キリスト教は「宗教」ではない、のブログ記事に関連して
竹下先生、お久しぶりです。最後にここに書き込みして以来、先生と「おしゃべり」してみたい世界各地とフランス社会などでの出来事など、何度もあったものの、忙しさやらタイミングの悪さで今日までできませんでした。
今日やっと、ご著書「キリスト教は…」のご紹介記事にでてくる、以下の文章について「おしゃべり」できたらと思います。
>>>まず良い人間であるよう努力し、次に社会人としての責任を果たすことがカトリック信者の物差しで「良き信者」になることに優先する、というものだ。>>>
これは私は当初かなり納得して、「そうそう、これこれ。これこそが本来のキリスト教徒的(カトリック信者的)姿~」なんて考えていたものの、いろいろと考えているうちに、何でも話し合える友人たち(宗教ばなれした文化的にはキリスト教の欧米人たち)と私のあいだでときどき話題にするテーマと関連していることに気付きました。
つまり、「良き信者」である前に「良き人間」「良き社会人」であれ、というときの、何を持って「良き人間」「良き社会人」であるかを決める規準が、実は、そもそもキリスト教的価値観が起源であり、この考え方が特にうまくいくのはキリスト教の歴史が長い場所(つまり、単純に言えば欧米)においてではないか、ということです。(脱線:このお話しで、「良き社会人」という言い方にもちょっとこだわります…「良き市民」でないところが、日本的かな~なんて…)
日本に住んでいたとき、キリスト教的価値観にもとづく「良き人間」「良き社会人」であろうとすると、うまくいかないことがよくありました。人に親切にするとか、助け合うというような話だけではなく、社会正義とか人権問題とか、ねたみ心、赦し、のようなちょっとヤヤコシイ(?)話になったときです。死刑制度反対の立場を知られると、一部の人からは(被害者の遺族に対して)血も涙もない非常識人間扱いでした。
欧米人の友人たちと話題になるのは、宗教性を本当に完全に排除した道徳・倫理教育は可能か?ということですが、結局「我々」(キリスト教価値観を共有する者)が世俗的に道徳的、倫理的と認識するものも、もとをたどればキリスト教精神から出てるよね…という話になります。
ここからは、おそらく、「でも、そのキリスト教価値観と同じものが他の宗教や思想と共通のものなんです」という話になると思うのですが、もちろん一番肝心なところではその通りなんでしょうが、日常生活レベルでは、かなり違いが生まれます。各地の文化や政治体制の影響もありますし…。
話がゴチャゴチャしてきました…すみません。「おしゃべり」なので、おゆるしを。(おそらくご著書を拝読するべきなのでしょうが…。)
今日やっと、ご著書「キリスト教は…」のご紹介記事にでてくる、以下の文章について「おしゃべり」できたらと思います。
>>>まず良い人間であるよう努力し、次に社会人としての責任を果たすことがカトリック信者の物差しで「良き信者」になることに優先する、というものだ。>>>
これは私は当初かなり納得して、「そうそう、これこれ。これこそが本来のキリスト教徒的(カトリック信者的)姿~」なんて考えていたものの、いろいろと考えているうちに、何でも話し合える友人たち(宗教ばなれした文化的にはキリスト教の欧米人たち)と私のあいだでときどき話題にするテーマと関連していることに気付きました。
つまり、「良き信者」である前に「良き人間」「良き社会人」であれ、というときの、何を持って「良き人間」「良き社会人」であるかを決める規準が、実は、そもそもキリスト教的価値観が起源であり、この考え方が特にうまくいくのはキリスト教の歴史が長い場所(つまり、単純に言えば欧米)においてではないか、ということです。(脱線:このお話しで、「良き社会人」という言い方にもちょっとこだわります…「良き市民」でないところが、日本的かな~なんて…)
日本に住んでいたとき、キリスト教的価値観にもとづく「良き人間」「良き社会人」であろうとすると、うまくいかないことがよくありました。人に親切にするとか、助け合うというような話だけではなく、社会正義とか人権問題とか、ねたみ心、赦し、のようなちょっとヤヤコシイ(?)話になったときです。死刑制度反対の立場を知られると、一部の人からは(被害者の遺族に対して)血も涙もない非常識人間扱いでした。
欧米人の友人たちと話題になるのは、宗教性を本当に完全に排除した道徳・倫理教育は可能か?ということですが、結局「我々」(キリスト教価値観を共有する者)が世俗的に道徳的、倫理的と認識するものも、もとをたどればキリスト教精神から出てるよね…という話になります。
ここからは、おそらく、「でも、そのキリスト教価値観と同じものが他の宗教や思想と共通のものなんです」という話になると思うのですが、もちろん一番肝心なところではその通りなんでしょうが、日常生活レベルでは、かなり違いが生まれます。各地の文化や政治体制の影響もありますし…。
話がゴチャゴチャしてきました…すみません。「おしゃべり」なので、おゆるしを。(おそらくご著書を拝読するべきなのでしょうが…。)