vénardは…
お忙しい中ありがとうございます。もっともっと劇的になるのですか…。楽しみですけれど、どうか、ご無理なさらないで下さい。
「与件」は罪とはいえない。けれど、「少し」でも、神から来るような愛をキャッチできれば、ある領域からは、確かに「罪」であることがわかってくる。これは、恐れでも、断罪でもないのですね。絶対的に肯定され受け容れられて、自発的に抱く、神への「畏れ」。「そんなことをしているお前も好きだよ」という神の声に耳を澄ますと、「でもほんとうは寂しいよ」と、MJ には聞こえてきたのかもしれませんね。
HNは、『聖者の宇宙』の「聖者カレンダー」にも登場(2月2日)したパリ外国宣教会のThéophane-Vénard 神父さまから頂きました。当時は尊者だったこの殉教者を、テレーズはとても好きで、帰天の3週間前、神父のご遺物が届いたときには、嬉し涙を流したそうです。
大きな声では言えないですが、私の手もとには、テレーズとテオファヌ神父のご遺物が一緒に並んでいます。
日本FEBCのネットラジオを好んで聴いていますが、昨日19日の放送で、晴佐久神父さまが「"善き盗賊"が、出た」話をされていました(来月2日まで聴けます)。天国の住人たちの時を越えた活躍を頼みにできるのも、カトリックのいいところだなあ、と思っています。
「与件」は罪とはいえない。けれど、「少し」でも、神から来るような愛をキャッチできれば、ある領域からは、確かに「罪」であることがわかってくる。これは、恐れでも、断罪でもないのですね。絶対的に肯定され受け容れられて、自発的に抱く、神への「畏れ」。「そんなことをしているお前も好きだよ」という神の声に耳を澄ますと、「でもほんとうは寂しいよ」と、MJ には聞こえてきたのかもしれませんね。
HNは、『聖者の宇宙』の「聖者カレンダー」にも登場(2月2日)したパリ外国宣教会のThéophane-Vénard 神父さまから頂きました。当時は尊者だったこの殉教者を、テレーズはとても好きで、帰天の3週間前、神父のご遺物が届いたときには、嬉し涙を流したそうです。
大きな声では言えないですが、私の手もとには、テレーズとテオファヌ神父のご遺物が一緒に並んでいます。
日本FEBCのネットラジオを好んで聴いていますが、昨日19日の放送で、晴佐久神父さまが「"善き盗賊"が、出た」話をされていました(来月2日まで聴けます)。天国の住人たちの時を越えた活躍を頼みにできるのも、カトリックのいいところだなあ、と思っています。