なるなるさまへ
ひょっとして私が別のところで言っていることと矛盾しているのかもしれませんが、
>>>神や仏などの「大きな愛」に包まれて、人と人とは心安らかにつながりあっていけるのかもしれません<<<
と書かれているのを読むと、「そんなお花畑なことが通用するわけないだろう、コプトの教会の惨事を見ても…」と復活祭の日曜日に思う自分がいます。
神や仏の「大きな愛」を可視化する意志がないと「つながりあい」はないと思います。
『現代数学への招待』第二章「近さの場」としての位相空間の話で気に入ったのは、「形はないが近さだけがある」という言い方です。
超越的な概念を可視化する方法にはいろいろあるかもしれませんが、さまざまな映像によって常に普遍に映し出されている「近さの性質」がある、というのはいわゆる「神秘体験」や超常現象や奇蹟などを考える時にも役立つと思いました。
座標の立て方によって「大きな愛」との距離を縮めたりなくしたりすることもあるということかもしれない、「近さの性質」を探るために座標を立てなくてはいけない、と思いました。
宗教や宗教体験、宗教現象は中間的概念であって、それら個々のものを対象に研究した時に、より高い立脚点、真に「人間学」へと移行するのではないかということです。
フランスに戻ってから、遅れている情報収集を取り戻したり次の本の見通しを立てたりとなかなか時間が取れませんが、第三章を読むのが楽しみです。
>>>神や仏などの「大きな愛」に包まれて、人と人とは心安らかにつながりあっていけるのかもしれません<<<
と書かれているのを読むと、「そんなお花畑なことが通用するわけないだろう、コプトの教会の惨事を見ても…」と復活祭の日曜日に思う自分がいます。
神や仏の「大きな愛」を可視化する意志がないと「つながりあい」はないと思います。
『現代数学への招待』第二章「近さの場」としての位相空間の話で気に入ったのは、「形はないが近さだけがある」という言い方です。
超越的な概念を可視化する方法にはいろいろあるかもしれませんが、さまざまな映像によって常に普遍に映し出されている「近さの性質」がある、というのはいわゆる「神秘体験」や超常現象や奇蹟などを考える時にも役立つと思いました。
座標の立て方によって「大きな愛」との距離を縮めたりなくしたりすることもあるということかもしれない、「近さの性質」を探るために座標を立てなくてはいけない、と思いました。
宗教や宗教体験、宗教現象は中間的概念であって、それら個々のものを対象に研究した時に、より高い立脚点、真に「人間学」へと移行するのではないかということです。
フランスに戻ってから、遅れている情報収集を取り戻したり次の本の見通しを立てたりとなかなか時間が取れませんが、第三章を読むのが楽しみです。