sekko · 2013-08-04 18:11:46 UTC+9 · 投稿 #780
福音書のこの箇所についての私の考え方は数年前『カトリック生活』で書きました。その後、ドン・ボスコ新書の『カトリック・サプリ』のp106-113『マリアかマルタか』に再録されていますのでお読みください。
ともちゃんさまがこの話を「現代の「教会」に向けてのイエズスの叱正」とおとりになられたのは理解できます。
>価値なしのシンボルはむなしい、でもシンボルなしに価値は保てるか?の底なし沼に少し前まではまっていました。
というともちゃんさまの問題意識の中で得られた解釈だと思います。
価値は何らかのシンボルを通じて伝えられるものだと思いますが、その後で「形」が独り歩きしてしまうことの問題ですね。
残った「形」や「シンボル」はそれなりに美的感興をそそったりルーティーン化した安心感を与えてくれたりということはあると思います。それが本来担っていた価値をそこからもう一度汲みとれるかどうかはまた別の問題ですが、形骸化した「シンボル」を捨ててしまっては、その源泉にあった価値に遡る道も一つ失われるわけですから、少なくとも手がかりとして残す意味はあると思います。そのシンボルの中で価値を絶えず再生している人たちもいるかもしれません。
教会の典礼などが単に仲間うちのコードになってしまっている場合はそれをどのような形で刷新するか、あるいは、外に向かっても価値観を伝えていく推進力に変換していくかは、とりあえずは、一人一人の生き方にあるのだと思います。その意味でも、ともちゃんさんの問いは大切なものだと思います。
ともちゃん · 2013-08-04 08:33:33 UTC+9 · 投稿 #779
ご本やこのサイトなど、どこかで既に書かれていたら申し訳ありません。
イエズスがお客に行ったときに、もてなしで忙しくしていたマルタが、マリアにも手伝うよう口添えしてくれと言って、イエズスにたしなめられた件です。
これは現代の「教会」に向けてのイエズスの叱正ととるべきだと私は思いますが、どうでしょうか? 教会の外からみれば(ですよね?)、好きにすれば、かも知れませんが。
マルタ的働きはパンを作ること。教会は「マリア」なので、パンを作る必要はない。上手な聖書朗読、上手な教会音楽、滞りなく進行するミサ、財政だの何だのの効率的な運営、そういう「パン作り」に属する内容は現代では教会の外に幾らでも代わりが見つかる。教会でパン作り以外のものを見つけられないなら、行く価値はない。
では、どうするのか? 価値なしのシンボルはむなしい、でもシンボルなしに価値は保てるか?の底なし沼に少し前まではまっていました。
竹下さまは、マルタとマリアの箇所をどう読まれますか?
jpakayuki · 2013-07-16 16:36:01 UTC+9 · 投稿 #778
今日は
20歳の学生時代1964年中公新書「正統と異端」発行と同時に、はやりで読んだ?のですが、何のこっちゃいって感じでした。ところが今回の文庫本化で再読? 面白いの何のって。古典的名著とはこういうものなのですね。
sekko · 2013-07-14 22:39:13 UTC+9 · 投稿 #777
強いマリアのイメージ、賛同していただいてうれしいです。
私のイメージではナザレ村の広場の井戸で水を組むのはヨセフさんかな。マリアが本を読んでいる間にせっせと水を汲んだり料理したり。
私はなんとなくこういうマリアと自分を重ねて想像します。
私も、もし突然天使が現れて身に覚えがないのに「受胎告知」なぞされたら、エリザベツのことも確認したいし、ほんとに妊娠したりヨセフのところにも夢のお告げがあったりしたのなら、興味津々で、今ならブログとか、昔なら日記とかに出産にまつわることとか奇跡の一人息子の育児日記を詳細に記録しておくでしょう。
なんだか分からないけれど特別な出来事に巻き込まれたわけですから、自分の人生と息子の人生にどういう意味があるのかをじっくりと考えたいと思います。
それが、マリアがすべてを自分の心に留めおいたということではないでしょうか。
そして「マリアによる福音書」を書き残します。
マリアは書き残さなかったけれど、二千年経ってもあちこちにご出現して現役で救いの業に参加しているのですからもっとすごいですが。
マリアというと一方的に受胎を告知されて従順に「み心のまま」に、と答えたイメージがあり、一人息子を残酷に殺された悲劇の母のイメージもありますが、世界史を変えるような不思議な運命の主要キャラになったのですから、刺激的だなあと思います。
野のアザミ · 2013-07-13 13:07:10 UTC+9 · 投稿 #776
「カトリック生活・8月号」の記事は私の脳と心にビンビン来ました。
私のマリア像は、ナザレ村の広場の井戸で水をくむ、知性と機知に富む逞しい母です。
お話に出てくる、ヴェールをかぶらず、聖書を手に持つ聖母像を見てみたいものです。(63歳・主婦)
織辺桂子 · 2013-06-26 21:16:11 UTC+9 · 投稿 #775
そうですそうです、歴史書だと、時系列とかテーマの縛りがあることがほとんどで、このような書き方にこれまで出会わなかったのはなぜだろう?と思ったくらいです。(かつ、知らない情報についても背景がわかりやすく書かれており、大変親切に感じました)
対になったご本も含め、挑戦してみます!歴史を歴史そのもののためにでなく、現代でどう生かすかの視点がおありなのも、ご本に非常に柔軟性を感じる理由かと合点がいきました。(御著書にスピリチュアル関連がおありなのも、本当に柔軟でらっしゃるのだ!と感激。スピ興味ありありです)
まだジャンヌ・ダルクのご本は完読してませんが、ジャンヌ・ダルクという題材を見たときに最初に連想したのは、国家という問題でした。でも、国家という問題だけを絶対化するのでなく、その時の状況、それ以来、現在、とその時その時の状況を物心両面で分析されることで、問題を相対化されていることが、読む前より視点が深まる気がします。
世の中変革、社会参加については、鋭くてらっしゃる!自分のような未熟な人間は、職業を得て日々の糧を得ることが、(お給料をもらって)学ぶということになっており、またそれに精力を使う状態になっており、理想としたら人の役に立ちたい・・などと言っても東北ボランティアひとつやっておりませんが、
でも勤め人をやっていると、組織の中の人とは、組織という病弊とは、などとは常々考えてきました。(現在は転職、新分野で、変革というより、自分の変革が求められ・・・)
HPを拝見して、あらゆることをテーマに発信されているので、今後様々読ませて頂きたいと思っております。
ついご親切な返信につられて長文になりましたが、
季節の変わり目、ご自愛ください!
織辺桂子
sekko · 2013-06-26 05:44:50 UTC+9 · 投稿 #774
ご感想ありがとうございます。
前に新書で書いた時は、時系列をリスペクトしてほしいなどいくつか制約があり、男性の女装などがカットされたりしました(一部はサイトに記録しておいたものを今回再録しています)。今回は雑誌に少し連載していたとはいえ自由に書き下ろしてOKだったので、好きなように話を広げることができたのです。ですから、そこのところを気に入ってくださったのは嬉しいです。
実はこの本は、ちくま新書の『キリスト教の真実』の続編というか対にして構想したものです。素材は変えていますが、ユニヴァーサリズムの理念をどうやって生かしてこの世を少しでも公平で平和なものにしていけるかということを、日本にいる人とは別の視点から考えて提供しようということでした。
「アラフォー独身趣味読書」のような方たちが内に向かわず世の中をどんどん変革していくお手伝いをしたい気分です。他の本もできれば読んでみていつかまたご感想をください。
織辺桂子 · 2013-06-26 00:02:08 UTC+9 · 投稿 #773
新作を拝読中です。予想外の面白さに、ワクワクです!埃をかぶった状態を想像する歴史が、あっという間に時代・パラダイムをひとっとびして縦横無尽に展開する論理がとても面白いです。著作もたくさんおありで、貴殿のような評論家の方がいらしたとは!ぜひ今後もご活躍に期待しております!(アラフォー独身趣味読書)
ウラヌス · 2013-06-23 20:18:06 UTC+9 · 投稿 #772
わかりました。それでは回答を待ってます。
sekko · 2013-06-23 18:56:40 UTC+9 · 投稿 #771
どこのForumでも投稿があれば私のメールに入るので大丈夫です。
もともとこのサイト全体が、質問に答えるために作られたのです。過去に、ネット上で見知らぬ専門家に親切に丁寧な答えをいただいたことがあって感激し、その方に直接お礼できない代わりに自分も他の人の役に立てればと思いました。で、私が他の人より知っていることと言えば「フランス語とフランス文化」かなあと考えました。パリでボランティアでやっていたフランス語のレッスンをちょうどやめた頃だったので。
というわけで、ご質問にはForum1の枠で回答します。
ウラヌス · 2013-06-23 17:44:55 UTC+9 · 投稿 #770
竹下先生、はじめまして、フランス語の学習方法で質問ですが、私はフランスの文学や思想に関心があるので、原書で読んでいます。今のところフーコーが辞書を引きながら一時間に6ページくらい、小説なら18、19世紀のものでおおよそ一時間に5ページから6ページくらい読めるのですが、更に読解力を高めるには、たとえば一時間に6ページを10ページくらい読めるようになるにはどのように勉強すべきでしょうか?中級以上の学習方法がわかりづらいので質問します。
さっきはフォーラム1に投稿しましたけど、どうも最近使われてないようなので、改めてこちらに投稿させて頂きます。
sekko · 2013-06-19 18:54:09 UTC+9 · 投稿 #769
なるほど、「戦後教会史」という文脈だったのですね。ではやはり、太平洋戦争へ突入するにいたった明治以来の皇国史観や国家神道の中で生き延びる苦労をしたキリスト教や、その後のトラウマが残っていての言葉だと思います。
国家神道のようなプロパガンダがない時代、たとえば江戸時代の江戸の庶民にとって「天皇の宿り」というものは実感としてなかったと考えられます。
調べれば調べるほど、ヨーロッパ文化における「神の宿り」の方が根は深く決定的であり続けると分かります。
原発事故の人災的側面については、日本のメンタリティの問題よりももっと、そもそも核兵器の問題、エネルギー利権の問題を看過できないと思います。
昨日、本の感想をいただいてお返事を書いたすぐ後で、郵便局で停まっていたジャンヌ・ダルクの新刊を受け取りました。パラパラと眺めて、あらためて、人はたとえ社会や歴史の産物であっても、自分を超えていくのを後押ししてくれる風にいつも吹かれているような気がしました。その風をキャッチして一歩を踏み出すかどうかは一人一人の決断にかかっているのでしょう。
グラ(愛犬の名称) · 2013-06-19 06:02:40 UTC+9 · 投稿 #768
お忙しいところ、早速にありがとうございます。
「一木一草にも、天皇制が宿っている」という表現は、「孫引き」です。申し訳ありません。
出典を明らかにしておきます。
井上良雄著 「戦後教会史と共に」 1995年12月25日第一版第一刷発行 新教出版社
P362
「裕仁天皇と私」、「この世と妥協してはならない」の解題・解説として、井上先生ご自身が記されております。
以下に関係箇所を転載いたします。
『天皇制の問題は、もちろん国の制度の問題でもあり、政治の問題でもあるが、しかし私たちキリスト者にとってさらに重要であり困難なのは、竹内好氏が芸術との関係で言ったように、天皇制がこの国の「一木一草にも」宿っているという点にある。それは、日本人の精神構造の根本にあるものとしての天皇制の問題であり、さらには国家の権威の所在としての天皇制の問題である。そのようなものとしての天皇制が、敗戦後五十年近くたって象徴天皇制下の今日においても健在だという事実を、一九八八年九月以来の一連の出来事は、あらためて私たちに示した。そして、そのような天皇制からは、私自身をも含めて恐らく日本のキリスト教も、完全に自由ではないだろう。したがって、これは、日本での困難な福音宣教の戦いと裏腹の関係をなしつつ、日本の教会が今後長期間にわたって担い続けなければならない問題だろう。いずれにしても、それは、「天皇制なんかもういらない」というようなことで片付く問題ではないのである。 一九九一年七月』
私は、原発事故が人災であり、人災を防げなかった背景には文化の問題があり、その根っこにはこの「一木一草」問題を感じております。
竹下先生の一連の著作を読んで感じていることは、フランス文化という硬質なフィルターを通して、日本を(積極的な意味で)見直そうという姿勢と、それを極力分かりやすい日常語で伝えようという努力を感じております。
その意味でも、とても新鮮な気持ちで、読ませていただいております。
sekko · 2013-06-18 17:13:18 UTC+9 · 投稿 #767
早速のご感想をありがとうございました。すごく嬉しいです。フランスにはまだ本が届いていないので私にはまだ実感がありませんでした。私にとっては読者第1号です。
一部を雑誌「ふらんす」に連載し始めてから3年以上経っていることもあり、内容も少しずつ進化していているのでうまくテーマが伝わるかどうか心配なところもあったのですが安心しました。ネットに散発する匿名書評などは誤読されていることも多いのでもう全く読まないようにしているのでこういう形で来ていただけるのはありがたいです。
しかし、「日本では、一木一草にも、天皇制が宿っていると言われる」ってほんとうですか?
私のイメージでは、それは明治以降の国家神道の政治的押しつけのせいであり、そんなに根は深くないと思っていたのですが。私の世代はそういう見方の反動で教育されたせいか、私が日本にいた頃はむしろ「一木一草にも、仏性が宿っている」というのが普通かと思っていました。
そのせいで、超越を想定しない仏教と超越を立てる一神教の差は大きいにもかかわらず、「神が人となり人が神になることを促した」と言われるキリスト教とはけっこう親和性があるなあと思ったものです。
グラ(愛犬の名称) · 2013-06-18 11:20:05 UTC+9 · 投稿 #766
アマゾンで予約しておいたのですが、昨日、郵送されてきて、一気に読了しました。
ジャンヌの聞いた「声」は外から来ていること、しかし、その声が「内」と呼応するように、社会的な共鳴現象を引き起こすことが繰り返し起きていることが理解できたと同時に、こうした社会現象を共有できる社会基盤が存在することも理解できました。神は細部に宿ることは、キリスト教の本質のような気がします。
翻って、日本では、「一木一草にも、天皇制が宿っている」と言われるように「ガラパゴス」な国ではあります。
日本では、「小さな安心」を教会に求めることしかしてきませんでした。本来、教会は小さな安心をないがしろにしないだけではなく、「大きな安全」=普遍性を提示することができる場所であったはずです。竹下先生の著書からはそのことが読み取れます。
最近、姜尚中先生(プロテスタント)も「心」という小説を発表されました。
キリスト教の普遍性を、原発事故以後、若い方々にも味わってもらいたいと思います。先生のご本もその意味でも良いタイミングで上梓されたと思います。ありがとうございます。
sekko · 2013-05-10 06:06:42 UTC+9 · 投稿 #765
いろいろ読んでくださってありがとうございます。
しかも、この部分を指摘していただいてすごく嬉しいです。
実はここの部分は、ヘレニズムの文脈とずれるので割愛しては、と編集者から言われたのです(新書にしては量が多すぎることもありました)。
でも私にとってはここは絶対に入れたい本質的なところだったのでもちろん残しました。そういうメッセージがしかるべき読者に伝わった時の嬉しさは著者冥利に尽きます。
でも残念ですが、この論文自体は読むのが難しいと思います。もちろん哲学の博士論文( 1953 クラコヴィ大学)なので、ネットでアクセスすることは可能だと思いますが、ポーランド語です。私はフランス語のレジュメを読みましたが、もっとも大切な点は理解できたと思い、その重要性に注目しました。日本語訳などまずないと思いますが、日本のヨハネ=パウロ二世の研究家がいらっしゃるなら聞いてみてください。上智とか南山とかカトリック系の大学に問いあわされればいかがでしょう。
でも多分入手も、読解も難しいと思うので、神学や哲学の論文が血肉となった教勅を読むほうがいいかもとは思います。
jpakayuki · 2013-05-09 12:38:20 UTC+9 · 投稿 #764
こんにちは。「キリスト教の真実」P.52~56のヨハネパウロ二世に関しての記述、ペルソナという人間の概念と自由 実に爽快です。又P.57 今...カトリック教会にとって...ドグマ主義という罠を回避 ...の指摘も圧巻です。
ところで「ヴォイティワの博士論文」読みたいのですがどういう経路で目に出来るでしょうか。勿論日本語でですよ。マックスシェーラーはやや出回っていますが、「ヴォイティワの博士論文」は見つからないのです。回勅は面白くないし。
勝手なことばかりですみません。
sekko · 2013-04-26 19:11:32 UTC+9 · 投稿 #763
靖国参拝の問題は尾を引きますね。カトリックは麻生さんですね。
第二次大戦後に占領軍は何でもできたのだから、その気になれば天皇制も靖国神社もすべて廃止することもできたのにそれを残したのは政治戦略だったのでしょう。それなら女王が国教会の首長でもあるイギリスのように立憲君主の政教分離を徹底して、天皇陛下にひたすら国家神道の犠牲者になった人々の慰霊のお祈りお参りを靖国でしていただいて政治家は宗教施設にはいっさい政治的(だととられる)な関わりをしないと決めてくれればその後が楽だったのにとも思います。
柳田國男が『人が神を祀る風習』に書いているように、日本では「遺念余執」が死後においても想像され、たたりと称される方法で強い情を示した人が神として祀られる」(菅原道真、崇徳院…)伝統や、非業の死を遂げた人(佐倉惣五郎…)を神に祀る伝統があるので、戦争の被害者はみな、戦犯で処刑された人はなおさら、戦争の時の元首だった家系の方に祀っていただいて、共同体を守ってくださいと祈るという風になっていたら、伝統的な感じ方にマッチしていたかもしれません。それは民族でなく「民俗」の領域ということで国際政治的にもスルーしてもらいやすかったのに。
敗戦し、復興の努力だけで精いっぱいだったとはいえ、いろいろな問題をじっくり考えずに放置してきたせいで、戦争の犠牲者たちが今も政治の道具として使いまわされていることは残念です。
羊 · 2013-04-24 10:13:58 UTC+9 · 投稿 #762
竹下様
丁寧なご返事ありがとうございます。
常に霊的に指導をいただける方が、いることは、どれ程心強いことでしょうか。
日本国内では、またまた国会議員の靖国神社参拝で韓国、中国を刺激していることが
話題となっています。
朝鮮半島の状況を考えると大局観が欠如しているとしか思えないのですが・・・
参拝者には、カトリックの信者の方もいらっしゃいます。
未来志向で、海外の方々と協調していくと言っていたのではないかと思うのですが、
事態をより混迷させることになっています。
切実に、対話が必要なときです。
sekko · 2013-04-22 18:47:31 UTC+9 · 投稿 #761
従軍司祭についてちくま新書の『キリスト教の真実』の終りの方に解説しているのでご覧ください。
現在のフランス軍の場合ですと、従軍司祭は軍から給料をもらっていて普段は普通の兵士と同じ防弾服など来ていますが、武器は携帯せず、階級章の代わりに十字があり、階級は、「告解」など、彼と話しに来る相手と「同じ階級」と見なされます。つまり二等兵には二等兵に、大将なら大将と同等です。
ミサはあげますが、宣教は目的とされていませんし、今は職業兵だけのフランス軍には、他の職業に就けなかったムスリム移民の二世など少なくありませんがみなに頼りにされているようです。「瀕死の兵の回心」というのは思いもつきませんでしたが、カトリックと分かっている兵士には病者の秘蹟とか昔の終油の秘蹟に当たるものを授けているでしょうね。前線ではいつ何が起きるかもしれないから、普段からせっせと免償を与えているのかも(想像です)。
考えてみたら誰の人生でも確実にいつかは来る死と隣り合わせの戦いみたいなものですから、誰でも「従軍司祭」を必要としているかもしれません。いざという時に祈ってくれたり慰めてくれたりする専門家がそばにいてくれるのは心強いでしょうね。
チャーチルが、「何も信じなくなった人は、どんなものでも信じてしまう」と言ったそうですが、心身が危機に陥った時になってカルト宗教などにつけ込まれないためには、宣教臭の少ないしかるべき宗教者と普段からお付き合いをしておくのはリスク・マネージメントのひとつかもしれないなあと思います。
羊 · 2013-04-22 14:48:02 UTC+9 · 投稿 #760
竹下様
先日、『「弱い父」ヨセフ』を読み終え、今『聖者の宇宙』を読み始めたところです。
『ローマ法王』は、版元にもなく入手できませんでした。
カトリック生活5月号も届きました。フランスの修道院での出来事を興味深く読ませて
いただきました。
つくづく、世界が近くなったことを実感します。
このように作家の方に直接、メールでやりとりでき、
また、昨日は、バチカン放送で、ミサを中継で視聴できました。
ましてや、教皇のつぶやきを世界中の人々が共有し、直接自国語でバチカンあてに
メールできるということを、30年前には、思いも及ばなかったことです。
ただ、情報に触れられる恩恵と流れる情報を選別する眼が、大切な時代になりました。
従軍司祭という存在は、気になります。
瀕死の兵士が回心するためなのでしょうか?
長島秀幸 · 2013-04-21 08:46:50 UTC+9 · 投稿 #759
参考にさせていただきます。
ありがとうございます。
sekko · 2013-04-21 06:42:17 UTC+9 · 投稿 #758
ご愛読ありがとうございます。
たとえばイベリア半島でのイスラムとキリスト教の関係などは
http://undpress.nd.edu/book/P00520 がいいのではと思いますが私は読んでいません。
大学院生ということですから、私のブログの
http://spinou.exblog.jp/19817288/ の記事などを参考にして、しかるべき大学のPressのサイトで
Christians と Muslims との Interaction などのキイワードで検索するといろいろ出てくると思います。
日本語も、私は読んでませんが、調べたいテーマがはっきりしているのですから、ネットでどんどん検索して調べてください。歴史専門の出版社やキリスト教系大学の出版会などのサイトも丹念に調べて、何が自分の役に立ちそうかを検討する検索リテラシーをつけてください。
その結果、何か具体的なことで疑問があれば、私の分かる範囲でお答えします。『キリスト教の真実』は西洋人による西洋史の、宗教と世俗との戦いによるバイアスを整理していこうという入口になればと思って書いたもので、長島さんのような若い研究者のヒントになれば嬉しいです。
長島秀幸(都内私立大学大学院生) · 2013-04-20 10:39:57 UTC+9 · 投稿 #757
竹下節子様
はじめまして。「キリスト教の真実」を読み終えました。
大変興味深い内容の御著作でした。
"イスラム文化がギリシャ・ローマ文化を翻訳してくれたからヨーロッパは
それを再発見できたというのは誤りである"という部分や、
"蒙昧なキリスト教というのは必ずしも正しくない"という部分に衝撃を受けました。
つきましては、今後の勉強のために、関連図書を紹介してほしいのですが。
フランス語は読めませんので、できれば英文と日本語の関連図書を教えていただければ
幸いです。
sekko · 2013-04-14 09:07:57 UTC+9 · 投稿 #756
4月11日、オバマ大統領は、朝鮮戦争の時に中国共産軍に北朝鮮で捕えられてピョンヤンで死んで埋められたカトリックの従軍司祭に、名誉勲章を授与しました。死後60年以上経ったこのタイミングですからもちろん政治的意図があるわけです。
カトリック教会の方ももちろんこの司祭の列福運動をしていて、二件の奇跡が審査中とか。
なんか戦略的にいろいろ影響し合っている気がします。
日本はまさか「TPPで妥協するから北朝鮮をよろしく」程度しか視野に入っていないのではと懸念されますが…