水蓮さま

水蓮さま

sekko · 2016-07-14 00:57:46 UTC+9 · 投稿 #861

水蓮様

犬猫ネタで時々いろいろ考えますが、さすがの私もそんなこと思いもつきませんでした。

昔、文春新書の『アメリカにNOと言える国』で、

犬は「帝国、連邦、クラシック音楽、共同体主義、アメリカ」と親和性があり、

猫は「共和国、連合、バロック音楽、普遍主義、フランス」と親和性がある、

などと分けたことがありますが、カトリックとプロテスタントなんて…。

水蓮様がそうおっしゃるから、ああ、猫の節操がないところがカトリック的なのかなあ、なんて一瞬思ってしまいました。

一見カトリックの方が位階制、ヒエラルキーに服しているように見えるけれど、キリスト教の本質として神の前に平等でみな賜物が違う、ということは、キリスト教そのものが猫的かなあ、とも思いました。

でも、犬と猫、でなくて、犬派と猫派で言えば、プロテスタントと言ってもいろいろありますが、その出発点においてカトリックに対し抗議、批判したという意志的な感じが、犬派の矜持に通じるかなあ、カトリックは猫派のようにグダグダでもOKかも(なんていうとカトリックからも猫派からも怒られそうですが)などと思ったり。

視点を変えると、犬は飼い主に対して絶対に批判しないで服従するので、偶像崇拝だよなあ、とも思いますが、飼い主に冷たくされても、先に愛してくれる、決して裏切らない、なんて部分は神さまみたい、かもしれません。

それでいうと猫は不可知論者みたいだし、簡単に愛してくれない上に平気で裏切る感じも、こっちの勝手な思い込みのせいでそう思うだけで、「神のみ旨は人間の都合では説明できない」という神秘を感じさせてくれるかもしれません。

関係性においては、子供とか心身が弱っている人とかにとっては、犬の寄せてくれる絶対の信頼はかけがえないものだと思いますし、私のように基本傲慢で甘やかされて育った人間には、ひたすら尽くす喜びを教えてもらって猫には感謝です。

どちらにしても、ペットとの関係が内向きになるのではなく、人とのやさしい関係に生かされるといいですね。

実際はなかなかそうはいかず、猫には尽くしても、人間の子供にはイライラさせられたりする心の狭い私ですが‥。反省。