Sekkoさま

Sekkoさま

小寄道 · 2017-10-14 22:25:43 UTC+9 · 投稿 #997

⇒ それでも「片目の聖徒」を残したのは、「片目失明者友の会」を支援している友人へのメッセージを込めたかったからです。

ブログに再録されたイルマン・ロレンソのエピソードを拝読しました。やはり、なにか特別のご事情があったのですね。若干、あのロレンソあたりの箇所が文脈からして、筆致が変化したように思いました。
上記の「片目失明者友の会」のご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね。

当時は、布教がそれほど軋轢のない時代だったとはいえ、山田庄左衛門、結城忠正、清原外記らのキーパーソン、それも名うての仏教知識人を回心させたのですから、ロレンソのキリスト教の知識はもちろん、仏教、禅宗の僧ほどの教養をもっていたんですね。これはこれで興味深いエピソードでした。

ただ、ご著書の第4章「宣教師たちのキリスト教」のところでは、2,3の疑問を抱えながら読んだことをご報告します。

1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。

以上のことがらは、図書館で借りた山本博文氏「殉教」という新書(光文社?)で書かれていたことです。これら要因がかさなって、実質的な鎖国に至ったのであると書かれていました。
家光の過酷な弾圧も、庶民を檀家制度で管理していた寺・神社に対して切支丹教徒が反乱を起こした。それが家光の逆鱗にふれたのだ、と。オランダを選んだのも、貿易が「布教」とセットでないことが一番の理由から。
また、修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないかと、山本氏の著書に書かれていました。当時、東大の史料編纂所の教授でしたから、一級資料を読み込み、それなりの裏付けがある新説であると理解しましたが・・。どう、思われます?

以上、「殉教」が手元にないので確認できませんが、その史実(?)に強く印象に残っています。参考までにということで、コメントに書き置きます。