小寄道さま
>>>ご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね<<<
いえ、ご家族に片目失明者がいらっしゃって差別に抗議なさっている方です。信仰を持っていらっしゃる方だということもあって、エールを送るため、ロレンソのようなすごい人のことを知ってほしかったのです。
三つの疑問、
1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。
などですが、どれも一つ一つとしては事実です。
ポルトガル人がもたらした「種子島」の銃器が戦国の戦いの趨勢を変えたように、戦国から安土桃山、江戸初期においては、宣教、政治、軍事、経済がみな有機的に連関しています。
その一つ一つを恣意的に並べるとどんな「陰謀論」でも書けますし、とても複合的なので、そういうことに入り込まないように、ロレンソという傑出した日本人にスポットライトを当てて、初期に改宗した大名や知識人について書きました。
私の伝えたかったのは、今の時代に言われているような、キリスト教は舶来宗教で帝国主義的で日本の風土に合わない云々というような安易な言説を離れて、当時の日本人がいかに「論理」を重んじたのか、その結果改宗したのかという意外性を紹介しました。
もちろんその論理性は、合理性、実利主義にもつながり、権力者の思惑が変わっていったのも理解できます。
古代ギリシャの錚々たる知識人たちが結局キリスト教に改宗されていく不思議と同じですが、その後の展開は変わっていきました。
>>修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないか<<
これは私の知る限りはありません。
彼らの社会は記録社会で膨大な往復書簡が残されていますが、そういうマーケティング発想はなかったようで、あったのは人類学的、民俗学的発想でデータの集積というのは注目されています。
宣教の最前線にいた宣教師たちはむしろ本気で、殉教を意識していました。今の某宗教過激派のジハディストたちと変わらない熱烈な手紙に驚きます。
というか、某宗教もそうでしょうが、そういうタイプの人たちだけが使命感に駆られて出て行ったんでしょうね。
もう16、17世紀ですから、その後のプロテスタントのオランダ人と同じく、たいていの修道士はけっこう現実的だったと思います。日本に関していえばやはり特徴は異文化、エキゾティスムの憧れは昔も今も根強いような…。
ユーラシア大陸の東の果ての島国って立ち位置が、よくもわるくも、ほんとに特別だなあ、と日本を離れて暮らす私も思います。
いえ、ご家族に片目失明者がいらっしゃって差別に抗議なさっている方です。信仰を持っていらっしゃる方だということもあって、エールを送るため、ロレンソのようなすごい人のことを知ってほしかったのです。
三つの疑問、
1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。
などですが、どれも一つ一つとしては事実です。
ポルトガル人がもたらした「種子島」の銃器が戦国の戦いの趨勢を変えたように、戦国から安土桃山、江戸初期においては、宣教、政治、軍事、経済がみな有機的に連関しています。
その一つ一つを恣意的に並べるとどんな「陰謀論」でも書けますし、とても複合的なので、そういうことに入り込まないように、ロレンソという傑出した日本人にスポットライトを当てて、初期に改宗した大名や知識人について書きました。
私の伝えたかったのは、今の時代に言われているような、キリスト教は舶来宗教で帝国主義的で日本の風土に合わない云々というような安易な言説を離れて、当時の日本人がいかに「論理」を重んじたのか、その結果改宗したのかという意外性を紹介しました。
もちろんその論理性は、合理性、実利主義にもつながり、権力者の思惑が変わっていったのも理解できます。
古代ギリシャの錚々たる知識人たちが結局キリスト教に改宗されていく不思議と同じですが、その後の展開は変わっていきました。
>>修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないか<<
これは私の知る限りはありません。
彼らの社会は記録社会で膨大な往復書簡が残されていますが、そういうマーケティング発想はなかったようで、あったのは人類学的、民俗学的発想でデータの集積というのは注目されています。
宣教の最前線にいた宣教師たちはむしろ本気で、殉教を意識していました。今の某宗教過激派のジハディストたちと変わらない熱烈な手紙に驚きます。
というか、某宗教もそうでしょうが、そういうタイプの人たちだけが使命感に駆られて出て行ったんでしょうね。
もう16、17世紀ですから、その後のプロテスタントのオランダ人と同じく、たいていの修道士はけっこう現実的だったと思います。日本に関していえばやはり特徴は異文化、エキゾティスムの憧れは昔も今も根強いような…。
ユーラシア大陸の東の果ての島国って立ち位置が、よくもわるくも、ほんとに特別だなあ、と日本を離れて暮らす私も思います。