親の心子知らず
理念や理想を掲げる共同体みたいなのは、どこでも、えてしてこうなりますね。やくざは功利的目的があるかもしれないけど、社会の表で生きにくい人が生き延びる救済システムに多少の美学も足したものって面もあるでしょう・・・
でも、親分や兄弟分とあまり情動的関係を結ぶと、冷静な状況分析ができなくなったりしますね。やくざ映画でも、子分の先走りや暴走のせいでどうにもならなくなった親分が涙を呑んで、負けると分かっている戦いをしたりなんてシーンがあります。西南戦争の西郷隆盛とかも?
自分で権力欲にかられて演出する人はかってだけど、頼ってくる人々から神のように祭り上げられたトップが、自分の意に反して、カタストロフィに突き進むとか、自分を犠牲にしても子分の期待に応えてしまうとか、そういうのはこまりますね。ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」もちょっとそんな感じでしたっけ?
でも、共同体のうちわの家族的満足じゃなく、公共の利益というのもあるし、やはり、外にも開いているグループでないと、風通しが悪くなってあちこち故障がでると思います。何を信じるかというより、他に対して、どう働いていくかによってそのグループの価値が問われると思います。
特定の誰かを崇めることで、そこから得た安心やエネルギーを、助けを必要としている人たちに広く分け与えるようなグループだったらいいですね。
でも、親分や兄弟分とあまり情動的関係を結ぶと、冷静な状況分析ができなくなったりしますね。やくざ映画でも、子分の先走りや暴走のせいでどうにもならなくなった親分が涙を呑んで、負けると分かっている戦いをしたりなんてシーンがあります。西南戦争の西郷隆盛とかも?
自分で権力欲にかられて演出する人はかってだけど、頼ってくる人々から神のように祭り上げられたトップが、自分の意に反して、カタストロフィに突き進むとか、自分を犠牲にしても子分の期待に応えてしまうとか、そういうのはこまりますね。ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」もちょっとそんな感じでしたっけ?
でも、共同体のうちわの家族的満足じゃなく、公共の利益というのもあるし、やはり、外にも開いているグループでないと、風通しが悪くなってあちこち故障がでると思います。何を信じるかというより、他に対して、どう働いていくかによってそのグループの価値が問われると思います。
特定の誰かを崇めることで、そこから得た安心やエネルギーを、助けを必要としている人たちに広く分け与えるようなグループだったらいいですね。