内村語録、いいですね。
リンクを見て、内村語録を少し読んでみました。いいですね。日中や日韓の関係などについても、今読んでも全く的確な指摘があります。
人々を結びつけるはずのキリスト教会がかえって人々を分離させてきたことの批判から無教会主義に向かったのは、彼の時代において誠実な選択だったと思います。
でも、『自由人イエス』のデュコック師の語りを聞く限り、カトリック教会はかなり本来の「普遍性」を取り戻してきたなあ、と思います。ある点では、内村鑑三よりのキリスト教ももっと開かれたところもある気がします。
でも、
人はいかにして人を解し得るか。彼と目的を共にして、彼を解することができ
る。彼の遺伝を知るを要せず、彼の国民性、彼の人種的傾向、その他、彼にかか
わる種々雑多の問題を究むるを要せず、彼の到達せんと欲する最後の目的の何た
るかを知りて、彼を解することができるのである。人生の目的に一致して、人は
すべて兄弟姉妹となるのである。(内村語録より引用)
というのはほんとうですよね。ただその目的に、信仰の目的だとかイエスの再臨だとかの言葉を入れられて「神」という言葉を連発されたら、やはり特殊な外来宗教という印象を持つ人も多かっただろうなあとも思います。
何をどういう風にいうかは永遠の難問です。
人々を結びつけるはずのキリスト教会がかえって人々を分離させてきたことの批判から無教会主義に向かったのは、彼の時代において誠実な選択だったと思います。
でも、『自由人イエス』のデュコック師の語りを聞く限り、カトリック教会はかなり本来の「普遍性」を取り戻してきたなあ、と思います。ある点では、内村鑑三よりのキリスト教ももっと開かれたところもある気がします。
でも、
人はいかにして人を解し得るか。彼と目的を共にして、彼を解することができ
る。彼の遺伝を知るを要せず、彼の国民性、彼の人種的傾向、その他、彼にかか
わる種々雑多の問題を究むるを要せず、彼の到達せんと欲する最後の目的の何た
るかを知りて、彼を解することができるのである。人生の目的に一致して、人は
すべて兄弟姉妹となるのである。(内村語録より引用)
というのはほんとうですよね。ただその目的に、信仰の目的だとかイエスの再臨だとかの言葉を入れられて「神」という言葉を連発されたら、やはり特殊な外来宗教という印象を持つ人も多かっただろうなあとも思います。
何をどういう風にいうかは永遠の難問です。