あるいはプラグマチックなのか、卑怯なのか、偽善的なのか、ということは本当のところはわからないのですが、何か稿極限状況における「裏切り」みたいなものへの本能的恐れとその先取りの自己嫌悪は意識していました。もちろん、自分の状況にもよるでしょうし、義務や責任の問題もあるでしょう。歳をとると市民的家庭的責任は減ってくるので、ちゃんと原則に殉じたいという心構えはないでもないのですが・・・
それにしても、文学表現によるメッセージというものの力の偉大さには感動す
るので、先人のいろいろな作品はありがたいですね。私も昔は独語専攻だったので、ゲーテとか読まされましたが、今はついフランス語訳で読んでしまいます。でも、日本語訳で読んでたときのいまいち国政不明だった「カタカナ世界」よりは、今は帰って、フランス語訳によって、ドイツっぽさや英語っぽさが際立ってくる時とかあるのでおもしろいです。Hugoも好きですよ。
このサイトのアート評論のところで、「モンテルラン・シリーズ その2 『ポール・ロワイヤル』」というところに、この、修道女たちの迫害というテーマについてちょっと書いてます。
大きな時代の変動があって、それまでの自分の立場をラディカルに変更するように、転向するようにと、要求されるという境遇に私は出会ったことがありません。また、本当の意味では、自分が日頃原則としている価値観についてぎりぎりの場で試されるという立場に陥ったこともありません。また、一つの規則や服従を誓わされるようなコミュニティに全面的に関わった経験もありません。
だから、自分の信念と生命を測りにかけるといったような危機的状況にもあわなかったので、自分がどのようにピュアなのか、あるいはプラグマチックなのか、卑怯なのか、偽善的なのか、ということは本当のところはわからないのですが、何か稿極限状況における「裏切り」みたいなものへの本能的恐れとその先取りの自己嫌悪は意識していました。もちろん、自分の状況にもよるでしょうし、義務や責任の問題もあるでしょう。歳をとると市民的家庭的責任は減ってくるので、ちゃんと原則に殉じたいという心構えはないでもないのですが・・・
それにしても、文学表現によるメッセージというものの力の偉大さには感動す
るので、先人のいろいろな作品はありがたいですね。私も昔は独語専攻だったので、ゲーテとか読まされましたが、今はついフランス語訳で読んでしまいます。でも、日本語訳で読んでたときのいまいち国政不明だった「カタカナ世界」よりは、今は帰って、フランス語訳によって、ドイツっぽさや英語っぽさが際立ってくる時とかあるのでおもしろいです。Hugoも好きですよ。