(無題)
お返事ありがとうございます。日本版「沈黙」について、お書きになっていたのは知りませんでした…。
そうなんです!私も「『神の沈黙』についてはストーリーの一要素くらいにしか思えなかった」のです。また「信仰という心の問題と、踏み絵を踏むというその場限りの形」の「対称性が分からな」い、というのも、このようにピタリと表現できませんでしたが、私が踏み絵という制度が理解できないところと共通点があります。
で、現在の竹下先生のお考えはまた違うのですね。それでは、これからの記事などをお待ちしています。
「確信」については、ガーフィールドが言いたかったのはおそらく、自分の確信を他者におしつけたり、それゆえに他者を却下してしまうことが恐ろしい、ということではないかと思います。「自分の奥深くに『確信』がないとどうにもならない」というのは、本当にその通りなので、その確信を他者とのかかわりにおいてどう表現するか、使うか、ということが重要なのではと。最近、無宗教あるいは無神論者の人に、信仰を説明するように求められることが何度があったのですが、私は決して押し付けることはしないのですが、かえって相手の「確信」(=信仰は無用、神はいない、のような)の押し付け、壁が迫ってくるような感じを受けることがあり(最近話題の壁!)そう思います。
オマケ:猫ちゃん、最高にカワイイです!
そうなんです!私も「『神の沈黙』についてはストーリーの一要素くらいにしか思えなかった」のです。また「信仰という心の問題と、踏み絵を踏むというその場限りの形」の「対称性が分からな」い、というのも、このようにピタリと表現できませんでしたが、私が踏み絵という制度が理解できないところと共通点があります。
で、現在の竹下先生のお考えはまた違うのですね。それでは、これからの記事などをお待ちしています。
「確信」については、ガーフィールドが言いたかったのはおそらく、自分の確信を他者におしつけたり、それゆえに他者を却下してしまうことが恐ろしい、ということではないかと思います。「自分の奥深くに『確信』がないとどうにもならない」というのは、本当にその通りなので、その確信を他者とのかかわりにおいてどう表現するか、使うか、ということが重要なのではと。最近、無宗教あるいは無神論者の人に、信仰を説明するように求められることが何度があったのですが、私は決して押し付けることはしないのですが、かえって相手の「確信」(=信仰は無用、神はいない、のような)の押し付け、壁が迫ってくるような感じを受けることがあり(最近話題の壁!)そう思います。
オマケ:猫ちゃん、最高にカワイイです!