2013年の投稿

国連事務総長

羊 · 2013-04-13 17:26:42 UTC+9 · 投稿 #755

11日、CNNでパン事務総長は、北朝鮮指導者へ挑戦的な行動を止めるよう
母国語で丁寧に語られていました。
氏は、9日、フランシスコ教皇と面会されてから、11日オバマ大統領に面会しています。
教皇から北朝鮮指導者へ直接の呼びかけはしていませんが、ミサイル発射がもっとも
有力視されていた、木曜日から金曜日にかけては、何事もなく過ぎ、いろいろな方面からの
働きかけの結果、北朝鮮指導者は様子を見ているものと思います。まだ不安定な状況は、続きます。
今日、わが国の官房長官は、日米で阻止するというコメントを発表しています。
国連はじめ多国間と協調は図っていないのかなと訝ってしまうコメントです。

国連事務総長

sekko · 2013-04-11 07:11:46 UTC+9 · 投稿 #754

韓国人である国連事務総長の潘基文氏が4月9日にヴァティカンで教皇と会談しました。タイミングからして水面下ではすでに具体的な介入が進行しているのだと想像します。それだけではどうにもならないでしょうが多くの動きの中の一つとしてひとまず今の危機が回避できることを祈っています。

教皇にお手紙を

羊 · 2013-04-09 15:58:14 UTC+9 · 投稿 #753

日本では、北朝鮮が10日にもミサイルを発射しそうだと報道されています。
それまでに、フランシスコ教皇から東アジアの平和について、メッセージが
出されれば、日本はじめ関係国の人々に安心感を与えていただけるのでは、
と期待しているところです。
私は、フランシスコ教皇が選ばれてから、中央協議会のHPにアップされる
教皇メッセージをチェックするようになりました。
とても身近な方となってきています。
イエズス会出身の初めての教皇ということも知り、過去フランシスコ会からの
教皇はいないのかどうか、ネットサーフするうちに、竹下さんのブログに辿り
着きました。記事を読ませていただきながら、昨日の報告となった次第です。
所属教会は、フランシスコ会が司牧しているので、アッシジの聖フランシスコは
教会の守護聖人です。
主任神父様にもメールを送ったことを報告しました。
そして、日韓のフランシスコ会からバチカンに働きかけができないかお願いも
含めました。
教会には、修道院もあり、韓国、イタリアからの神父様もいらっしゃいます。
それから、同じ教会の方、あるシスターのブログなどに呼びかけを致しました。
少しでも、輪が広がればと願っています。
どうぞ、竹下さんからも教皇にお手紙をお願いします。
私は、竹下さんとほとんど変わらない年齢です。アムネスティ日本支部ができた頃の
韓国軍事政権下での出来事は、覚えています。

羊さま

sekko · 2013-04-08 22:19:12 UTC+9 · 投稿 #752

ご報告ありがとうございます。

反応が速いですね。

普通の日本人にはローマ教皇など遠い存在かと思っていましたが、さすがカトリックのネットワークでは、何語でもメールが書けてしまうんですね。

韓国のカトリック教会もがんばって働きかけてくれればいいんですが…

北朝鮮とキリスト教についてはブログでもちょっと触れたことがあります。
http://spinou.exblog.jp/17224623/

でも一人一人がこうやって行動を起こすことが大切だと思います。

40年近く前、知り合いに韓国でスパイ容疑で死刑判決が下ったと聞いた時に、フランスでローマ教皇とアムネスティに手紙を書いたことを思い出します(http://spinou.exblog.jp/16039292/)。

平和と基本的人権を擁護してくれる「権威」には遠慮せずどんどん声をかけてがんばってもらいましょう。

平和を

羊 · 2013-04-08 16:26:51 UTC+9 · 投稿 #751

はじめまして。
カトリック生活の読者です。ブログを読ませていただいて、これからもしっかり
読ませていただこうと思いました。
今、バチカン放送日本語局あてに、フランシスコ教皇から北朝鮮指導者あてに平和の
メッセージを出していただくよう、メールをしたところです。
北朝鮮にカトリック信者がいることを始めて知りました。
今にも、朝鮮半島から、日本を含む戦争状態が始まりそうな報道を日々接していると
早急にできることの一つがフランシスコ教皇からの平和の呼びかけです。
まさにアッシジのフランシスコのように・・あなたのブログのおかげで、バチカンに
メールしたことのお礼です。これからも、読ませていただきます。
日本では、新入学の季節。ピカピカの1年生が歩いています。

もくち

斉藤洋二 · 2013-03-29 13:01:10 UTC+9 · 投稿 #750

訂正頂いて有難う。
読んでいただいていて驚きました。

帰京された際には「もくち」でお会いしましょうか。
美味しい、安目とコスパは良いですね、
ちょっと人出不足かサーブが遅いけれど。

眼は大切ですから気を付けてくださいな。
部分麻酔だし、ちょっと怖いけれど
案ずるよりは産むがやすし、ですよ。

尚、連絡先は以下の通りです。
y-saitoh0613@jcom.home.ne.jp

ではまた。


斉藤くんへ

sekko · 2013-03-29 00:29:49 UTC+9 · 投稿 #749

Nくんからブログのことを聞いて時々読ませてもらってます。

信頼おける情報を伝えないとまずいブログだから、例の記事を訂正しといたほうがいいかとも思って。

その後私のブログを紹介していただいたようでありがとうございます。

「風の便り」を見て、もくちというレストランに何度か行きました(いま日本での滞在先が表参道なので。目の手術の話にもショックを受けました。私も目が悪いんで何とかもう少しもたせたいんですけど。

夏の終りに日本に行く予定なので時間が合えば何かお話しを聞かせてください。

とりあえず。

お久しぶりです

斉藤洋二 · 2013-03-28 21:39:10 UTC+9 · 投稿 #748

ブログへのコメント有難うございました。
気付かずご返信遅くなりました。
これからもよろしく。

jpakayuki さま

sekko · 2013-02-07 23:09:14 UTC+9 · 投稿 #747

『自由人イエス』(ドンボスコ社)を引き続きご愛読ありがとうございます。

Jpakayukiさまがここでお便りしてくださる度に私ももう一度本を手にとって、ここにはキリスト教の真髄というか、人間と超越との関係(私たちは超越的なものとは本来関係を築くことができないので、いろいろな意味での偶像などを介してしまいがちです)への究極の答えがあるなあと感動します。

おたずねの箇所の原文は

Jésus ne donne seulement le visage humain à Dieu, comme si il lui prêtait une existence historique, il est le visage humain de Dieu dans notre condition. Il ne saurait être question d’aller au-delà de ce visage, de l’abandonner. C’est en ce visage que Dieu devient manifeste.

です。

スピノザは、神性と人間性は両立できない、四角い円のようなものだ、と言っていました。

イエスの生涯の部分だけを見ていると、最後の審判の日も分からないし、渇きや飢えもおぼえ、苦しんで死ぬなど、あまりにも人間的です。

でも、キリスト教は単純に「神が人になった」と言っているのではなく、神性と人間性の両立だけを言っているのではありません。神の第二の神格である「子」というパーソナリティが、神性をもちながら人間性をもひき受けているのだと言っています。

私の好きなA.Massonという若い神学者は、これを説明するのに、ある同じビデオフィルムを性能の違うPCで再生する例えを挙げています。

同じビデオでも、高精度の解像のPCではクリアに見えても、旧式のものではぼんやりしか見えません。

「子としての神」は人間としての体をまとった生においてはそのハードウェアの条件に制限されていました。

もととなる情報は全く同じです。

けれども、神の情報の一部のものは、子なる神のもつ神性か人間性かのどちらを通すかによって振り分けられます。

つまり神は生まれたり十字架の上で死んだりしない永遠のもので、「子なる神」の人間性の部分が生まれたり死んだりするのです。

「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』(ヨハネ8-58)」というのはそういうことだとMassonは言っています。

そういうことを考えながら、

「イエスこそが、私たち人間の存在条件における、神の人間的顔なのである。この顔の向こうに行くことができなければ、この顔を捨て去ることもできない。この顔の中でこそ、神は明らかになるのだ。」

をあらためて読みました。

ありがとうございます。

『自由人イエス』 質問2

jpakayuki · 2013-02-07 12:22:21 UTC+9 · 投稿 #746

お世話になっています。
再度、デュコック師『自由人イエス』について伺いたく思います。
P.202 [...イエスこそが、私たち人間の存在条件における、神の人間的顔なのである。この顔の向こうに行くことができなければ、この顔を捨て去ることもできない。この顔の中でこそ、神は明らかになるのだ。」
私にとってこの箇所非常にインパクトが強いです。そこで質問なのですが、この辺りの原文を是非教えてください。当方フランス語は全くわかりませんが、何とかフィーリングでカバーできればと....。
よろしくお願い致します。

追 こちらで入手できる竹下さんの著書「無神論」等できるだけ読ませていただいています。また”L'art de croire’も嬉しいブログです。

内村語録、いいですね。

sekko · 2013-01-15 22:58:54 UTC+9 · 投稿 #745

リンクを見て、内村語録を少し読んでみました。いいですね。日中や日韓の関係などについても、今読んでも全く的確な指摘があります。

人々を結びつけるはずのキリスト教会がかえって人々を分離させてきたことの批判から無教会主義に向かったのは、彼の時代において誠実な選択だったと思います。

でも、『自由人イエス』のデュコック師の語りを聞く限り、カトリック教会はかなり本来の「普遍性」を取り戻してきたなあ、と思います。ある点では、内村鑑三よりのキリスト教ももっと開かれたところもある気がします。

でも、

人はいかにして人を解し得るか。彼と目的を共にして、彼を解することができ
る。彼の遺伝を知るを要せず、彼の国民性、彼の人種的傾向、その他、彼にかか
わる種々雑多の問題を究むるを要せず、彼の到達せんと欲する最後の目的の何た
るかを知りて、彼を解することができるのである。人生の目的に一致して、人は
すべて兄弟姉妹となるのである。(内村語録より引用)

というのはほんとうですよね。ただその目的に、信仰の目的だとかイエスの再臨だとかの言葉を入れられて「神」という言葉を連発されたら、やはり特殊な外来宗教という印象を持つ人も多かっただろうなあとも思います。

何をどういう風にいうかは永遠の難問です。



慈悲と正義

jpakayuki · 2013-01-15 10:56:37 UTC+9 · 投稿 #744

丁寧なご回答、ありがとうございます。
フランス語では無理なので「慈悲と正義」で検索してみました。
http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/uchimura/goroku/191012_justice_and_grace.htm

「神にしてもし正義をもってわれらに臨みたまわんか、われらは直ちに粉砕されざるを得ず」.....ですね。
「聖書之研究」やっぱり読もうと思いました。

jpakayuki さま

sekko · 2013-01-15 06:36:27 UTC+9 · 投稿 #743

『自由人イエス』のご愛読ありがとうございます。

この図像の適当なものをネットで拾ってリンクしようとしたのですが、いいものが見つかりませんでした。ごめんなさい。またさがしてみます。

この擬人化された「misericorde (慈悲)」と「justice(正義)」の対決というテーマそのものは、中世を通じてかなり根強かったもので、世俗の犯罪の裁きにも、王がかなりの「恩赦」をしていたようです。

あまりにもそれが行き過ぎて「慈悲」は「不正」の同義ではないかという意見もあったようです。犯罪の被害者の家族などが抗議するなど。

そういう話は、私は

Claude Gauvard, 『 Crime, État et Société en France à la fin du Moyen Âge 』(中世末のフランスにおける犯罪と国家と社会)という本で読みました。今この本はネットで閲覧できるようです(フランス語ですが)。そこに「慈悲と正義」の章があります。

どちらにしても、図像も、悪魔に身代金を払う図像ではなくて、「慈悲」と「正義」の対決の図です。両方とも女性名詞なので女性の姿だと思います。

この掲示板を見ている方で適当な図像をご存じの方は教えてください。

でも、改めて考えると、確かに、「正義」の反対が「不正」ではなくて「慈悲」であるというのもなかなか含蓄のある話ですね。正義による裁きだけだと、結局誰一人救われないのかもしれません。

身代金 図像

jpakayuki · 2013-01-13 22:16:32 UTC+9 · 投稿 #742

デュコック 「自由人イエス」を興味深く読ませて頂いています。適当な質問窓口がわからないので、ここで伺います。同書p.166「悪魔に身代金を払う」に関して...中世の図像には、この取引の様子をそのまま表したものがある」とのことですが、その図像を知りたいのです。不躾ながらよろしくお願い致します。